日本企業が、中途半端に欧米のブランディングの形式だけを真似しても、かえって社内の混乱を引き起こすだけなのではないかという議論。

 今年のiMediaブランドサミット2014については、マスターカードのAdamさんのキーノートプレゼンを軸に記事を2本ほど書かせて頂きましたが、実は最終的に会場を最も沸かせたのは最終日のパネルディスカッションでした。
 個人的にもいろいろ思うところがあったので、こちらにメモしておきたいと思います。
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 最後のパネルディスカッションに登壇したのはこちらの7名のパネリスト。
 
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 imediaブランドサミットのアドバイザーでもあり、日本を代表するデジタルマーケティングの先駆者の方々と言えると思います。
 そんなメンバーの中で主なテーマとして議論になったのが「はたして日本企業にブランディングとかブランド論とかが本当に必要なのかどうか?」という話。
 登壇者の半分が外資系企業ということもあり、グローバルなブランディング論を中心に議論が進むのかと思いきや、東急ハンズの長谷川さんが関西弁で日本企業にブランド論なんかいらないという持論を展開して混ぜっ返し、会場を多いに沸かせる議論になりました。
 実は私自身はディスカッションが終わってから、真っ先に長谷川さんにあのポジションとってウケ狙うなんてズルいですと文句を言いに行ってしまった立場なのですが。
 一方で、この議論は、もう一度同じメンバーで真剣に議論して欲しいぐらい、重要な議論だと感じています。


 外資系企業のマーケッターの方の話を聞くと、必ずと言って良いほど自分の会社に明確なブランドの定義があり、グローバルでそれを維持していくために多大なエネルギーを割いているという話を良く聞きます。
 当日の議論でもやり玉に挙がっていましたが、当然のようにブランドを定義する三角形みたいな図が存在し、企業のビジョンとか特徴とかが定義され、社員はそれをしっかりと理解することが強く求められます。
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日経ビジネススペシャルより)
 で、日本企業って驚くほどこういう定義って無いのが普通だったりするんですよね。
 だから「日本にはブランド論は不要」という極論も展開しやすい事実はあると思います。
 もちろん、松下幸之助の水道哲学とか、電通の鬼の十則とか、各社の企業理念とか行動規範とかは明文化されているケースはありますし、受け継がれているケースも良く聞きます。
 でも、海外の企業ほど明確にブランドの三角形みたいなものがきちんと定義されていて、マーケティング施策とかキャンペーンを考えるときに、そこに立ち返って今回のマーケティング施策はブランドのためになってるかどうか、なんて議論をするケースというのは日本企業では比較するとかなり少ないのではないかと感じています、
 当日参加されていたある企業の元CMOの方は、実際自分もある製品のブランドの定義をしようとがんばってやってみたけど、全く上手くいかなかった。典型的な日本企業にはブランドの三角形とか本当に不要だと思う、と長谷川さんに賛同されてましたし、ある日急に経営陣が思い立ってコンサルタントにブランドコンセプトを考えさせて社員に配ったけど全く浸透しないどころかかえって混乱するばかり、みたいな話は多くの日本企業の方々に心当たりがある話だと思います。
 でも、これって日本が、社長や社員がお互い、以心伝心、あうんの呼吸で明文化しなくても「ブランド的なもの」が継承されてきたからだと思うわけです。
 日本企業にブランド論とかブランドの定義が全く存在しないわけではないんですよね。特に創業者企業とかオーナー企業なんか典型的ですが、強烈な個性を持ったトップがいる企業においては、そのトップの判断こそがブランドを体現しているもので、何かをやったら怒られ、何かをやったら褒められることにより、社員がブランド的なものを肌身で理解し、その通りに行動することで企業のブランド的なものが形成されていってるわけです。
 パネリストの一人だったサントリーの坂井さんが、「のれん」が日本のブランドにあたるものなんじゃないかとお話しされてましたが、たしかに「のれんをけがすな」というのは「ブランドイメージを守る」というのにつながると思いますし、実はこれまでもあったし、それが口頭の伝承で受け継がれていたわけですよね。
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 トヨタに勤めている人はあれだけ巨大企業になってもカイゼンというものが遺伝子の中にすりこまれているような行動を取ると聞きますし、それがトヨタの強さの一つであると思います。
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 一方で、同じ自動車業界でも、ホンダに勤めている人はホンダらしさというのを非常に良く発言されている印象があり、アシモのような製品がいち早く出てくるのもその一つの象徴な気がします。
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 そう考えると、一時期トヨタの背中を追いかける構造になっていた日産が不振に陥り、カルロス・ゴーンというカリスマ経営者の元で復活したというのも、実は社内において日産らしさが共有できていたかどうかがポイントだったのではないかと思えてしまったりする、というのはちょっと言い過ぎでしょうか。
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 もちろん、本当の企業のブランド的な遺伝子は、こんな簡単に一言で表現できるようなものではないとは思いますが。
 その会社に入り先輩の背中を見ながら、先輩に怒られながら学んでいく上で、全ての社員がその企業らしさみたいなものを身に付けていく、というのが典型的な日本企業なんじゃ無いかと思うわけです。
 一方で、いわゆるグローバル企業では、働いている人の人種や民族も宗教も違いますし、転職も多いので、入ってきた人たちに明確にブランドを理解してもらうために、明文化されたブランド論やブランドの定義が必須。
 それが典型的なブランドの三角形になっているわけで、当日のブランド論に関する主張は、どちらも正しいし、どちらも相手からすると違和感があるというのは当然なような気がしています。
 
 ただ、当日の議論を聞いていて改めて思ったのは、だからこそ日本企業は「日本人にはブランド論は不要なんだ」で終わってしまってはいけないということ。
 日本では非常に強かった企業が海外に出ていった途端に海外のスタッフに自社の企業精神的なものを上手く伝授できずに失敗したり、変質してしまったりというのは実は良く聞く話です。
 高度経済成長期に無敵の強さを誇っていた企業が、創業者から世代が移り、自社らしさを見失って迷走するというケースも多々でてしまっています。
 
 モノづくり重視ばかりを強調しすぎた結果、各社が同じような製品を横並びで作り価格競争ばかりを繰り広げたり、マーケティングが不在であることによりブランドイメージが徐々に損なわれ、世界のトップの座を奪われてしまったという事例も、残念ながら事欠きません。
 今後、縮小が目に見えている日本市場から海外に目を向けるのであれば、やはり海外のスタッフに自社の「ブランド的なもの」を理解してもらうための努力というのは必須になると思いますし、そもそも自分達が何者なのかをちゃんと理解し語れるようになるために、日本人の中でも「ブランド的なもの」の定義というのは必須なんじゃないかなと思ったりします。
 だからといって外資系企業のやり方を表面上だけ真似て三角形を作っても意味が無いというのが議論がループするポイントにはなってしまうんだと思いますが。
 
 と、こんなブログよりも非常に鋭い深いまとめが、ブランドサミットのFacebookグループで展開されていたりするので、今更ブログにこの程度のまとめを書くのは気が引けたのですが、今回の日本企業におけるブランド三角形不要論は、個人的にも今年のテーマの一つになりそうなので、敢えてメモしておきたいと思います。
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