若いころの努力のストックで楽に生きていける時代の終わり

FPN-特権階級の没落を、他人事として捉えていて良いのだろうかを読んで。

 あらためて、自分で昨日の書き込みを振り返ってみると、なんだか何の整理にもなっていない気がして反省。
 自分の中の不安のようなものをちゃんと整理するために、梅田さんが書いていた「勉強」特権階級について改めて考えてみることにします。

 振り返って考えてみると、私が最初に入った会社は、ここでいう特権階級の人たちの代表のような面があったため、忘れられない思い出がいくつかあります。

 そもそも、20年ぐらい前は、「入社する前」に出身大学や成績をもとに、出世ルートが大体三段階に分けられてたそうで。
 一番上のエリートコースで入社した人は、何もしなくても課長ぐらいまではとんとん拍子に出世するという、特権階級の見本のような組織でした。

 まぁ、死ぬほど勉強して一流大学に入ったからこそ、エリート入社できるわけで、それはそれでそういう時代だったと思うのですが。

 個人的に、その会社が特徴的だったのは、一番下の平社員コースで入った人にも特権が存在したこと。
 例えば、最初理解できなかったのが、40代後半で「課長昇進」の話が来ると断る社員。
 何でかというと、課長になると管理職になってしまうので、退職が5年早まってしまうのだそうです。

 従業員でいれば、たいして仕事をしなくても雇用は組合に守ってもらえるし、もう5年確実に在籍できるので、当然選択肢は昇進拒否。そういう人は「部長代理」という課長より偉いんだか偉くないんだか良く分からない肩書きが名刺に刷ってあったりします。
 で、年功賃金で積みあがった1000万近い年収を退職まで、ほぼ確実にもらい続けられたわけです。
 
 まぁ、10年も昔の話なので、今はもう事情が変わっていることとは思いますし、このような話が他の一般的な企業で存在するのかどうかは良く分かりませんが、明らかに彼らも今の私たちからすれば特権階級。
 そう考えると、いわゆる「勉強」特権階級というのは、かなり幅広い人を対象と呼べるのではないかと思ってしまいます。

 もちろん、エリートレベルの「勉強」特権階級の没落と同様、こういう終身雇用に守られていた特権階級を維持できる企業も中長期的には減少していくでしょう。
(ただ、この辺は何となく終身雇用制度の終わりの話であって、今議論されているチープ革命の影響の話とどれだけ連動しているのか、正直良く分からないところもあります。)

 逆に、じゃあ能力給の会社で若いうちに高いサラリーを狙っていくのが幸せな時代が来たかというと、どうもそうでもなさそうなのが悩ましいところ。

 先日、人材系の会社の社長さんと話をする機会がありましたが、何でも今一番危機意識が高いのは年収2000万円とか3000万円とか、もらっている外資系の日本法人社長のような人々だそうです。
 こういう人は私たちからすると実にうらやましい高年収なわけですが、彼に言わせると「結局のところ所詮雇われ人」。業績が悪ければ本社の意向一つで簡単に首が飛ぶし、日本法人自体がたたまれることもある。そうなった時に、年収を維持できる次の仕事が見つけられるなんて限らないわけです。

 長期的に年収300万円時代なんていわれる中で、高サラリーの人間というのは実は生活水準も高くなってしまっていて、潜在的にリスクを抱えてしまっている。ということだそうです。
 
 つまり、
 「若いうちに死ぬほど勉強して大企業に入れば一生安心」
 という選択肢は終わりつつあり。
 「若いうちに高サラリーの会社に入ってアーリーリタイア」
 なんて人生もそれほど良くなさそうという八方塞のような話。

 人生のどこかの頑張りのストックで、会社での評価が一生維持されるという時代は、変化のスピードの圧倒的な高速化によって終わってしまいつつあるということなのでしょうか。
 
 まぁ冷静に考えれば、若いときだけ努力すれば後は努力しなくても報われるという昔が極端だっただけで、今は当然の時代になったということもできますし。
 もちろん、変化が好きな人にとっては面白い時代なわけですが。
 今の60代の人たちを見ていると、たまにちょっとうらやましくなったりもするのは私だけでしょうか?
 
 
 ちなみに、その社長さん曰く、一つだけ今でも若いうちにストックする生き方があるそうで。

 それは、若いうちにとにかくリスクを取って起業して、ある程度の資産をストックしてしまうという生き方。
 いわゆる金持ち父さんと言えばいいのでしょうか。

 まぁ、それができれば苦労はしないんですが・・・

“若いころの努力のストックで楽に生きていける時代の終わり” への1件のフィードバック

  1. 徳力さん、おはようございます、

    いや、資産こそこれからのリスク社会、インフレ、デフレの極端な到来がありうる社会でうは、最大のリスクになりえます。「希望格差社会」で指摘されていてなるほどと想ったのは、リスクを回避する行動それ自体がリスクを増大させるということです。これは、(ちょっと記憶が定かでないですが)合成の誤謬的な意味でも、社会的な変動が大きくなっていくため過去の意思決定による結果が予想と大幅に異なる常態が起りうるためと説明せれていたように思います。

コメントは受け付けていません。