ITmedia:日本のコンテンツ保護は厳しすぎる――なぜ戦わないのか?を読んで。
前回紹介した「コンテンツ保護の“日米差”はどこからくるのか」の続きだ。
果たしてインテルの人たちが例の違法コピー対策法案についてのニュースを聞いていたら同じように強気な発言をしていたかどうかは微妙だが。
ただ、確かに日本と米国では利用者である我々に組織や法律と戦うという意識に、大きな違いがあるのは間違いない。
実際、米国では違法コピー対策法案に対して、P2P業界団体であるP2P UnitedやPublic Knoledgeが懸念を表明している。
小寺さんが記事中で書かれているように、日本では残念ながらこのように組織だった正式な反対行動はあまり機能しない。
CCCDにしても、輸入CD禁止にしても、草の根的な活動こそあれ、実際の法律やコンテンツホルダーに対して影響を与えるほどではない。
小寺さんの下記の文章がそれを端的に表している。
コンテンツホルダーに対して直接団体行動を起こしても、あまり報われる感じがしない。というか日本の消費者は、コンテンツホルダーになめられてる。どんなにヒドいことをしても、結局それしか手段がなければ金を出すだろう、まさかテレビを見るのをやめるってことはないだろう、と思われている。
そう、簡単に言ってしまえば日本の消費者は「なめられている」のだ。
これは何もコンテンツ保護に関してだけの話ではない。今話題の年金問題しかり、道路問題しかり、政治にしても企業にしても、日本の消費者を本当の意味で恐れている組織は日本にはないだろう。
極端な話、日本の消費者は自分達の力というのを信じていない。信じないように教育されてきたと言った方がいいのだろうか、お上に従うのになれてしまった国民性だろうか。
誰も投票活動で日本の政治を変えることができると信じている人がいないのと同様、誰も自分達で法律を変えることができると信じていないのだろう。
ただ、それが日本の良いところだったりもするのが難しいところだ。
個人的には、結局のところ、コンテンツ保護の戦いというのは、実は業界内の利権獲得競争でしかないと思う。
現在のコンテンツ問題に対して積極的に反対しているのは、コンテンツの製作者ではなく既存のコンテンツ配布方式で設けることに利権を持っているコンテンツホルダー達だ。
デジタル化により彼らのビジネスモデルが立ち行かなくなってきているのを、無理矢理法律で押し戻そうとしているだけに見える。
本来はコンテンツの流通方法は何であれ、コンテンツの製作者に利益が還元されるビジネスモデルが形成されれば良い話のはずだ。
冷静に考えれば、CDの価格が一律で3000円台という現状の方がおかしい。人気の優劣によって価格は形成されなければいけないはずだし、戦略的に低価格にするという手もある。
別に音楽自体は無料でインターネットで配布してしまい、コンサートやグッズで稼ぐというビジネスモデルもありえるはずだ。
切込隊長のブログで記載された「パブリックP2P」に指摘されていたように、ニーズが少ないけれども一部の人には確実にあるというニッチなコンテンツ独自のビジネスモデルというのもあるはずだ。
是非、日本の家電メーカーには、発言しない消費者の代わりに頑張ってもらって(?)、消費者にメリットのある新たなコンテンツ配信のビジネスモデルを構築してもらいたいものだ。
(だから、AppleのiTunesに、先に成功されるような状況は納得できない・・・)
「日本のコンテンツ保護は厳しすぎる――なぜ戦わないのか? を読んで」を読んで。
Netcom Eye…