ITmediaの岡田さんによる梅田さんのインタビューに端を発した、「日本のWebは残念」論争ですが、梅田さんの人物考察が一段落するのに併行して、いろいろと日本のウェブの特徴についての考察が始まっているようです。
せっかくの機会なので自分の考えも、まとめておきたいと思います。
(海部さんのエントリに刺激を受けて、アテネの学堂のイメージ)
今回の議論に目を通していて、個人的に気になったのは下記のあたり。
・nobilog2: Web日本語文化圏、私なりの考察
・梅田氏と「アテネの学堂」 – Tech Mom from Silicon Valley
・日本のネットが「残念」なのは、ハイブロウな人たちの頑張りが足りないからかも知れない(追記あり):小鳥ピヨピヨ
・無名が主役になれる日本は世界のパラダイス(たとえばラーメン) – [ f ]ふらっとどらいぶログ
いずれも米国のネットに対して、日本のネットが梅田さんに残念と評されるようになった背景等を考察していて興味深いです。
私自身、アルファブロガー投票企画とかをやっていたように、海部さんがいうところのバーチャル・アテネの学堂的な、梅田さんやいちるさんがいうところのハイブロウな人たち(定義を良く理解してないので、あまりこの言葉は使いたくないのですが)による日本のネットが広がることを期待していた人間です。
ただ、最近いろんな議論を、メディアの方やウェブサービス系の方々とする過程で、個人的に生まれてきている仮説が、タイトルに書いた「日本のネットは遅れているのではなく、急速に進みすぎたのではないか」という話です。
そのポイントは、下記の3つ。
■1.日本はやっぱりブログ(日記)を書いている人が明らかに多い?
■2.芸能人によるネット活用は、日本の方が進んでいる?
■3.英語圏も、衆愚化が進み始めているらしい?
順番に簡単に説明すると。
■1.日本はやっぱりブログ(日記)を書いている人が明らかに多い?
まず、この話は、2007年のTechnoratiのリサーチ結果で良く取り上げられた話。
・ITmedia News:世界で最も多いのは日本語ブログ――Technorati調査
何しろ世界のブログの3分の1が日本語のブログという結果。
英語は、母国語とする人口だけでも4億人、英語を第二言語として利用する国も含めると10億人を超えるらしいですから、1億数千万人しかいない日本語のブログが、10倍いるはずの英語圏よりも多いというのは、凄まじいデータだったと言えます。
まぁ、正直このデータについてはスパムブログのデータが多いと思われるので、それほど信じていないのですが。
とはいえ総務省の2008年の調査結果では、ブログの開設数が1,690万でアクティブが300万という数字がありますし、さらにこの中に含まれていないmixi日記などの非公開の日記の数を含めると、日本人のブログやウェブ日記の利用率というのは、英語圏と比べてもかなり高い印象があります。
さらに最近印象的だったのが、こちらの記事
・POLAR BEAR BLOG: 「ママブログ」というトレンド
米国で、主婦がブログを書くことが増えているという記事なのですが、これって日本だとmixi日記や楽天広場などを中心に、形は違えど長らく当たり前の話のような気がします。
この記事を読んで思いだしたのが、2年ぐらい前に、渡辺千賀さんが日本に来て講演されていたときに、旦那さんが友達に「うちの妻はブログ書いてるんだよ」というと、「へーおまえの嫁さんギークなんだね」というようなことをいわれるんだよ、と言っていた話。
要はシリコンバレーですら、奥さんがブログを書くという文脈は驚きをもって迎えられていた、という話をされていたと記憶しています。
当時、日本ではすでにmixi日記とか楽天広場とか、アメブロとかある程度の地位を気づきはじめていたころで、主婦や学生などの一般人がブログを書くという文脈では、実は日本は英語圏に先行していたと考えることもできるわけです。
■2.芸能人によるネット活用は、日本の方が進んでいる?
もう一つ、最近注目しているのがアメリカにおけるTwitterの大ブレイク。
・メディア・パブ: 100万フォロワー競争で一段と過熱化するTwitterブーム
なんでも、テレビのキャスターや芸能人も含めて猫も杓子もTwitterみたいな雰囲気も一部であるらしく、キャスターが番組内でTwitterのアカウントをアピールするなんてことが普通にされていたりするらしいのですが。
実はこれって、日本で芸能人ブログが実現しているものと近い気がしています。
もちろん、ブログとTwitterは本質的にはかなり違うサービスな訳ですが。
例えば、アメブロを使っている芸能人はほとんどの人が携帯電話から更新しているらしく、一日に何本も更新したりしているという意味では、日本の芸能人にとって、アメブロのようなブログサービスは、実はいわゆるメディア的なブログとTwitterの中間的なサービスなのではないか、ということもできると思っています。
そもそも、現在の日本に見られるような芸能人が次々にブログを開設していくような状況は、あまり米国では聞いたことがない気がしますし、どちらかというと、そこのギャップをGawkerのようなハリウッドセレブについてのゴシップブログが埋めている印象があります。(私が知らないだけかもしれませんが)
つまり、芸能人のようなテレビに出ている人たちがブログのようなネットの情報発信ツールを活用するという文脈でも、日本は英語圏に先行していると見ることができる気がしてきます。
■3.英語圏も、衆愚化が進み始めているらしい?
さらに、昨年(たしか秋元さんに)聞いて印象に残ったのが、最近diggが衆愚化しはじめているのではないかという話。
一時期、はてなブックマークやnewsingも同じような衆愚化の議論がありましたが。
diggのような米国の集合知を活用したニュースサイトは上手くいくけど、日本では集合知を活用したシステムはなかなか上手くいかないという印象があります。
それが、diggも同じような課題を抱えつつあるというのです。
まぁ、これ自体は私がdiggを日々ウォッチしているわけではないので、何とも言えないのですが。
冷静に一歩引いて考えると、diggは最初一部のテクノロジー系の人たちのニュースサイトとして機能していたものが、徐々に扱うテーマが広がってきていますから、それによって様々な人がサイトに入ってきているわけで、普通にやっていれば多数決でワイドショー化していくのはある意味メディアの宿命ということはできるかもしれません。
それを衆愚化と呼ぶかどうかは議論がありますが、投票や視聴率、ページビューランキングのような、数の多数決に依存する限り、いわゆる知的なテーマよりもマスにアピールするネタの方が勝つのはある意味当たり前。
スパムの問題も入ってくるでしょうし、日本から見ているほどdiggも完璧なシステムではなかったということなのかもしれません。
で。
上記の、全てのポイントは、あくまで聞いた話ベースとか私の仮説でしかないので、それぞれ大げさなポイントはあると思うのですが。
3つのポイントを合わせて考えると、冒頭の仮説が生まれてきます。
つまり。
日本はブログ事業に関わる人たちの努力によって、2005年頃に「鬼嫁日記」とか芸能人ブログとか社長ブログとか、一気に猫も杓子も、芸能人も主婦も企業もブログを書く、というブームが巻き起こったわけですが。
その変化があまりにも早すぎたために、英語圏に見られるような知識人中心のネットが見えづらくなってしまっているのではないかと思えてくるのです。
要するに、一気に大量の人がブログやmixi日記のようなテキスト情報発信に参加したために、かえってバーチャル・アテネの学堂を建築するようなステップは吹き飛ばされてしまい、一気に衆愚化が起こりやすい土壌になり、大衆の発信する情報の山のなかに全てが埋もれてしまったのではないかというイメージです。
振返ってみると、アメリカにおけるWeblogの進化やブームというのは、2001年9月11日のテロ以降、ジャーナリスト的な人たちを中心に広がり、2003年頃に始まるブログメディア的なもののビジネスとしての成功や、2004年の大統領選挙での活用等を経ながら、実は5年以上かけて徐々にゆっくりと広がっていると見ることができる気がします。
また、特に英語圏というのは、英語を母国語とする国以外から、英語でコミュニケーションをすることができるエリート層が集まってくるわけで、アメリカのネット環境も案外ナローバンドから徐々に進展していたとか、ブロードバンド環境は結構高いとか、いろんなものを考えると、英語圏では日本人が思っているより、一部のエリート層とかギーク層から順々に、徐々にネットが普及しているという面が強いのではないかと思えてきます。
一方、日本においてはブロードバンドの普及とか、識字率の高さとか、一億総中流と呼ばれる中流層の分厚さとか、夏休みから日記に慣れ親しんだ文化とか、皆さんが書かれているようないろんな背景もあり、2004年前後から始まるブログブームで一気にエリートも芸能人も大衆も何もかも、2~3年でブログに流れ込んだイメージがあります。
(何しろ、「ブログ」は2005年ですでに流行語大賞になっていて、受賞者は鬼嫁日記の作者だったわけです)
更にそれが、日本独自のケータイ文化とか、モバイルブロードバンド回線のおかげで、芸能人のように生活に密着したレベルで日々ブログをする人たちまで、出てきていますし、ケータイ小説のような独特の文化も生まれているわけで。
ネット選挙が禁止されていたりという背景も手伝って、日本のブログは英語圏におけるエリート層のメディア的なものを飛び越えて、一気に日記的、ライフログ的なものが中心の世界になったのではないかと見ることができると思います。
ただ、そう考えると、実はこのテキストによるコミュニケーションとか情報発信の(質は別としても)頻度とか、生活への密着度という意味では、日本はこの数年で英語圏の普及のスピードを逆に追い抜いてしまっているのではないかと思えてきたりもします。
その一方で、昨今の若年層の就職難とか、いろんな問題があって、例の「ウェブはバカと暇人のもの」(まだ読んでませんが)と呼ばれるように、お金はないけど時間が大量に余っている人が先に日本のネットの中心になり、衆愚化が起こりやすい環境になってしまったという見方もできるわけですが。
これって、今後、大不況に見舞われた英語圏でも同じことがおこらないとは言い切れない気もします。
そう言う意味では、diggの衆愚化の話のように、実は日本のウェブサービスが抱えている課題とか苦悩みたいなものは、英語圏よりも先行した問題なのではないかと見ることもできるのではないかと思うのです。
まぁ、上記の仮説は、あくまで私の妄想に過ぎない可能性が多々あるのですが。
あえて、こうやって考えてみると、日本のネットとかブログとか、言論の世界とか、コミュニケーションの世界って、英語圏に比べると、実はいろんなものを置き去りにして数年で急速に進化してしまっているわけで。
まだまだ、日本のウェブって、私たちができるはずのこととか、やるべきなのに見落としていることはたくさんあるのではないかと思う、今日この頃です。
[言及]梅田望夫さんは言いたかったの?聞きたかったの?
問題がなんだかわからなくなったので関連記事を集めてみた。 集めてみると「残念」より「どうするの?」だったように思えてきました。 引用部分は僕の主観で引っ…
ファインマンの教育/ご冗談でしょう、ファインマンさん/書評
ファインマンの本から、教育に関する部分を抜き出してみました。
まずロスアラモスで研究をしているとき、若いエンジニアをやとったときの話を紹介します。…
[私の意見]続々《日本のWebは「残念」》について…梅田氏の原点・日米の違い・二人の提言
[海部さんの記事<ここ>に刺激を受けて載せられたアテネの学堂のイメージ<ここ>より] ****************************…
[Life]日本のウェブが残念なのは急速に進みすぎたという仮説の先を思う
日本のウェブは遅れているのではなく、急速に進みすぎたのではないかという仮説 : tokuriki.com 読んでいてすばらしいなと思った。 その洞察力。…