火曜日に宣伝会議「AdverTimes(アドタイ)」の「アンバサダーの視点」に寄稿しているコラムが掲載されましたので、ご紹介します。
今回のコラムでは、前回の日本における「マーケティング」という言葉の使われ方に感じている違和感に続いて、日本における「PR」という言葉の使われ方に感じている違和感についてまとめてみました。
実はこのネタ自体は、コラムの中で紹介しているはあちゅうさんのPRガールのコラムが始まった時から、書こう書こうと思いながら、はや4年近くが経過してしまったという個人的には寝かせ続けてきた記事です。
正直、私のようなPR業界の片隅の人間からこういう問題提起をすると、さぞかし業界関係者の方から一斉に刺されるんではないかと寝かせ続けていたので、今回かなりドキドキしながら書いたんですが、思ったよりも同意して頂ける声が多くホッとしております。
ただ、一方でこのネタに同意するPR関係者の方が多いと言うこと自体がこの問題の根深さを表しているようで、パブリックリレーションにプライドを持って取り組んでいる業界の人間の一人としてはかなり複雑な気持ちです。
次はもう少しポジティブな話を書きたいと思います。
■真面目なPR業界の方々は「PR」という言葉を諦めて、「広報」に統一した方が良いのではなかろうか
前回のコラムでは、昨年のワールドマーケティングサミットでの日本のマーケティングへの問題提起を受けて、マーケティングという言葉が日本においては狭い意味で使われてしまっているのではないか、という話を書きました。
このマーケティングという言葉以上に誤解が大きくなってしまっているのが、「PR」ではないでしょうか?
アドタイコラムの読者の方々には釈迦に説法になってしまいますが、PRと言う言葉はもともとパブリックリレーションズ(Public Relations)という英単語の頭文字を省略したもの。直訳するなら大衆との関係作りというところでしょうか。
もともと第二次世界大戦中のナチスドイツなどによるプロパガンダの進化などを背景に、企業に普及していったものだそうです。このパブリックリレーションズが日本においては広報と翻訳され、PR(ピーアール)という省略語でも呼ばれるようになり、現在にいたります。
続きは、宣伝会議 AdverTimesのサイトでご覧下さい。