ツイッターAPI騒動を見ながら、ツイッターは非常識なサービスのままでいるべきか、普通のサービスを目指すべきか改めて考えてみる

 ここ最近、ツイッターのAPI騒動の影響で、ツイッターの未来に関する議論が久しぶりに盛り上がっている印象があります。
 象徴的なのはこちらの記事でしょう。
Twitter関連サービスの終了相次ぐ API利用制限など「Twitterの変化」影響
120905twitterapi.png 
 実際にサービスが停止されたと紹介されているサービスは3件ですから、実際のTwitter関連サービスの数を考えると、終了相次ぐ、と言うほど相次いではいないと思うのですが、そういうタイトルをつけたくなる気持ちも分かるぐらい、API変更によるTwitter関連サービスの開発者の反応はネガティブです。
 このあたりの事情については、日本を代表するツイッタークライアントであるモバツイの開発者のえふしんさんがコラムを書かれているのでこちらを読んで頂ければと思いますが。
Twitter API ver1.1利用規約変更から学ぶプラットフォーム時代の生き方【連載:えふしん⑥】 |エンジニアtype
 この辺の事情をご存じない方に簡単に説明すると要はこういうことです。
■無名だった頃のツイッターは、APIを大きく開発者に開放してきた。
 ↓
■それにより、ツイッター社1社では不可能だったと思われるような急速な成長やエコシステムの拡大を実現してきた。
 ↓
■最近のツイッターは、有名になって会社も大きくなったせいか、急に一部のAPIを制限し、これまで仲間だった開発者を閉め出し始めた。
 ↓
■閉め出された開発者は当然ショックだし怒る。
 まぁ、冷静に第三者の視点から見ると、無名だったアイドルが有名になった途端に無名だった頃に相手をしていたファンの相手をしなくなり、昔からのファンが怒っているという構図にも見えてしまったりするわけで、良くある話ではあるのでしょうが、個人的に気になるのはやはりツイッター社の本質的な変質が起こっているのかどうかです。


 様々なウェブサービスやSNSをブログでレビューしてきた私の視点から言うと、ツイッターの最大の特徴というか、その特異性は、インフラ志向の独特なビジョンにあったと感じています。
 2009年にツイッター社の社内文書が流出し、「Twitterは「2013年に10億人のユーザーを獲得して、地球という惑星の『Pulse(脈拍・鼓動)』となる。それは、『Alert system(警告システム)』ではなく、『Nervous system(神経系統)』という役割を持つ」という一文が非常に話題になりました。
120905twittrpulse.png
 このパルスやナーバスシステム、という表現が実に独特で特徴的です。
 通常のウェブサービスは、PCやスマホで表示されるウェブの画面こそがサービスです。
 普通のユーザーはウェブのページからそのサービスを使うわけですから当然と言えば当然でしょう。
 ただ、このウェブの画面はあくまで「皮膚」の部分。
 
 ツイッターは「神経」や「鼓動」というのが味噌です。
 私が2007年にツイッターを使い始めた当時、ツイッターに本格的に興味をもったのはえふしんさんが開発してくれたモバツイ、当時はmovaTwitterという名称のガラケー向けツイッタークライアントでした。
movaTwitter (モバトゥイッター)
(当時のレビューで自分が「ツイッター」と書かずに「トゥイッター」と書いてるところに時代を感じますね・・・)
 モバツイは、日本のガラケーからは使うのが難しかったツイッターを、完璧にガラケーから使うことができるようにする、どころか本家よりも高機能な使い方ができるサービスで、私はこれによりツイッターの魅力に目覚めていくことになります。
 で、これさらっと書くと当たり前のように聞こえるかもしれませんが、一般的なウェブサービスではこんなことは普通ありえません。
 通常海外で何らかのサービスが流行ったときに日本で生まれるのは、そのサービスのクローンであり、そのサービスを便利に使えるようにするためのクライアントではありません。
 米国でPinterestが流行ってピンタレストクローンが日本でも大量発生したように。
 海外でFacebookやOrkutが流行って日本でもOrkutクローンのSNSが大量発生したように。
 韓国でカカオトークが流行って日本でもLINEのようなクローンサービスが生まれたように。
 
 通常は、アイデアをコピーしてタイムマシン経営でクローンにチャレンジするもので、ツイッターのようにサービスそのもののクライアントを作ることはしません。
 というか普通はできないんです。
 Facebookの独自クライアントを作ろうにもそんなAPIはありませんし。
 Pinterestの独自クライアントを作ろうにもそんなAPIはありませんし。
 カカオトークやLINEとやり取りできる独自アプリを作ろうにもそんなAPIはありません。
 ところが、ツイッターにおいては、モバツイのような完璧なツイッターの独自クライアントを開発者が作ることができました。
 ツイッターが出てきた当初、日本でも多数のツイッタークローンが雨後の竹の子のように生まれましたが、それらのサービスは次々に消えていったのに対し、ツイッター独自クライアントであるモバツイの方が100万を超えるユーザーを獲得することになったという事実が実に象徴的です。
 自らのサービスを完全に動作させる独自クライアントを作れるようなAPIを公開するという行為は、実は一般的なウェブサービスの世界で考えると完全に非常識な行為であると言えると思います。
 何しろ普通に考えたらウェブサービスの収益モデルの中心は、ユーザーが利用するウェブページに表示する広告の収入。
 その一番美味しい広告表示のウェブページやクライアント部分をみすみす競合やサードパーティーにあけわたし、インフラ部分だけに特化するなんて正直普通のウェブサービスのビジネスモデルの概念から考えたら狂気の沙汰な訳です。
 ウェブメールでいうと、広告が得られるユーザー向けのウェブページの部分は第三者に明け渡し、自分達はPOPやIMAPの裏のメールサーバーの部分を無料で受け取ってるみたいなもんですから。 
 ただ、何と言っても米国は、ビジネスモデルの存在しなかったYouTubeがGoogleに16億5000万ドルで買収されたり、ビジネスモデルの存在しないInstagramがFacebookに10億ドルで買収されたりする国。
 Twitterの創業者は過去にも自ら立ち上げたブログサービスであるBloggerをGoogleに売却した経験のあるエバン・ウィリアムズですから、Twitterも当然そういうシナリオが念頭にあったはずです。
 個人的にも、伊藤穣一さんが「ビジネスモデルがあってユーザーがいないサービスはほぼ間違いなく失敗するけど、、ユーザーが100万人いてビジネスモデルがないサービスの方が成功する確率は間違いなく高いよ」と発言されていたのが非常に印象に残っていますが、まさにツイッターはそんな議論の中心にあるサービスでした。
 実際、GoogleやFacebookによるTwitterの買収話は2009年頃から何度も浮かんでは消え浮かんでは消えと繰り返されます。
 ただ、最終的にFacebookは自らニュースフィードをツイッターに近い形に変更してしまっていますし、Googleも自らツイッタークローンともいえるGoogle+をリリースしていますから、現時点ではツイッターの買収によるエグジットというシナリオは、かなり薄くなっているということが言えるでしょう。
 そうなると、当然ツイッター社としても霞を食べて生きていくわけには生きませんから収益モデルが気になってくるわけです。
 ちなみに、既にツイッターのユーザー数は5億人を超えているとも言われ、順調に伸びていると言われていますが。
TwitterコストロCEOが来日「人々のライフラインに」、バルスにも言及 -INTERNET Watch
120905twittruser.png
 実は世界のインターネットユーザーは20億人程度です。
 当然、この数字は今後大きくなるわけですが、逆にそうは言っても実は既に5億ユーザーいるツイッターの伸びしろは最大で現在の4倍程度「しかない」、という見方もできます。
 現在のツイッターの収益がどれぐらいなのか分かりませんが、その値を4倍程度にしかできないとなると、ツイッターの収益面での伸びしろは実は大きくないのでは、と投資家に見えてしまってもおかしくありません。
 そういう意味で、「神経」に特化するのではなく、これまでパートナーに開放していた収益を得やすいであろう「皮膚」の方を自社で全部取りたくなってくる、というのはビジネス的な思考回路であればある意味当たり前ということができるでしょう。
 でも、やっぱりツイッターのツイッターならではの非常識なアプローチに感動した人間からすると、ツイッターが普通のウェブサービスの当たり前の戦略を選択するというのは、やはり寂しい限りです。
 やみくもにツイッター独自クライアントを制限するよりは、逆に「神経系」としてツイート広告のAPIもツイッター独自クライアントに解放して、レベニューシェアでエコシステムを広げるとか、APIを有料化することで、選択の余地を残すとかしてもいいんじゃないかなと思ったりします。
 今回のITmediaの記事の発端となったP3:PeraPeraPrvの開発者であるlynmockさんも、最近日本語化されたChange.orgに掲載されている海外のTwitterエコシステムのオープン維持請願署名への協力依頼を推奨されており、現時点でのツイッター開発者の間では、ツイッターへの期待が終了していると言うよりは、ツイッター社の現在の姿勢に対する批判が盛り上がっているという方が正しいかもしれません。
 サービス開始当初は利用者の意見を取り入れ、利用者とともにサービスの仕様を拡大してきたツイッターですから、今回のAPI制限宣言が神経系を目指すビジョンの断念宣言とするのではなく、この機会に改めてツイッター関連サービス開発者と共存するツイッターならではの非常識な回答を見つけて欲しいなと思ったりするのは、私だけでしょうか・・・?