今のはIMか電子メールか、コミュニケーションツールの相互運用が進むを読んで。
実はこの記事はかなり前の記事だ。
興味を惹かれたものの、いまだ自分の中で消化しきれていない。
「全てのメッセージングメディアは等しく重要で、理にかなう部分においては相互運用性が必要」
というメッセージには賛成だ。
ただ、それがどのような姿になれば最も便利なのか正直まとまりがつかない。
私がP2Pを知らない人に説明するときに良く例えとして出すのが、郵便と電話の例えだ。
電子メールは郵便、IMは電話(正確には電信かな)として例えている。サーバー型の電子メールは郵便箱に届くから相手が読んだか分からないけど、P2P型のIMは電話だから直接相手に届くし、相手がいるかどうかもすぐ分かる、とか例えている。
でも、デジタルの世界では実はこれはウソだ。
技術的にいろいろとオプションをつけてやれば、電子メールもIMや電話的に機能させることができるだろうし、IMも実は世の中の大半のものはP2Pではなくサーバー型だ。
まぁ細かい技術的な話は利用者には関係ないので、ウソがあっても伝われば良いやと開き直ってしまっている。
まぁ、それは良いとして。
テキストベースのコミュニケーションという意味では、IMも電子メールも本質的には実はそれほど変わらないサービスだ。
もちろん現在の電子メールではIMほどチャット的な会話は難しいし、IMでは電子メールのように過去のテキストメッセージを整理して保存できない。
ただ、これは機能が無いだけの話であって、つけてしまえば同じになる。
個人的にはIMと電子メールの最大の違いはプレゼンス機能(相手がいるかどうかわかる機能)だと思っているが、それすら電子メールにつけてしまえば同じになる。
要は何が言いたいかというと、技術的な面というのは利用者からするとどうでも良いという話だ。
その理論でいくと、全てのメッセージが統合する世界というのは意味がある気がする。
ただ、どうしても腹に落ちない。
今は、その手段を相手が使ってきたということ自体がメッセージを発していないだろうか?
個人的なイメージで言うと、コミュニケーションをするたびにIMでするか、電子メールにするか、電話にするかというのは利用者が目的に応じて選ぶものだと思う。
急ぎでないメッセージは電子メール、もしくはボイスメールで。
急ぎのメッセージは電話、もしくはとりあえずIMで「今ちょっといい?」ぐらいから始まって話が込み入ってきたら電話に切り替える、とか。
でも、この記事のように相互運用が進んだら、受け取る側の人はどうやってそのメッセージの重要度を判断すれば良いのだろう?
ノートパソコンを開いたときに、同じインターフェースでアラートが表示されたとする。
それがスパムメールなのか、急ぎの電話の留守電なのか、遊びのIMなのか。
PCが自動的に優先度の高いものから教えてくれるのだろうか?
もちろんそれすらインターフェースの問題なのだが、なんだか相互運用は便利なようで、えらく混乱するような気がしてしまう。
まぁ、こうやって混乱している時点で、既に古い世の中の人間なのかなぁ。
やっぱり、どうも音声メッセージがテキストメッセージと一緒になっている未来を、信じられない自分がいるのだ。
以前ユニファイドメッセージのシステムの会社さんと話をしたときには感動したんですけどね。
使ってみないとだめかなぁ、やっぱ。