CNET Japan Blog – 「ビジネス・ジャーナル」と「ジャーナル・アカデミー」
を読んで
この梅田さんの投稿にしても、FPNへの渡辺さんの投稿にしても、最近、ブログでメディア論やジャーナリズム論を見ることが多い気がするが、私の気のせいだろうか。
やはり有名ブロガーの皆さんも夏休みに入って、ブログを書いている意味というのを改めて振り返っているのかもしれないなぁと思ってしまう。
(毎日質の高い投稿を続けるというのは相当大変な作業のはずだ)
個人的にも、いままで自分がなぜこれほどブログの流れに魅せられるのか整理できずにいたが、今回の梅田さんの投稿で少し整理ができたような気がする。
会社に入ったばかりの頃、特にNTTで働いていた頃は、どちらかというと私は書籍を主な情報源にしていたように記憶している。
MBAに興味があったこともあり、読むのは大抵マーケティングやマネジメントの古典だった。これらの書籍を読むことで知識が体系的に吸収できる感覚があり、それはそれで非常に勉強になったと思っている。
ただ、転職してITベンチャーに身をおくようになり、急速に書籍の知識だけでは足りないというのを痛感するようになった。NTTで刺激的に感じていたグロービスが物足りなくなってきたのも、この頃のように記憶している。
今この感覚を振り返るなら、「ジャーナルアカデミー」と「ビジネスジャーナル」の違いで説明できるような気がする。
とにかく、書籍の知識では遅いのだ。
例えば今Googleの戦略に関する書籍が出版されたとしても、その書籍に反映されているのはせいぜい半年前までのGoogleの戦略だ。
知識として吸収するには良くても、今を生きていく判断材料としてはあまり参考にならない。
ただ、逆にIT系のニュースサイトの記事は、大抵どのサイトを見ても同じような記事の場合が多く、深い情報を得られるのはまれだった。
そんな私の前に出てきたのがブログというわけだ。
もちろん、多くの個人のブログは、これまでのプロに比べればそれほど質が高いわけではない。ただ、ブログはその圧倒的な情報量によって、ある程度の質の不足を埋めてくれると感じている。
そういう意味で、梅田さんのまとめの文章には非常に賛成できる。
わざわざカネを出してまで読む雑誌の場合、その雑誌の特質と読者層の前提がある程度整合が取れていて、しかも編集という付加価値があって交通整理ができているが、ネット上の言説の場合、そのあたりが混然としている。それゆえに、誤解が生じやすく、噛み合わない議論が頻発する代わりに、さまざまな知が交錯して刺激的でもある。
この「知が交錯」という点が、私がブログに惹かれてやまない理由だろう。
これまで雲の上の存在で、受身でしかなかったジャーナリズムやアカデミズムの世界に、つま先だけでも突っ込むことができるわけだし。
なんとも面白い時代になったものだ・・・と思うのは私だけだろうか?