LINEが上場する前に絶対やっておいた方が良いと思うこと

この記事は4月11日にYahooニュースに寄稿した記事です。


LINEの拡張路線が止まりません。

3月に開催されたLINEのカンファレンスでは、LINEモバイルという格安スマホ事業の開始はもちろん、LINEのプラットフォームの一部オープン化、運用型広告の開始宣言、LINE Payカードの発行など、矢継ぎ早に発表が行われました。

オープン化、広告拡大、ポイント導入にカード発行 LINEが発表した新戦略

もちろん、フリマアプリなど一部上手く行かなかったサービスを閉鎖してますし、全ての事業が上手くいっているわけではないようですが、早くチャレンジしてダメなら早めに諦めるというサイクルが良い感じで回り続けている印象です。

以前から噂されていた上場も、いよいよ今年実施されるのではないかという観測も強まっており、今年はあらためてLINEを中心に業界がまわる年になる可能性が高そう、というのが先週の4月5日までの印象でした。

ただ、その一方でそんなLINEの盛り上がりに冷や水をぶっかける展開になったのが、こちらのニュース。

■4月6日LINE:関東財務局が立ち入り検査

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毎日新聞がLINEに対する関東財務局の立ち入り検査を報じるのです。

LINE側はこちらの記事に即座に反論。

■4月6日一部報道内容に関する当社の見解について(追記・更新あり)

毎日新聞の報道内容について「規制の適用を意図的に免れ、同法に基づいて必要とされる供託を逃れようとしたかのような報道がなされましたが、そのような事実は一切ございません。」と完全否定。

すると今度は毎日新聞から、提出資料の記述削除が意図的だったのではないかという趣旨の記事を公開。

■4月7日LINE:財務局提出の資料、通貨例削除 スマホゲーム

すぐにLINEが前述のプレスリリースに追記をすることで、資料の修正は検査対応のためではないと、これまた完全否定するという展開になりました。

これをうけて各メディアも様々な形で報道をしていますが、早くも日刊ゲンダイは、またもやLINEの上場は白紙になってしまうのではないかという趣旨の記事を公開しています。

スマホゲーム巡り立ち入り検査 LINE上場またまた絶望的

私自身は、ソーシャルゲームやゲーム内課金の専門家ではありませんので、この話題の実際のところがどうなのか良く分からないというのが正直なところで、その辺の議論は専門家にお任せしたいと思いますが。

個人的に気になったのは、今回の騒動が内部告発を起点にしている印象が強い点です。

毎日新聞の記事では「複数の関係者によると」と、内部の関係者が情報提供元であることをほのめかしていますし、「同社の担当者が昨年5月に社員らに送ったメールには」とか「昨年7月1日付で法務室が社内向けに作成した」とか内部の関係者しか知り得ない情報を入手しているらしき文章がそこかしこに登場します。

LINE側のプレスリリースを見る限り、今回の関東財務局の立ち入り検査は抜き打ちではなく定期検査のようですが、毎日新聞の記事を読む限りは抜き打ち検査にしか見えないという、ある意味ではかなり意図的な記事なわけで、毎日新聞側としては内部告発の情報をもとにスクープとしての記事化を決断したということなのではないかと推測されます。

今回騒動で取りざたされている問題点は、LINE側のリリースを見る限りは業界においてもあくまでグレーゾーンであって、関係者の方々の発言を見る限りソーシャルゲーム業界全体が抱えている課題の一つということのようですし、LINE側からすると、なぜ自社だけがこういう形で刺されるのか納得できない点は多いでしょう。

さぞかしLINEの経営陣や中の人達からすると、内部告発者に対して憤懣やるかたない展開なのは容易に想像されます。

ただ個人的に、LINEの中の方々がここで意識された方が良いのではないかなと思うのは、今後同様のグレーゾーンでの問題摘発がLINEを中心に指摘されるのが普通になっていくのではないかという点です。

丁度今回の騒動と入れ違いで、先週日経MJに下記のような記事を寄稿したのですが。

LINEモバイルの衝撃 「メッセンジャー」が主役に?

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今後LINEのメッセンジャー機能が、少なくとも日本においては、従来の固定電話や携帯電話、そしてメールなどの代わりに、コミュニケーション手段の中心になっていく可能性は非常に高くなっていますし、既に若者の間においては明確にそうなっていると感じます。

で、ポイントとなるのは、そうしたコミュニケーションのインフラ企業は、社会からの倫理規範が人一倍高い基準で求められやすいと言うことです。

LINEのような急成長中のベンチャー企業においては、ある意味「性善説」での社内の仕組みが構築されることにより、素早い経営判断や柔軟なビジネスモデル転換を可能にすることが中心になると思います。当然新しいことへのチャレンジを次々に行うことが必須であり、法律や規制が確立していない中でも積極的にグレーゾーンもある程度は攻めて追及する姿勢がなければイノベーションが起こせなくなりいます。

昨今日本でも話題になることが多い、AirBnBやUberなどの新しいシェア型のサービスが象徴でしょう。

一方で、確立されたインフラ企業において確実に求められるのは99.99%インフラが安定的に稼働することであり、内部の人間による不正やミスがインフラの根幹を揺るがさないように「性悪説」的にリスクや過大を徹底的に消し去ることです。

今年の3月におこったLINEの接続障害がNHKも含めて大々的に報じられたのが象徴的な出来事と言えるでしょう。

サービス開始当初のツイッターのようなサービスであれば、システムが落ちても猫の写真や鯨の画像でユーザーも許してくれたかもしれませんが、インフラとなったサービスが落ちたら猫や鯨では済まなくなるわけです。

当然、インフラ企業が社会一般に常識と考えられていることを破れば、通常のベンチャー企業がルールを破っている場合よりもはるかに大きい注目を集めます。

私自身が通信会社出身ですから、考えすぎだろ、といわれたらそれまでなんですが。

■ソーシャルゲーム会社から個人情報が流出

■通信会社から個人情報が流出

どちらの記事の方が深刻に見えますか?という例え話の方が分かりやすいでしょうか。

こうしたベンチャー企業が上場やインフラ化によって、急に手の平を返したように社会全般からバッシングを受ける傾向に陥る、というケースは、今に始まったことではありません。

象徴的なのはGoogleでしょう。

インターネットのシンボル的企業として急成長を遂げたGoogleが、上場後様々な批判に晒されるようになって苦悩していたという逸話は「グーグル ネット覇者の真実」という本にも詳しく綴られています。

また、日本においても、mixiが上場後にユーザーの情報流出騒動等でネガティブな話題に注目が集まってしまい、対策として登録時の携帯電話認証を必須にしたことによって、海外やスマホのユーザーを逃してしまう結果になったケースがあります。

もちろん、LINEはまだ上場はしていないので関係ない話、とも言えるのですが。

上場していなくても、既にこれだけネガティブな話題が簡単に注目されてしまうインフラ企業になっているわけで。

上場後は今回のようなグレーゾーンについては、さらに厳しくメディアに追及されるようになるのは間違いありません。

今回のように内部告発を元にした恣意的な問題提起も、さらにリスクが増えるでしょう。

特に個人的に注意しなければいけないのではないかと感じるのは、LINEがコミュニケーションサービス企業であると同時に、ソーシャルゲームによる収益が3分の1を占めるソーシャルゲーム企業でもあると言う点です。

今回の騒動に見られるように、ソーシャルゲーム業界はその収益性の高さに対して、業界の自主ルールや倫理規範が他の業界に比べると一段二段低いように見えると言うのが正直な印象です。

最近も、やまもといちろうさんがサイバーエージェントグループとグラブルの高額課金問題を議論していましたが、同様の問題がLINEで発生すれば、より一層強い批判を受けることになるのは間違いないでしょう。

「グラブル」高額課金をサイバー副社長に問う

今回のような高額課金騒動が、「ソーシャルゲーム業界全体の問題だ」と社会から糾弾された場合、LINEもソーシャルゲーム業界でトップクラスの売上を誇る業界をリードする企業として、批判の矢面に立たされるリスクもあります。

今回のようなソーシャルゲーム業界への批判騒動は、えてしてソーシャルゲームのユーザーには届いていなかったり、届いていても意に介していなかったりするものですが、LINEをコミュニケーションサービスとして利用しているユーザーの一部にはおおいに影響するかもしれないわけです。

せっかくインフラとしての地位を確立しつつあるLINEのメッセンジャーサービスが、ソーシャルゲーム側の批判でイメージを悪くしてしまうとしたら実にもったいない話です。

そういう意味で、今回の騒動をきっかけに、LINE全体のコンプライアンスや社内ルールを、性善説ではなくある程度性悪説の視点に立って一旦全て見直してみる、というのがLINEが上場前にしておくべき重要なポイントになるのではないかと感じています。

もちろん、それによっていわゆる典型的な大企業病になってしまっては、上場する意味すら無くなってしまうかもしれないので、イノベーティブでスピーディーな決断ができる現在のLINEの文化を維持したままでそれをどうやって実現するか、というのを中の方々も日々頭を悩ませておられることと思いますが。

上場した後に次々とグレーゾーンを指摘されて、せっかくインフラ化しつつあるサービスのイメージが悪化するよりははるかにマシだと思ったりします。

まぁ、LINEが原因でないトラブルも記事タイトルにLINEが入ってるケースは珍しくありませんし、こんな話はLINEの中では散々議論され尽くしていると思いますし。

クラス分け案、LINEで拡散 置き忘れ? 大分の高校

山口組vs神戸山口組 仁義なき「LINE抗争」勃発

だからこそLINE側では利用者向けの啓蒙活動にも力を入れているんだと思いますし、ソーシャルゲーム側についても同様に対応をされていることと思いますが。

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いずれにしても、今回の騒動が上場前の最後の騒動だったと振り返れることを期待したいと思います。

ちなみに、個人的にはベッキーの不倫騒動におけるLINEの画面キャプチャの報道利用自体も、ある意味利用者の通信の秘密が侵害された行為としてLINE自らが週刊文春に抗議するぐらいのことをポーズでやってもいいんじゃないかと勝手なことを思ったりもするわけですが。

長くなりましたので今日の所はこの辺で。

「保育園落ちた日本死ね」を便所の落書き扱いする政治家自身が、炎上に油を注いでいるという皮肉

この記事は3月17日にYahooニュースに寄稿した記事です。


保育園落ちた騒動の波紋が続いているようです。

私自身は保育園問題についての専門家ではありませんので、この話題について言及するかどうかはかなり悩んだのですが。

どうにも今回の騒動に対する政治家の方々のリアクションが、あまりに本質から外れてる気がして気になるので、遅ればせながら問題提起してみることにしました。

直近で話題になっていたのは、こちらの杉並区議の炎上騒動。

「『保育園落ちた日本死ね』は便所の落書き」田中裕太郎・杉並区議のブログに批判続出

要はこちらの杉並区議の方からすると、「インターネット上に「日本死ね」などと書き込む」人は不心得者であって、「そんな便所の落書きをおだてる愚かなマスコミ、便所の落書きにいちいち振り回される愚かな政治家」が問題だということが言いたかったようです。

実際問題、日本においては2ちゃんねるに代表される匿名掲示板で様々な問題があった印象が強いため、ネット上の投稿、特に匿名の投稿を便所の落書きと捉える傾向は、年配の方々において未だに強くあると感じます。

実際にそういう投稿が多い事実は否定できませんし、特に今回の匿名ブログが「日本死ね」という非常に強い言葉を使ったことは、こうした批判を増やす理由になっているでしょう。

さらに、先週には共産党の吉良議員が騒動に便乗していたことも話題になり、匿名ブログからの一連の騒動が共産党の仕込みだったのではないかという見方も一部に根強いようです。

共産も便乗? 吉良氏「わが家も認可園落ちた」ツイッター書き込み 「収入面から入園は困難」との声も

個人的にも正直、この便乗行為は政治家としてどうかと思いますが。

ただ、この一連の騒動に対するブログの言葉遣いに対する指摘や非難、そして陰謀論は、今回の騒動の本質を勘違いしている気がします。

今回の騒動を時系列に整理してみるとこんな感じです。

保育園落ちた騒動の経緯

■2月15日 はてな匿名ダイアリーに記事が投稿される

保育園落ちた日本死ね!!!

■2月16日~17日 おときた都議やフローレンスの駒崎氏がブログで反応

「保育園落ちた日本死ね!!!」って言われたけど、むしろ東京都は保育園をつくるべきではない理由

「保育園落ちた日本死ね」と叫んだ人に伝えたい、保育園が増えない理由

■2月17日 ネットメディアで次々に話題のニュースとして取り上げられる

■2月17日~18日 一部テレビでも取り上げられる

■話題は続くも、その後一旦沈静化

■2月29日 衆院予算委員会で安倍首相が「本当か確認しようがない」と発言。ヤジも話題に

■3月1日 主にネットメディアで予算委員会のやり取りが話題に

「保育園落ちた日本死ね」ブログに安倍首相「本当か確認しようがない」、国会では「誰が書いたんだよ」などのヤジ

■3月2日#保育園落ちたの私だというツイッターへの投稿が増え始まる

■3月3日 Change.orgで署名募集が始まる 2日で署名が2万人突破

#保育園落ちたの私と私の仲間だ #保育園落ちたの私だ

■3月4日~5日 国会議事堂前でスタンディングによる抗議行動が行われる

国会議事堂前で「保育園落ちたの私だ」スタンディング 「行政の怠慢を親の自己責任にするな」の声

■並行して、さらに多くのテレビ番組で取り上げられる

■3月10日 ヤジを飛ばした平沢議員がテレビ番組で謝罪するも再炎上

平沢勝栄議員、番組でヤジ謝罪。でも「本当に女性が書いた文書ですか」

■3月16日 『保育園落ちた日本死ね』は便所の落書き」という記事が話題に。

最初のはてな匿名ダイアリーの記事が書かれてから、今週で既に一ヶ月が経過していますが、一ヶ月の間でのあまりに綺麗な話題のスパイラルに、陰謀論を唱える人が出てくるのも分からなくもありません。

ただ、正直、過去に、ここまではてな匿名ダイアリーへの投稿がマスメディアで取り上げられた事例はないと思いますし、こんなすごい絵を最初からかける人がいるなら、もっと昔から話題になってるのではと思います。

実際問題、最初のブログ記事を書いた人、#保育園落ちたの私だ 投稿を始めた人、国会前スタンディングを提案した人、Change.orgの署名活動を始めた人は、それぞれ別の人っぽいですので、最初から野党が仕掛けたというよりは、自然発生的な騒動に便乗した野党がいるために問題がややこしくなったというのが本質な気がします。

保育園落ちた騒動に火をつけたのは、国会答弁の対応ミス

特に重要な点と言えるのが、そもそも冷静に見て頂くとこの騒動に火をつけたのは、実は最初のブログの書き手ではなく、国会対応の対応ミスであるという点です。

文字だと分かりづらいと思いますので境さんがYahooニュースに投稿されていたこちらのグラフを見て下さい。

「 #保育園落ちたの私だ」無名の母親たちが起こした、空気に対する革命

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最初のブログの話題度も大きかったとは思いますが、実は世論を動かすほどの大きな話題になった転換点は、明らかに2月29日の国会答弁とヤジです。

実際の国会答弁の詳細を見る限り、実は安倍総理は「本当か確認しようがない」という発言の後に、待機児童について対策をしていくこと自体も表明しているのですが、致命的だったのが平沢議員のヤジでしょう。

平沢議員からすると、匿名の投稿自体を本気で未だに疑っているようですし、匿名のネット投稿に対する否定的な感情がテレビ出演の時にもにじみ出ていました。冒頭の記事を便所の落書き扱いしている杉並区議も、同様な感情を抱いているのは明白です。

特にネット上で実名で情報発信をしている人が匿名の人に絡まれたときにする典型的な対応とも言えるのが、こうした「匿名で発信せずに実名で堂々と発言しろ」という反応です。

ただ、それは違うんですよね。

この国会答弁の時点でこの問題はこのブログの書き手一人の問題では無く、それに多くの人達が共感していたという点にあったんです。

ブログを書いた人が本物かどうか、野党による仕込みだったのではないか、というのはこのタイミングでは全く本質的な問題では無く。

この記事の発言に対して既に多くの賛同が集まっている、という事実に目を向けなければいけなかったわけです。

結果的に安倍総理の「本当か確認しようがない」という発言と平沢議員のヤジは、お二人にとってはブログの書き手個人の話をしているつもりだったのでしょうが、実際にはこのブログの書き手と自分の境遇をだぶらせていた多くの親や視聴者の神経を逆なでする攻撃として受け止められました。

この答弁がなければ、この話題はそれ以外の騒動にかき消されて、ネット上のプチ炎上騒動で終わっていた可能性も高かったわけで。

実は、国会答弁における対応ミスが、政治家の無神経さに対する怒りのエネルギーとなり、その後の #保育園落ちたの私だ 投稿や、スタンディングや署名活動というリアルな運動につながっていくことになるわけです。

ある意味、ヤジをしたこと自体が導火線にわざわざ火をつける自爆に近い行為だったと言えます。

こうした初動対応のミスが炎上を生むことになるというのは、実はオリンピックエンブレム騒動や過去の企業の炎上騒動と同じ構造にあると言えますから、珍しいことではなく、いざ現場にいると勘違いしてしまいがちという現実があるのは間違いありません。

■参考:五輪エンブレム騒動に私たちが学ぶべき炎上対応4つの基本

匿名の過激発言ブログだからこそ発生した話題のスパイラル

実際問題、この匿名ブログが、実名であればここまで政治家の方々が陰謀論と思い込むこともなかったでしょうし、「日本死ね」という非常に強い言葉を使わなければ、ここまで脊髄反射なヤジはなかったでしょうから、ある意味皮肉な結果と言えるかもしれません。

また、最初のブログが実名のブログだったら、ここまで多くの人達が共感することは実はなかっただろうというのも興味深い点です。

この問題は、共産党の吉良氏が政治的に便乗してるだけではないか?とやり玉に挙がり年収問題を指摘されていたように、実名で発信していると個人の問題にされてしまうという非常にナイーブな問題です。

特にややこしいのが、収入がある人ほど落ちる傾向にある、という保育園問題の構造。

当然実名で都内に住んでる人が「保育園落ちた」と問題提起すると「収入高いからだろ」とか「田舎に住めば良いのに」とか具体的な批判がされることが容易に想像されます。

もし今回のブログの書き手が実名で書いていれば、一部の親は自分よりも恵まれているから当然だ、とか、自分とは環境が違うから他人事だ、と思われてしまった可能性もあるわけです。

実名で過去の経歴や職場などが分かる人であれば、やれこの人は右だからとか左だからとか、会社がそういう会社だからとか、別の理由でやりこめられてしまっていた可能性もあるでしょう。

匿名という一見弱い存在でもあり、存在を疑われるような投稿だったからこそ、多くの人達が自分のことだ、と共感できた可能性が高いわけです。

実際、ブログの書き手の方は複数のメディアの取材に対応されて、「保育所の不承諾通知を受け取ったあと、感情の赴くままにわずか数分で書き上げた文章で大勢の人に見られるということを意識していなかった」と発言されているようですが、おそらく本当にそうなのでしょう。

「保育園落ちた日本死ね!」書き込んだ女性が現在の心境を明かす

正直私も記事を初日に見たときは、あまりに感情のままに書かれた文章なので、これじゃマスメディアは取り上げないだろうなと思ってしまった記憶があります(その予測はおおいに裏切られたわけですが)

匿名だからこそ本音で書けた魂の叫びだからこそ、多くの人達の共感を生み

匿名だからこそ書けた罵詈雑言に近い文章だからこそ、一部の人達による陰謀論や感情的反発をうみ

匿名だからこそ生まれた多くの感情移入があるから、記事への批判や反発に対してさらに多くの人達の共感を生む結果になった

というのが、今回の騒動の本質的な構造ではないかなと思います。

ということで、政治家の方々は、いい加減ブログ記事の言葉遣いとか匿名であること自体を批判しても無駄に炎上が広がるばかりだと思うので、問題の本質と真剣に向き合った方が良いのではと思う次第です。

ちなみに、アラブの春という言葉に代表されるようなソーシャルメディアでつながった人達による革命は、アラブにおいては実名の個人の活動や犠牲が起点となって広がることが多かった印象がありますが。

今回の保育園落ちた日本死ね騒動は、匿名での情報発信が多い日本ならではのプチ革命の一つの形なのかもしれないな、と思ったりするのは私だけでしょうか?

これまた一方で昨日から話題のショーンKさんの経歴詐称騒動への批判の拡がりには、また別の思いを感じるところですが。

長くなりましたので今日の所はこの辺で。

五輪エンブレム騒動に私たちが学ぶべき炎上対応4つの基本 をYahoo!ニュースに寄稿しました。

 このたび、Yahoo!ニュース個人に場所を頂きまして、ブログ記事の一部を寄稿させて頂くことになりました。
 ただでも、ブログの更新が滞っているのに、Yahoo!ニュースの寄稿なんて続くのか?と思って長らく挑戦しようとしていなかったのですが、比較的自由な執筆サイクルで良いとの寛大なお言葉を頂いたので、思い切って挑戦させて頂いた次第です。

151029tokuriki

 コラムのタイトルとなっている「ネットコミュニケーションの視点」は、もともとこのtokuriki.comのブログにつけていた名称です。
 今はカテゴリの名称にしてしまってますが、この機会に昔のようなニュース考察系のブログを再開してYahoo!に寄稿してみようと復活させてみました。

 で、実は、Yahoo!ニュース個人に場所をいただきたいと思った背景が、今回の1本目の記事である「五輪エンブレム騒動に私たちが学ぶべき炎上対応4つの基本」になります。
 五輪エンブレム騒動は、横目で見ながら本当に日々悲しく感じていたのですが、ブログで書いたところでたいしてインパクトないだろうし、とか、表で書くとバッシングされそうだし、と悶々としていたところ。
 深津さんのエンブレムデザインについての記事を拝見して、やっぱり自分が思っていることを、ちゃんとできるだけ多くの人に読んでもらえる可能性が高い場所に書いた方が良いのかもしれないと背中を押されて、Yahoo!ニュース個人の門をくぐった次第です。

 お陰様で寄稿開始のご祝儀だと思いますが、光栄なことになんとYahoo!トピックスにも取り上げて頂いたようで、たくさんの反応を頂きました。

151029yahootopics

 正直、五輪エンブレム騒動についての自分の意見を述べたことで、Yahoo!ニュース個人に場所を頂いた目的をすっかり達成してしまった上に、期待値が随分と上がってしまったので、今後はもう二度とこのピークを越えられないんじゃないかという確信を持ってしまったりしていますが。
 ブログの延長として気長に寄稿を続けさせていただきたいと思いますので、よろしくお願いします。

 なお、一応ブログの方にロゴに残すという趣旨で、Yahoo!ニュース側に寄稿した内容をコピペして投稿しておきますが、画像等はYahoo!の方に入っていてその方が読みやすいのでそちらで是非どうぞ。
 


五輪エンブレム騒動に私たちが学ぶべき炎上対応4つの基本

 五輪エンブレム騒動のもやもやが全く消えない今日この頃、皆さんはいかがお過ごしでしょうか?

 個人的には一人の日本人として、素直に2020年のオリンピックを楽しみに待っていたかったのに、新国立競技場に、五輪エンブレムに、とまさかの白紙撤回が続くこの状況に、なんとも複雑な感情を抱かざるを得ません。

 特に今回の五輪エンブレム騒動においては、炎上対応における典型的な悪手が続けざまに繰り出されてしまった結果、騒動の当初、デザインの専門家からすれば特に問題の無かったはずの五輪エンブレムが、結果的に白紙撤回されてしまうという異常事態になりました。

 これにより、一般人にとっては「ロゴが似ていたら撤回するのが当然」という印象を与えてしまう結果となっています。
 先日東京都が発表したロゴに対しても早速同様の横やりが入ってしまったようですし、類似の炎上騒動は五輪以外のところにも飛び火してしまっています。今後、新ロゴを発表する全ての企業が同様の洗礼を受ける可能性が高くなってしまったわけで、今回の騒動はこれからの東京オリンピックどころか、今後の日本産業全体にとって大きな禍根を残してしまった出来事として歴史に残る可能性すらあります。

 新しいエンブレムについてもこれから公募が始まるレベルでまだまだ騒動が無事に落ち着くかどうかは予断を許さない状況ですが、せめて今回の騒動から、学ぶべき所を学び、今後同様の騒動が起こった際に今回のような最悪の結果にならないために、実際に自分達が同じような状況に追い込まれてしまったらどうするべきか、という観点で今回の騒動を振り返ってみたいと思います。
(なお、以下文章においては東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会を組織委員会と省略して記載しています。)

 今回の炎上騒動が最終的に最悪の結果になってしまった背景には、炎上対応の失敗例の典型である4つの要因が存在すると考えています。

■初動の遅れは取り返せない
■炎上原因の誤解がさらなる炎上の火種に
■メディア対応における逆ギレは致命傷
■責任者の不在こそが最大の問題

 一つずつ解説しましょう。

■初動の遅れは取り返せない

 まず、大抵の大炎上事例で必ず言われるのがこの「初動の遅れ」です。
 今回のエンブレム騒動の初期の出来事を時系列に振り返るとこうなります。

7月24日エンブレムが発表
7月27日オリビエ・ドビ氏がFacebookやツイッターで類似性を指摘、ネットで話題に
7月29日ドビ氏の法的対応検討が各種メディアで話題に
7月31日ドビ氏側が使用停止を求める書簡を送付
7月31日佐野氏側は組織委員会を通じてコメントを発表
8月3日書簡の到着がニュースに
8月5日第1回釈明会見
 

 29日に法的対応の検討についての報道があってから、佐野氏側がコメントを発表するまでは中1日。
 27日に類似性の指摘が話題になってから実際には3日以上沈黙を貫いていたという印象を持たれてしまったのが、まず大きいです。

 佐野氏がソーシャルメディアアカウントを削除していた関係で、余計な憶測をされてしまったのも疑惑を大きくしているようですが、さらには、類似性の問題について報道されてから会見まで1週間も間が空いてしまっているというのはかなり問題です。

 背景には佐野氏の海外出張が重なっていたことが影響しているようで実に不運だったと言えますが、31日に発表されたコメントでは詳細が説明されておらず帰国後に会見して見解を表明すると簡単なコメントを発表しただけだったため、疑惑が疑惑のまま憶測を呼び、5日の記者発表会まで話題が広がる結果となっています。
 今回の騒動にとってはこのタイムラグは致命的でした。

 その間にネット上は様々な憶測が広がりましたが、メディアの記者の方々も明らかにそれらの発言に目を通してから記者会見に望んでおり、それらの憶測を前提とした質問が次々に飛び出す形となっています。
 
 例えば炎上鎮火の成功事例として知られるUCCのケースでは、炎上騒動が発生したその日の夕方にUCC側が謝罪のプレスリリースを出したことで、逆にツイッターユーザーが感心する、という結果になりました。

参考:見事な“鎮火”はなぜ可能だったのか UCCの事例から考えるTwitterマーケティング

 ネットの炎上においては沈黙は事実の肯定と受け止められがちです。
 当然、企業側が炎上に対して反応することによって、より炎上の事実を多くの人に知らしめてしまうというデメリットはありますが、炎上や疑惑が大きくなれば大きくなるほど、ちょっとやそっとの反論では信じてもらえなくなってしまいます。

 逆に言えば、もしドビ氏による類似性の指摘に対して、組織委員会や佐野氏側が早期に否定するなり、直接ドビ氏とのコミュニケーションを取って和解をすることができていたら、ここまでの炎上にはならなかったかもしれないということも言えるわけです。

■炎上原因の誤解がさらなる炎上の火種に

 ただ今回の五輪エンブレム騒動において、騒動の方向性が炎上拡大に向かってしまった最大の原因は、おそらくこの問題の火種の背景に対する誤解でしょう。

 組織委員会は、問題の根本は当然「エンブレムが似ていること」だと認識されていたと思いますが、実はこの段階で炎上の原因となっている根本的な問題は、新国立競技場問題から続く、「オリンピック組織委員会全体への不信感」にありました。
 この炎上原因に対する認識のズレが、さらなる炎上を招く結果となります。
 
 8月5日の釈明会見においては、終始デザインにおける法的・技術的な視点を軸に、ドビ氏側の使用停止要求に対する防衛的な説明が行われます。当然、問題の発端はドビ氏側の使用停止要求にあり、それに対して法的見解から回答するのは法的には当然のことです。

 ただ、重要なポイントは既にこの時点では、この問題は単なる法的な問題では無く、新国立競技場問題から続く組織委員会の不祥事として、国民的関心事である報道対象になってしまっていたという点です。
 つまり、国民が求めているのは度重なる不祥事に対するお詫びの言葉であって、この際技術的な細かい説明は役に立たない状況に陥っているわけです。

 当時、このデザインの類似性に対するドビ氏側の要求は、ドビ氏側が商標登録等を行っていなかったため、業界の常識としては日本側に分があるというのが一般的な見方でした。
 そのため、会見の雰囲気としてもどちらかというと佐野氏をはじめ組織委員会関係者はドビ氏側に対する困惑や不信感を表明していた印象を受けています。

 ただ、実はこれは国民的関心事になっている記者会見の場においては、登壇者から発せられるドビ氏に対する困惑や不信感が、メディアや視聴者に向けられていると誤解されるリスクがある行為です。

 実際、もし新国立競技場問題がなければ、今回の五輪エンブレム騒動が冒頭からこれだけ注目されることはおそらくなかったでしょう。
 そういう意味では佐野氏側には非常に不幸な環境になってしまっていたという現実はあります。

 ただ、逆に言うとその現実を踏まえずに、法的・技術的釈明会見を行ってしまったのは明らかに失敗です。
 事前に組織委員会に対する疑惑や憶測の印象を強く受けていた人々は、会見での謝罪の言葉を期待していたはずですが、佐野氏が強い言葉で完全否定を行ったことで、ある意味自分に対して反論されたという印象すら持ってしまった可能性があります。
 疑惑に対する完全否定が、逆に疑惑を持っている人への挑戦状となってしまったわけです。

参考:「まったくの事実無根」 東京五輪エンブレムのデザイナーが会見、盗用疑惑を強く否定 書体など詳細も説明

 このエネルギーが、この記者発表会のあと展開される佐野氏の過去の仕事に対する粗探しを行うエネルギーになってしまった可能性が高い、と考えられます。

 同様の構造問題で参考になる事例が、トヨタのプリウスでブレーキ問題が議論を呼んだ2010年2月の記者説明会です。
 この際も、記者説明会においてトヨタの経営陣は、専門家に対して問題の技術的背景を説明することに終始しました。それにより専門家は納得したものの、その会見を見た視聴者はトヨタはユーザーに謝罪をしようとしていないと受け止めてしまい、さらに騒動が拡大する結果となってしまっています。

参考:トヨタ幹部「クレーム隠しではない」 プリウス問題

 今回の五輪エンブレム会見も、構造は同じです。
 本来、この問題は、新国立競技場に続く、組織委員会の不祥事として国民には受け止められていました。
 まず、この記者会見でされるべきは、国民に不安を与えていることへの謝罪であるべきで、ドビ氏への対応については真摯に説明して理解を得たいという程度の説明でも良かったかもしれません。

 いずれにしても、この会見がきっかけとなり、ネット上では佐野氏の過去の仕事に対する粗探しが本格化する結果となりますから、せっかくの会見の場を逆に敵を増やす場にしてしまったのは実に残念な結果といわざるを得ません。

■メディア対応における逆ギレは致命的

 さらに佐野氏側の対応で事態の悪化に輪をかけたのがメディアに対する広報対応です。
 様々な情報を伝え聞く限り、会見後の佐野氏側の広報対応はお世辞にも良いとは言えない状況になってしまっていたようです。

 佐野氏側からすると、ドビ氏の行動により自分達があのような状況に追い込まれて、自分達が被害者であるという意識が強かったであろうことは容易に想像出来ます。別の仕事におけるトレース問題によって、エンブレムに対しても疑惑が広がってしまった状態で、四面楚歌の状態に陥り、メディアに対しても不信感を持ってしまっていたこともあるでしょう。

 ただ、ここまで世間の注目が集まっている中での、メディアに対する逆ギレ対応は完全に致命傷となります。

参考:佐野氏広報担当が「サントリー」問題を謝罪 それ以外の疑惑は「何一つない」

 例えば、上記のスポーツ報知の記事では、「徒歩で会場入りした佐野氏は、報道陣のカメラを目にするなり「撮らないでもらえますか」と不機嫌な表情。呼びかけには応じることなく、中へと入った。」や「語気を強めて「1個ミスしたらすべてダメになるんですか? エンブレムの制作過程に何か問題があるのですか?」とまくし立てる場面もあった。」、「佐野氏は終了後も報道陣に対応することはなく、タクシーで会場を後にした。」など、明らかに佐野氏側のメディア対応が強気なものであったことが伺えます。

 疑惑の火が消えずに敵に回っている人が増えている状況で、ネットだけでなくマスメディアの記者の方々も敵に回してしまうのは、致命的です。

 同様の失敗事例は、雪印集団食中毒事件での当時の雪印社長による「わたしは寝ていないんだよ!!」発言や、集団食中毒を引き起こした「焼肉酒家えびす」の社長による逆ギレ会見が有名です。

参考:逆ギレしたかと思うと涙の土下座 「集団食中毒」社長態度一変の理由

 仮にその場でのメディアの取材が行きすぎたものであったとしても、それに対して逆ギレして発言をすると、他のメディアや視聴者も、その逆ギレの矛先が自分であると受け止めてしまい敵に回ることになります。
 本来メディアが同情的な状況で、メディアに対して冷静な対応ができていれば、上記の佐野氏広報担当の謝罪記事も全く記事のトーンが変わります。
 
 それが逆ギレにより、メディアの記事があそこまで批判的に書かれてしまうと、これを見た読者も敵に回るという負の連鎖が発生するわけです。

 特に佐野氏の事務所におけるトレース問題をスタッフの責任にした上でのこの逆ギレは、政治家が不祥事を秘書の責任にして自分は責任回避をする典型的なパターンという印象を免れません。残念ながら自爆に近い、非常に問題のある対応だったと言えるでしょう。

 ネット上での疑惑が消えないからこそ、せめてメディアに対する対応は冷静に行わなければならなかったのですが、この構造によりもはやこの騒動は止められないところまで来てしまっていたと言えます。

■責任者の不在こそが最大の問題

 最終的に、今回の五輪エンブレム騒動は、何とか事態を収束したいと考えた組織委員会が再度8月28日に会見を行い、再度技術的な説明を行うことで疑惑の払拭に努めようとしますが、最初の案にも類似のロゴが存在することや、説明時に利用した資料自体に画像の盗用が存在することが指摘されることになり逆に深刻な延焼を引き起こしました。

 その結果、最終的に佐野氏側が模倣については完全否定を続けながらも、エンブレムについては白紙撤回をする、という非常に分かりづらい結果となってしまいます。

参考:ついに白紙撤回。五輪エンブレムはなぜ炎上したか?

 最初から最後まで、もやもやが続く残念な展開だったと言えるでしょう。

 このもやもやが続いている状況という点に、今回の炎上の最大の原因であり最大の問題であるポイントが隠れています。
 それが「責任者の不在」です。

 先ほど、プリウスのブレーキ問題において、トヨタ側が炎上の火種の背景を見誤った質疑対応を会見でしてしまい炎上が広がった事例をご紹介しましたが、トヨタ側はその後スタンスを変えます。
 最終的には豊田章男社長が自ら米国の公聴会で謝罪をし、その後販売店や工場の従業員を集めた会合にも出席、アメリカのテレビ局・CNNに向かい、トーク番組にも生出演するなど、あえて厳しい場にも社長自ら出ることによって積極的に謝罪を行い、世間のムードを大きく変えることに成功しました。
 この騒動の豊田章男氏の最終的な対応については多くの方々が賛辞を送っています。

参考:豊田章男の涙:日本人の心を掴む「男泣きの作法」 名経営者のコミュニケーション術
 

 この際にポイントになっているのがリーダーシップのある責任者による誠意ある謝罪です。
 
 そもそも、今回の五輪エンブレム騒動において、騒動に対してリーダーシップを持って対応しなければいけないのは組織委員会であって、エンブレムを応募した佐野氏ではなかったはずです。
 新国立競技場の白紙撤回に至る経緯においても、組織委員会や関係者が全ての責任をザハ氏のデザインに押しつけるような議論が目につきましたが、本来は公募を通じて選ばれた新国立競技場やエンブレムのデザインは、組織委員会側が選んだ時点で全ての責任の主語が組織委員会に移っていると考えるのが普通でしょう。

 さらに、今回の五輪エンブレム騒動においては、最終的に選ばれていたエンブレムは、佐野氏が応募したデザインが元となり組織委員会との繰り返しのやり取りにおいて完成したものであることが明白になっています。
 そういう意味では、実は明らかに今回のエンブレムは佐野氏と組織委員会の共同作業による成果物であり、最初の会見でいかにも佐野氏個人によるデザインであるように説明させた時点から対応を間違ってしまったというのが率直な印象です。

 実際には、騒動が発覚したタイミングで、リーダーシップを持った責任者が出てきて、率直に五輪エンブレムについて国民に不信感を持たせるような結果になっていることをお詫びすることが、あの段階で一番必要なことだったと考えられます。
 
 少なくともドビ氏の法的措置が明確になった会見のタイミングで、責任者が登場し、騒動に対するお詫びを誠意を持って国民に対して伝え、ドビ氏の法的措置に対しては委員会側で誠意を持って理解して頂けるように努めたい、と説明していれば、相当印象は違ったはずです。

 もしくは、今回の五輪エンブレムを選んだ思いや、エンブレムも含めたオリンピック全体に対する熱意を説明することで、ベルギーのロゴに結果的に似てしまったことをお詫びしつつ、是非このエンブレムで本大会を迎えたいから支援して欲しいと誠意を持ってお願いすることで、世論にドビ氏ではなく日本側、組織委員会側の味方になってもらうという選択肢もあったはずです。

 そうした責任者の誠意ある説明や、騒動自体に対する謝罪によって事態が沈静化すれば、実は佐野氏個人の仕事に対しての粗探しが始まることもなかったかもしれませんし、佐野氏がメディアに対して逆ギレすることもなかったかもしれませんし、佐野氏の内部資料を基にした弁明会見を行うことでさらなる画像転用の問題が注目されることも、そもそもなかったかもしれません。

 そうすれば、ここまで私たちが楽しみにすべき2020年のオリンピックに対して複雑な気持ちになることもなかったかもしれないわけです。

■五輪エンブレム騒動を良いきっかけにするために
 
 もちろん、五輪組織委員会のようなプロジェクトチーム的な組織は、様々な場所から集まった人々で組織されている委員会でしょうし、通常の企業のように明確にリーダーシップを持った方が統率している組織ではないのかもしれません。
 ドビ氏が法的措置をちらつかせた段階で、IOCも巻き込まれてしまい、組織委員会だけでは対応出来ない問題になってしまったという事実も悪い方向に影響してしまっているとも聞きますから、組織委員会の方々だけの権限では対応が難しかった問題なのかもしれません。

 そもそも、佐野氏の仕事における管理体制自体に対するプロの方々からの問題提起も聞こえますから、佐野氏が選ばれた時点で、組織委員会としてはどうしようもなかったという見方もあるかもしれません。
 また、こうした議論は全て後から振り返った「たられば」の話であって、今更しても仕方がない話なのは明白です。

 ただ、今回の五輪エンブレム騒動の真に恐ろしいのは、まだ最初の案の白紙撤回がされただけであって、新国立競技場同様ゴールが全く見えていないという点です。
 組織委員会の対応が、今後も同様に責任者不在のように見える対応を続けた場合、広くエンブレムを公募で集めようがプロセスをオープン化しようが、第二の五輪エンブレム騒動がおこった際に、同様の対応をしてしまうと、また同じネガティブスパイラルに入ってしまう可能性が否定出来ません。

 今、組織委員会の方々に是非行っておいていただきたいのは、何故ここまで技術的には問題が無かったはずの五輪エンブレム騒動が、オリンピックの歴史に残る汚点になりかねない騒動になってしまったのか、という振り返りと総括だと思います。
 
 逆に言えば、今回の騒動をきっかけに、オリンピックに批判的な方々とのコミュニケーションのあり方を認識し、オリンピック招致の際に実現出来たはずの日本全体を巻き込んで盛り上げていくようなコミュニケーションのスタイルを再度確立することができれば、オリンピック開催の折には今回の騒動が良いきっかけになったと振り返ることも可能だと感じます。
 また、まさにそのために「東京2020エンブレム委員会」に様々な方々が参加され議論を尽くされていることを期待しています。

参考:エンブレム選考特設ページ #東京2020エンブレム

 2020年に見せてもらえるだろう感動を、私たちが素直な気持ちで心から感動として受け止めることができるように、是非組織委員会やオリンピック関係者の方々には、今回の騒動をなんとか参考にしてこれ以上の同様の騒動の再発を防いで頂きたいと思いますし。
 開催前の騒動すら忘れさられてしまうぐらい、素晴らしい感動だけが記憶に残る東京オリンピックが開催されるために、がんばって頂きたいと、心から祈る今日この頃です。

マス広告による大量リーチと、エンゲージメントを重視した手法の比較に意味があるのか adtech関西で議論したいと思います。

来週に開催されるadtech関西で、「エンゲージメント重視のアプローチはビジネス成果につながるのか?」というセッションのモデレーターをさせて頂くのですが、タイトルに横文字が多くてセッション内容を誤解されている方がおられそうなので、こちらで何を議論したいのか、という話を書いておきたいと思います。

通常のadtechのセッションは、公募されたスピーカーの方々で構成されていることが多いのですが、今回のセッションに関しては、個人的にも話を聞いてみたいと思った3名のスピーカーの方々に直接私の方でコンタクトして登壇をお願いさせていただきました。

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adtech関西ということで、お三方とも関西の企業にこだわってお願いをしました。
そういう意味では、今回のセッションは個人的にも非常に思いがこもっているセッションです。

「エンゲージメント重視のアプローチはビジネス成果につながるのか?」というセッションタイトルだけを聞かれると、ちょっとこのセッションで意図してることが伝わりづらいかもしれません。

150907engage実はスピーカーの方にも、セッション概要をご説明したら「うちはFacebookページ注力してないんですよ」と断られそうになったことがありましたが、ここでいうエンゲージメント重視はFacebookのエンゲージメント率重視という話では無く、広い意味での「顧客との関係構築」を重視したアプローチのことです。

ブライアン・ソリスが「Engage!」という本を出してましたが、せっかくネットやソーシャルメディアで顧客とつながれるようになったんだから、もっと関わろうよ、というイメージですね。

このエンゲージメント重視の対極にあるのが、普段私が個人的に問題意識として感じている「リーチのみを重視したアプローチ」の君臨です。

まぁ、私自身がアンバサダープログラムとかソーシャルメディア側のプレイヤーなので、エンゲージメントを重視するのは当然だろ、という話ではありますし。
実際日本はマスメディアが非常に強いのでリーチ重視のアプローチで成果を出すことが向いている国だとは思うのですが。

それにしても日本においては、多くの企業が広告の効果測定指標として「リーチ」のみに依存しているのでは無いかと感じることが多くあります。

特に個人的に一番問題に感じているのが、マスメディアの効果測定において、テレビCMのGRPや新聞、雑誌の発行部数のような、最大リーチ数が指標として用いられていることが多く、広告費を払った分だけリーチが保証されるのに対し、エンゲージメントを重視した施策というのは、施策を実施するまで何人にリーチできるかが分からないことが多い点。
さらには、10万部の雑誌に広告を出しても、本来はその広告ページが開かれる確率とか、記憶に残る確率とか、行動に移す確率とか考えると、実効ベースの人数は絶対に10万人より少なくなると思いますが、その数値は取ることができないのに、ネットではクリック数やコンバージョン数とか様々なデータを取れる分、どうしても効果測定指標として比較される数値が小さくなる傾向にあるという問題もあります。

そういう意味では、リーチのみの効果測定指標で評価されるのであれば、正直確実にリーチを獲得できる広告メニューを並べておく方が担当者の方々としても実はリスクが低い、というのが日本の広告宣伝の現場で起きがちな現象かなと感じています。

個人的にも、せっかくこれだけネットが普及し、ソーシャルメディアやスマホなど、企業にとって単なる広告メッセージを流してリーチを獲得するだけでなく、もっと顧客との関係性を構築して言うエンゲージメントを重視したアプローチに挑戦する人が増えて欲しいと思うわけですが。

実際に、日本企業の多くはテレビCMで成功して大きくなったところが多いですし、経営陣がテレビCMのリーチ数の桁数を中心に効果の議論をしているケースが多いと聞きます。

テレビCMなら「数百万人、数千万人に認知されます。」という話ができるのに対し、ソーシャルメディアだと下手したら数万人とか数千人とかの人数の報告になってしまうわけで、経営者から物足りなく感じるのは間違いないでしょう。
本来的には、そもそも、この二つの数値を比較すること自体が意味あるのか?という議論もありますし、全く別のコミュニケーション手段なのだから組み合わせで考えた方が良いという視点もあると思うんですが、実際には経営者に理解してもらえないから評価してもらえないという状況はまだまだ少なくないようです。

そんな中、個人的に注目しているのが今回のパネリストの方々のように、リーチを求められる業態にありつつも、あえてエンゲージメントを重視したアプローチにコミットしながら模索を続けられている方々です。

私のような第三者から見ても、論理的に日本においてはエンゲージメントを重視したアプローチに取り組むのは面倒だしリスクが高いな、と思ってしまったりするわけですが。

USJの田村さんは、単純にソーシャルメディアのアカウントのフォロワーやファンを増やすのでは無く、ユーザーからのクチコミ投稿を増やす形での実験に取り組まれていますし。

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パナソニックの工藤さんは、グローバルに対してパナソニックの様々なニュースを発信することで広告では伝わりにくいパナソニックの魅力を届ける努力をされています。

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ネスレの津田さんは、ネスカフェアンバサダーという取り組みの中にサンクスパーティーや座談会、時にはジョギング企画など、地道なコミュニケーション施策を複数取り込んでおられます。

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なぜ、お三方は単純にリーチを獲得できるアプローチでは無く、エンゲージメントを重視したアプローチを取られているのか、
上司や経営陣には自分達の活動の位置づけをどのように理解してもらっているのか、というあたりの話を当日はお聞きしてみたいと思っています。

adtech関西に参加される皆さん、当日は是非よろしくお願いいたします。

ネイティブアド市場は、米国では7割以上をソーシャルメディアが占めてて、記事広告は1割程度でしか無いというデータ。

 ちょっと一時期ネイティブアドの話題ばかり取り上げていて、人に会う度にネイティブアドの質問をされてしまうので、最近は少し自重していたのですが。
 すごい興味深いデータを5月に教えてもらったのに、すっかりブログで紹介するのを忘れていたので、今更ながらご紹介します。
150715nativead.png
Spending On Native Ads Will Soar As Publishers And Advertisers Take Notice
 それがこちらのグラフです。
 大きい画像はリンク先の記事でご覧になって頂ければと思いますが、ネイティブアドの米国の市場規模をBI Intelligenceが予測したものです。
 米国のネイティブアド市場が綺麗に右肩上がりに伸びていく予測になっているのが一目瞭然のグラフで、すでに2015年でネイティブアド市場が100億ドルを超えてます。
 つまりは米国のネイティブアドの市場規模が1兆円を超えている、というのも、ようやくネット広告費が1兆円を超えて話題になっている国の人間としてはぶったまげるわけですが。
 さらに注目したいのはその内訳。
 2015年のネイティブアド市場規模約100億ドルのうち、75億ドルを締める緑色は「ソーシャル」、つまりFacebookやツイッターなどのソーシャルメディアのインフィード広告なんです。
 日本ではネイティブアド=記事広告と思っている人に未だに良く遭遇しますし、一般的には日本ではそっちの方が残念ながら主流派なんだと思いますが。 
 このグラフでその手の記事広告って赤色の「スポンサーシップ」で、実は2番手ですらなく3番手なんですよね。
 2番手は「ネイティブスタイルディスプレイ」ですから、いわゆるバナー広告の代わりにネイティブアドを表示するタイプでしょう。

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グノシーは、上場ゴールと言われようと第2のgumiと言われようと、上場してからが真のスタートであると思う

 グノシーが4月28日に上場しましたね。
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 私自身もブログで何度かグノシーについて取り上げたこともあり、先日の「ネイティブアドのガイドラインが機能してくれないと、間違いなくネットの記事を一つも信じられなくなる未来が来てしまう件について」という記事で、グノシーの広告非開示疑惑を取り上げたことも有り、グノシーの上場をどう思いますか?という質問を良く受けるのですが。
 個別に説明するのが面倒になったのでブログに書いておきたいと思います。
 先日ShareThroughのダンCEOが来日された際に、丁度グノシーの上場が話題になっていた時で、ダン氏に「日本では何でたかだかダウンロード1000万もいかないスマホのニュースアプリがこんなに評価されるんだ?フリップボードとか1億ユーザー超えてるけど、こんなに話題にならないぞ」的な質問をされて、私も脊髄反射で「バブル」だと答えた実績があるわけですが。
 まぁ、冷静にグノシーの財務諸表だけ分析したら、PERが5000倍超えですからね。
 これをバブルと呼ばずに何をバブルと呼ぶのかという状態です。
 売上30億円見込で、時価総額300億超えてますからね。
 売上1000億超えてるヱスビー食品より時価総額大きかったり、売上何だかんだ600億あるニフティとかと同じぐらいの時価総額なわけですよ。
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 まぁ、逆に言えばgumiの業績下方修正がなければグノシーの株価ももっと過熱していておかしくなかったという見方もありますから、バブルとしてどれぐらいの大きさのバブルなのかは人によって見方が異なると思いますが。
 いずれにしても、状況としては一言で言うなら「バブル」だと思います。
 ただ、そのバブルが弾けてあっさり消えるのか、バブルの間に実体を伴ってバブルが弾けた後にもしぶとく生き延びて成長していけるか、はバブルとは関係なくその企業自身の努力次第とも思っています。

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