ブログを書くということは、インターネットに脳をつないでしまうこと

 金曜日に、RTCカンファレンスでパネラーをさせていただきました。
 ご参加いただいた皆さんありがとうございました。
 途中からちょっと感情的になってしまった(感傷に浸ってしまった?)ところもあり、ひいてしまった人も多かったかもしれませんが(汗)、当日の話の補足をしておきたいと思います。
 (当日の詳細なログはParsleyさんがまとめていますので、興味のある方はこちらをどうぞ。)
 私自身が、ブログネットワークのAMNに所属していると言うこともあり、当日の話の流れでメディアビジネス的な話も多くしてしまったのですが。
 個人的には、ブログが面白くなるかどうかは、メディアビジネスとは実はあまり関係ないのではないかと思っています。
 ビジネスの視点で考えるなら、事業者はあくまで現状の状況からどうやってビジネスをするべきか考えるべきで、佐々木さんが話されていたように、利用者のメディア消費が携帯や他のプラットフォームに移っていると考えるならそちらにシフトするのもありでしょうし、現状をふまえてそれをどのようにビジネスにするかというのを考えるのもありでしょう。
 何も儲からないところで無理に勝負する必要はありません。
 また、ブログを書いている個人の視点で考えるなら、結局一人一人にとってブログが面白いかどうかは、その個人の問題。
 私自身も、以前から「ブログは自分のために書くべき」論者ですから、もしブログを自分のために書いても役に立たないと思うなら続ける必要はないと思っています。
 ブログが面白くないと思うなら、その時間を他のことに使えば良いだけ。
 そう言う意味では、ブログ限界論とか、ブログが面白いかどうかと言う議論自体に意味があるかと言われると、実は意味はないのかもしれません。
 やはりブログに限界があるとするなら、その限界はツールではなく、ツールも含めてそれを使う側の「人」にあるということでしょう。
 
 
 ただ、それでも何でそんな議論に一生懸命首を突っ込むのかと言われると。
 やはり私自身がブログというものに、インターネットの大きな可能性を見てしまっているからだと思います。
 ことある毎に、ITmediaの岡田さんの百式の田口さんインタビュー記事の「みんながちょっとずつ頭が良くなる世界」というフレーズを引用させてもらっているのですが、ブログというのはまさにその世界観を現実的にしてくれたツールだと思っています。
 もちろん、ブログ以前も2ちゃんねるの掲示板のような場所はありましたし、これからもmixi日記やTwitterのようにプラットフォームを移して、同じような知の交換は発生していくんだと思いますので、そう言う意味では、ツールは何でも良いのですが。
 やはり、個人がメディア的な価値を持てるということを実体験するという意味では、現状はブログが一番分かりやすいように思います。
 自分のためにメモとして書いた記事が、いつのまにか検索エンジンで見つけられて誰かの役に立ったり、日々書いていたことのつながりが、インターネット上の誰かと出会うきっかけになったり、自分の発言や考えがたまたま多くの人の目にさらされることになり、何かを生み出す力の一つになったり。
 
 単純に情報やデータを受け取るために受け身に使っていたインターネットが、自分の行動によって多少なりとも変化する可能性がある存在だというのに気づく入り口のように作用してくれる、ブログはそんなツールのように思っています。
 そんな中、私がこの数年ぼんやりと感じているのは、そんなインターネットの可能性を理解してくれている人が一人でも多くなることで、「何か」が変わっていくのではないか、もしかしたら、「私たちが」何かを変えていくことができるようになるのではないか、ということです。
 誤解を恐れずに例えると。
 映画「マトリックス」で、キアヌ・リーブス演じる主人公のネオが、モーフィアスの導きによって、自分が生きている世界が実はマトリックスという仮想世界で、自分ができることの限界は、自分の心が作っていることを体感していくプロセスがありますが。
 イメージとしてはまさにあんな感じ。
 自分がただインターネットを受け身に使う存在ではなく、自分自身がインターネットを構成している一員だと知り、自分がインターネットに小さいながらも影響を与えることができる存在だと言うことを分かってくれる人が、一人でも増えれば。
 インターネットは、もっと私たちにとって面白い世界になるのではないかと、少なくともそうしていこうと努力する仲間を増やしていくことができるのではないかと、妄想していたりするのです。
 もちろん、実際には、そんなことにはならないかもしれませんし、その未来が全員にとって良い未来になるとは限りませんが。
 もし、そんな可能性が少しでもあるのであれば。
 ブログ論がもう既に議論され尽くした議論であろうとも、パソコン通信や掲示板時代から回り続けているサイクルであろうとも、繰り返し繰り返し、場所を変え、対象を変えて議論を続け。
 その議論の過程でより多くの人たちに、ブログがそんなきっかけを与えてくれるツールであることを知ってもらうことには、一人でも多くの人たちにそのプロセスに参加してもらうことには、意味があるのではないかと思ったりするわけです。
 
 ブログを書いている人の多くは普通のサラリーマンであったり、学生や主婦であったりする中で、「ブロガー」という言葉を多用することに、違和感を感じている方も多いかもしれませんが。
 私の中での「ブロガー」というのは、インターネットに積極的に思考や感情を公開している、インターネットで脳がお互いにつながっている人たちをイメージしていたりします。
 そんな人が一人でも多く増えてくれれば、その分、私たちはちょっとずつ頭が良くなるのではないかと。
 そんなことを思ったりするわけです。
 当然、今後「ブログ」というツール自体には、流行り廃りがあるかもしれませんが。
 インターネットでつながっていくという感覚の価値や可能性を考えることや議論することは、何度繰り返しても決して無駄なプロセスではないのではないかと思います。
 すでに、イベント後に大量の感想や反応記事が出ているので、自分の意見や気持ちを書くタイミングを失ってしまっている人もいるかもしれませんが。
 この機会に皆さんの意見を書いてみることは、決して無駄な行為ではないのではないかと・・・
 (というのは感想記事を書くのが遅い自分への言い訳だったりするかもしれませんが・・・)
 他の方の感想記事一覧は、チミンモラスイさんがまとめてくれていますのでそちらもどうぞ

“ブログを書くということは、インターネットに脳をつないでしまうこと” への1件のフィードバック

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