先に正直なところを言うと、私はいまだに放送と通信の境界線についてよく理解できていない。
森さんが丁寧にまとめているので、何となく理解したつもりでいるが、本質的な所は未だに腹に落ちていない。
「サーバ型放送」とは、「放送番組に関する仔細な追加情報(メタデータ)とHDDなどの大容量記録装置を組み合わせることで実現される高度な番組蓄積機能サービス」のことを言うらしい。
単純に言うと「サーバ型放送は通信、特にブロードバンドの取り込みを前提としたサービスの全体像を有しており、すでに放送という枠組みを超えている」ということだ。
結局のところ、放送と通信の区分と言うのはインターネット時代に至って完全に意味の無いものになろうとしているのに、法律や制度、ステークホルダーの意識がそれに追いついていないと言うことなのだろう。
利用者からすると、例えばインターネット経由でPCで動画コンテンツを入手することは「放送」ではないはずだ。だが、どうもこのサーバ型放送の定義だと、テレビで放映されたメタデータを後から通信で見るというのもサーバ型「放送」の定義に入るらしい。(間違っていたらごめんなさい)
動画の世界だからなのだろうか?
音楽の世界と比較してみよう。
例えばラジオ「放送」で流れていた音楽を、後からiTunesで手に入れたとする。
これは「放送」か?
利用者からすると明らかに違う。
だがこのサーバー型放送の定義だとそういうことのようだ。
ブロードバンドのインフラ環境が整備されているものの、音楽や映画のノンパッケージ配信サービスで欧米に2歩も3歩も遅れている日本では、ハリウッド以上に「コンテンツ・イズ・キング」状態が続いている。ケータイまでも含めればインターネットの普及が全人口の80%を超えるこのご時勢ですら、放送局のサイトにある番組情報ページに写真さえ掲載を許さないタレント事務所も複数あるほどだ。
なぜ日本でiTunesが始まらないのか、ちょっと分かってきたような気がする。
どうも日本では、このあたりのインターネット時代のコンテンツに関する議論が完全に思考停止に陥っているようだ。
放送事業者もコンテンツホルダーも、今がいいからそれで良いという状態なのだろうか。
どおりで通信事業者や家電メーカーがいくら騒いでも、何も有力なコンテンツがインターネットに出てこないわけだ。
前回の「ハリウッドを救う三つの指針 を読んで」でも書いたが、どうしてもこの分野だけはアメリカに負けて欲しくない。
森さんが書いているように、今こそ「正論」に戻って未来を見つめた議論をして欲しいところだが・・・
やっぱり難しいのかなぁ・・・