Grand Theft Auto IVにみる、ゲームの教育効果と負の効果の境界線

 先日、「最近のゲームに改めて感じるエデュテイメントの可能性 : tokuriki.com」という記事を書きましたが、この記事と必ずセットで書かなければと思っていたのが、昨年末にプレイしたGrand Theft Auto IVというゲームの存在です。
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 Grand Theft Autoとはいわゆる自動車強盗とか車両窃盗とかいう意味。
 そのタイトルから想像できるように、Grand Theft Autoはギャング組織の下っ端が、任務をこなしながら成り上がっていくというタイプのゲームです。
 何と言っても凄いのは世界的な人気。
 なにしろGrand Theft Auto IVの売り上げは「ハリー・ポッターと死の秘宝」が保有していたギネス世界記録を塗り替えたほどで、「今後2~3年間にこれらのゲーム(の初期の販売実績)に匹敵するゲームが登場するとはなかなか言い切れない」とアナリストに言わせてしまうほどのシリーズです。
 また一方で、「18歳の少年が『Grand Theft Auto IV』を真似てタクシージャック」とか、「『GTA IV』 “飲酒運転”に対しMADDが非難声明 レーティングの変更を求める」とか、様々な暴力的な表現でも物議をかもし、良い意味でも悪い意味でも注目されているゲームソフトです。
 まぁ、なぜそんなゲームが売れるのかはやってみないと分かるまいということで、思いきって昨年購入し、プレイしてしまいました。
 正直な話、ゲームを始めた最初は、なんだか主人公もさえない感じの汚らしいおっさんだし、こんなゲームがなんで売れるのか?と思ったりもしてしまったのですが。
 

 本当にこのゲーム、やばいぐらい良くできています。


 基本的には、Grand Theft Autoというタイトルがついているだけあって、自動車を道ばたで盗んで、その自動車であっち行ったりこっち行ったりというお使いをこなすという、都市型レースゲームというのが率直な印象。
 で、時には自動車から降りて他のギャングや警察とドンパチを繰り返すというのが、ゲームの骨子で、まぁ文字通りのギャングゲームな訳です。
 ただ、Grand Theft Autoでおどろくのは、このゲームのあまりの細部に対するこだわりと完成度の高さ。
 ゲームで表現されている待ちの景色や雰囲気はもちろん、自動車がぶつかったときの壊れていく感じだとか、街中を歩いている人たちの様々なバリエーションだとか、暴走運転に驚く表現だとか、悪態をつく様子だとか、クルマで流れているラジオのチャンネルの多彩さから、銃撃戦で血を流して倒れる姿から、主人公の部屋のテレビで流れている番組まで。
 まぁ、これでもかこれでもかというこだわりのオンパレード。
 これはまぁたしかにギネス記録をうちだすゲームだけはあります。
 最初はカッコワルイと思っていた主人公も、プレイし続けるうちにかっこよく見えてくるから不思議です。
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 ただ、やっぱり気になってしまったのが、Grand Theft Auto IVがもたらすであろう悪い意味での教育効果。
 正直な話として銃撃戦の表現自体は、このゲーム並の表現をしているゲームは他にも山ほどある気もするので個人的にはあまり気にならなかったのですが。
 後から怖くなったのがGrand Theft Auto IVの世界での運転における価値観の変化。
 Grand Theft Auto IVでは、それはもうリアルにニューヨークとかその界隈のアメリカの都市部の道路が再現されているわけですが、そこで再現されているのは車だけでなく、信号や歩行者も普通通りに存在します。
 あまりのリアルさに初心者の私は、最初の頃は信号が赤ならブレーキを踏み、歩行者をひきそうになったら慌ててブレーキを踏み、他の自動車にもぶつからないように最新のハンドルさばきをする、という現実世界そのままの安全運転をしていました。
 が、そこはもちろんギャングゲーム。
 徐々に話が進んでくると、当然そんな安全運転をしていたのでは、全く話が進みません。
 
 ライバルのギャングを追いかけるカーチェイス中に信号なんか守っている暇はありませんし、複数のパトカーに追いかけられているときに、対向車にちょっとぶつけたぐらいで車を降りるわけにいかないわけです。
 もうゲームの序盤を過ぎると、信号なんてまったく守る意識は消え失せますし、車をぶつけまくっても、壊れたらすぐに路上の車を盗めばいいやと言う前向き(?)な意識に変わっていきます。
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 で、さらに輪を掛けてまずいなと思うのが歩行者をはねたとき。
 Grand Theft Auto IVのこだわりは、こんなところにも見事に活かされてしまっており。
 なんと、人をはねると、その人がもんどりうってとんでいくのはもちろん、車に血糊がべっとりとつき、なんともいやな後味を味わうことになります。
 で、そこまでならまだ良いのですが、人間の慣れというのは恐ろしいもので。
 ゲームが終盤にさしかかると、ぎりぎりのカーチェイスのさなかに、通行人を巻き込んではねるのにすっかり慣れてしまった自分に気づきます。
 そう、最初の頃は気になっていた血糊もすっかり気にならなくなってしまうのです。
 さらにはふと気づくと、ゲームの進行にイライラして、通行人をはねた瞬間に主人公と同じように、悪態をつこうとしている自分を見つけてしまったり。
 
 もちろん、私が極端なのかもしれませんし。
 所詮ゲームの話ですから、これに影響されてしまう人は少ないと思いたいですが。
 エデュテイメントの可能性を信じている自分だけに、まだ免許を持っていない若い少年がこのゲームを日々プレイすることで、どういう感覚を持って育つかと言うことを想像すると、やっぱりついつい怖くなってしまうのは否定できなかったりするのです。
 ということで、日本では海外に比べるとあまりGrand Theft Auto IVが売れていなさそうなのは、それだけ日本が健全な社会なのかもと思いつつ。
 日本のゲームメーカーには、やはり超えてはならない一線というのは守ってもらいたいものだと思ったりします。
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 とはいえ、Grand Theft Auto IVは、単純にゲームとしてみると私がこれまでに見たゲームの中でも完成度はピカイチですので、ゲームに影響されにくいという自信があり、アメリカのゲームにおける倫理の境界線を見に行ってみたいという人は、一度覗いて見るといろんな刺激があると思います。

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カプコン 2008-10-30

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