日本の参加型ジャーナリズムは、遅れているのか種類が違うのか

Proving grounds of the mad over logs: 参加型ジャーナリズムの時代を読んで。

 先日、GLOCOMで開催された湯川さんの参加型ジャーナリズムに関するセミナーを聞いてきました。
 当日の概要は上記のmakiさんの議事録と、H-Yamaguchi.netの山口さんの記事で丁寧にまとめられているので是非ごらんいただくとして。

 個人的に気になっているのは、makiさんがキーポイントとしてあげられている3点目、「参加型ジャーナリズムはいかにして信用を得るのか」という点。

 ことこの点に関しては、参加型ジャーナリズムを巡る状況は、日本と、米国や韓国などの海外で、非常に大きな違いがあるような気がします。

 米国の大統領選挙でブロガーが重要な役割を果たしたのは有名な話ですが、なんでも米国ではブロガーにプレスパスが発行されるほどになっているそうで(しかもリンク先の記事は2004年6月のもの)、日本では考えられない状態だと言えるでしょう。
 丁度、Ad Innovatorには「MediaPostが選ぶ100人の注目すべきメディア関係の人たちの中に7人のブロガーが入った」という記事が紹介されていますし、メディアパブで紹介されているBlogadsのアンケートでは多くの人がテレビなどの既存メディアよりも「ブログの情報の方が信頼できる」と回答しています。
 もちろん、ブロガーに対するアンケートなので偏りは明らかですが、それにしても高い結果です。
 
 日本で同様のアンケート結果がないので、比較の仕様は無いのですが、肌感覚としては明らかにブログに対する信用度には大きな差があるように感じます。

 まぁ、良く日本は米国に数年遅れると言われてきましたが、ことこの問題に関しては単純な時間の問題ではないような気がしますが、どうなんでしょう?

 もちろん、先日裏編集後記のAsainaさんが書かれていたように、日本でも確実に既存メディアの「マスコミ特権」の領域が縮小しているのは間違いないとは思うのですが、はたしてこの境界線が米国や韓国ほどネット側有利に進むのか、どうも良く分かりません。

 そういう意味で、やはり個人的に重要だと思っているのは、makiさんがかかれている「単体のブログの確からしさ」をいかに表現できるかなぁと感じます。

 毎日星の数ほど生まれつつあるブログの記事ですが、結局数が増えれば増えるほどゴミ情報も増えるわけで、たまたま検索やリンク経由で良質なブログに遭遇したとしても、そのブログを信じられるかどうかは結局運次第。
 タダでも日本はリアルとネットの間の溝が深い気がするので、そのブログの評価を第三者がしてくれる何かがあると良いような気もするのですが・・・こればっかりは、結局は自分で判断するしかないんでしょうね。
 まぁ、山口さんが書いているように結局は「利害の配分」の問題なので、影響力のあるブログは、信用も自然とあがるのかもしれませんけど・・・どうも良く分からないです。

 はたして、時間とともに日本も米国と同じようになるのか、技術の進化が解決してくれるのか、それとも日本はこのままなのか。
 どうなんでしょう?