「ありあまり経済」での価値観の逆転に自分はついていけるだろうか

My Life Between Silicon Valley and Japan – The Economics of Abundanceを読んで。
 もう先々週のことになりますが、梅田さんのブログで紹介されていた「The Economics of Abundance」という言葉が気になっています。
 このキーワードを提唱している人は、ロングテールを提唱したクリス・アンダーセン。
 まぁ、最初に記事を見たときは、ついつい2匹目のどじょう狙いかとスルーしかけたのですが、プレゼンテーションを見てそんな自分を反省です。
 正直、現在のインターネットを巡る変化を表現するのには非常にわかりやすい対比なのではないかと思います。
 「The Economics of Abundance」というのは、「The Economy of Scarcity」だったこれまでの時代に対する対比として提示されている言葉で、それぞれ直訳すると「潤沢経済」と「希少経済」というところでしょうか。
 潤沢経済というのも硬いので、個人的には「ありあまり経済」と言った方がピンとくるような気がします。


 これまでの時代は、何もかもが不足していた「希少経済(The Economy of Scarcity)」。
 で、これがインターネットやチープレボリューションにより、ストレージや回線領域などがただ同然に利用できるようになっきているため、インターネット上に大量の情報やコンテンツが出現し、買い物にしろ、音楽にしろ、映像にしろ、情報にしろ、選択肢が無限に広がる「ありあまり経済(The Economics of Abundance)」の時代がやってきているという話。
 まぁ、大枠としては、これまでに言われ続けてきた話ではあります。
 ただ、この二つのエコノミーを対極に置くことで、二つのエコノミーの間では価値観やルールが180度変わってしまうということを、端的に表現しているという意味で、このプレゼンは一見の価値ありです。
 
 「インターネットによる変化」という言葉はこれまでに様々なシーンで使われ続けていますが、このプレゼンでは今回の変化は「変化」というレベルの生易しいものではないことを端的に表現してくれています。
 ロングテールというキーワードも優れたバズワードでしたが、ロングテールという言葉だけでは多くの人には、ヘッドはヘッドのまま残るんだ、ヘッド以外のコンテンツも「これまでのやりかたの延長で」売れるようになったんだ、というような勘違いも生んでしまったように思います。
 でも、実はロングテールの出現というのはそういうことではなく、価値観が180度変わるような大変化の過程で出てきた一つの現象と捕らえたほうが良いようです。
 これまでならビジネスや事業として運営するのが難しかったサービスやニュースサイト、音楽や映像も、タダ同然の回線コストやストレージによって提供することが容易になり、人々の選択肢に上ることができるようになり、ロングテールが出現したわけで。
 このままそういったロングテールがインターネット上に増加し続けることで、私たちの選択肢は「希少」から「無限」へと変化しようとしています。
 これまでは、その「希少」な選択肢である店舗や電波などのチャネルを抑えている企業が主導権を握っていましたが、いまやその主導権が一気に選択する側にシフトし始めているわけです。
 選択肢が希少だった時代は、ビジネスマンは日経新聞を毎日読んで、みんなが流行のCDを買い、同じ時間に流行のドラマを見て、大晦日には紅白歌合戦。
 商品の購入はテレビコマーシャルなどの企業の宣伝の情報に影響され、近所のスーパーやデパートの棚にある商品の中から選択する。
 そんな時代はもう終わろうとしています。
 いまや、ネット上にはブログをはじめ大量の情報が存在し、音楽も格安や無料で古いものからインディーズまで選り取りみどり、HDDレコーダーや動画共有サイトで好きなときに多様な番組を見られるようになりつつあります。
 電話でもメールでも定額で無制限に会話ができ、ツールすら利用者が自分が使いやすいものを選んだり、開発できるようになろうとしています。ライフハックが流行るのも当然でしょう。
 しかも、これらの選択肢はこれまでに比べて圧倒的に低価格や無料。
 おまけに、買い物をするときにも企業の宣伝に依存せず、実際に買った人の口コミを手軽に参考にできますし、オンラインで多様な選択肢を得ることもできます。
 この希少経済から、ありあまり経済への変化が、それぞれの事業に長期的に与えるインパクトというのは、圧倒的です。
 でも、この変化があまりに大きすぎるために、二つのエコノミーの間での理解や価値観には、いまだ大きな断絶があるというのが今後のポイントになりそうです。
 希少経済と、ありあまり経済のギャップは大きいとはいえ、その変化は一瞬で発生するわけではないですし、人々の価値観はそんな簡単に変わりません。
 まぁ、このあたりの話というのは、インターネットが登場してきて数年の1997年とかにかなり語りつくされていたりするようですから、結局そういうビジョンや変化が人々に浸透し理解されるのには時間がかかるということなのでしょう。
 そういう意味では、ブログをこれまでのマスメディアと同じように捉えて、広告枠を押さえるようにお金を払ってコピー記事を書かせるPayPerPostが流行ったり、デジタル再配信すべてを「悪」と捉えてネットへのコンテンツ提供をすべて拒否する事業者がまだまだ多く存在するのも分かる気がします。
 あまりに二つのエコノミーの価値観が違いすぎるんですから。
 正直なところ、自分自身も、なんだかんだ希少経済の価値観が見に染み付いていますから、本当にありあまり経済の価値観を身体で理解できているのか、自分の中で消化できているのかと聞かれると自信がなかったりします。
 なんだかんだと、今後もしばらくはこの二つの価値観の衝突やすれ違いはしばらく続くはずで、その中でどういうポジションをとっていくのか、企業にとってはますます難しい時代になりそうです。
 
 梅田さんの記事がほとんど英語なので日本語で読みたいという方は、しあわせのくつさんの「日本語でわかるロングテール著者の新理論 」をどうぞ。
 英語を読めなくても、こちらを見ながら元のパワーポイントプレゼン資料を眺めるだけで感覚はつかめると思います。

“「ありあまり経済」での価値観の逆転に自分はついていけるだろうか” への1件のフィードバック

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