「メディアの苦悩」を読んで改めて考える、メディアに対して変に理想論を持っていると、日本のネット上では明らかに弱いのではないかという議論

 ご紹介がすっかり遅くなってしまったのですが、5月に長澤さんが出版された書籍「メディアの苦悩」に、中川淳一郎さんと長澤さんと私の座談会トークを収録して頂きました。
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 しかも、錚々たるメディア業界の重鎮28人の露払いとして、いきなり第1章に使って頂いております。
 個人的にも、ブログを始めてからこの10年ぐらい、日本のメディアの未来についての議論をするのが大好きで、いろんなイベントや座談会に参加していたこともあり。
 こんな日本のメディアの未来の総まとめ的な書籍に、自分の発言を使って頂いただけで本当に感無量なんですが。
 さらに光栄なことに来週7月24日(木)に開催される本屋B&Bで実施される長澤さんと常見さんの対談イベントに私も登壇者として混ぜて頂くことになりましたので、当日長澤さんに聞いてみたいと思っていることを、こちらにもまとめておこうと思います。
 
 今回の書籍の企画で長澤さんと中川さんとお話ししていて個人的にも非常に印象に残っているのが、第1章の締めをかざっている中川さんのこちらの発言。
「バカを相手にしたほうが、あんまり知恵使わないで儲かるんです。だからオレはそっちをやろうと思っているんです。頭のいい人を相手にしようという人が増えるのは、すばらしいことなんです。で、オレも正直そっちへ行きたいんです。でも、それは難しいことなんですよ。だからやってないんです。」
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 この中川さんのスタンスは、「ウェブ進化論」に対するアンチテーゼとして5年前に大いに話題を呼んだ書籍「ウェブはバカと暇人のもの」からずっとぶれずに中川さんが主張されてるポイントで。
 正直、この点については、個人的にも同意するところが多々あります。
 米国においては、富裕層向け・インテリ層向けの広告というのがメディアビジネスの収益として結構重要な割合を占めている関係で、質の高いネットメディアというのがある程度広告単価を高く維持することができているけど、日本においてはネットにおいてもマス発想が強く、ヤフーでほとんどの人にリーチできてしまうこともあり、自然とPV至上主義になりがちで、専門メディアの必要性や収益モデルの確立が難しい、という話を昔聞いたことがありますし。
 
 梅田さんの「日本のウェブは残念」発言に端を発した議論をきっかけに、私なりに「日本のウェブは遅れているのではなく、急速に進みすぎたのではないかという仮説」というのを立ててみたりしてましたが。
 確かに中川さんが言うように、頭のいい人を相手にしたビジネスが日本のネットでは機能しにくい印象は非常に強くあります。
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 私自身、梅田望夫さんのウェブ進化論の影響は非常に受けた人間ですし、シリコンバレー的ネットメディアを理想として活動していた人間なので。
 そういうサービスが上手くいって、世の中の構造を変えていくと信じてますし、そちらの活動にコミットすることに喜びを感じる人間なわけですが。
 ことメディアのビジネスモデルや広告収入という話になると、結局日本のそっち側のリテラシーの高い人たちは広告はクリックしないし、無料で情報入手する能力高いから、なかなか情報にお金払わない。
 でも、リテラシーの低い人たちは広告も気づかずクリックするし、LINE詐欺的なものとか情報商材的なものでも簡単にだまされてお金払うわけですよね。
 テレビの番組がワイドショーとかバラエティ一色になってしまってきてるのと一緒で、結局世の中のボリュームゾーンの人たちはそっちなわけで。
 さらにそっちの方が実際にお金も気軽に使ってくれたりするわけで。
 論理的に日本のネットでビジネスを考えたら、あきらかに中川さんの言っているように「バカを相手にしたほうが、あんまり知恵使わないで儲かる」のが現実だと思います。
 その一例としてソーシャルゲームを出すのは失礼かもしれませんが、
 ソーシャルゲームがあれだけ社会的批判を集めつつも、テレビCMの広告主トップ5に入るほどの広告費を使っても莫大な利益をあげられるほど儲かったのも事実ですし。
 ほのぼのしたコミュニティを売りにしていたmixiの業績を、ゲーム一つのヒットが一撃で回復させてくれるほどの威力をもっているのも事実です。
 SNSの黎明期に、FacebookやLinkedIn的な雰囲気を持つSNSだったGREEを立ち上げた田中さんが、
 「金は無い、時間はある」という岸部四郎を使ったテレビCMを始めたばかりの頃に、あれで良いのか悩んでいる、的な発言をされていたのが今でも個人的に印象に残ってるんですが。
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 結果的にGREEのソーシャルゲームへの方向転換は経営の選択としては正しかったと思いますし、mixiの方向転換も正しかったと思います。
 日本だと、SNSで人々のコミュニケーションを変えるようなサービスを作るよりも、ソーシャルゲームでヒット作を作るほうに注力したほうが明らかに儲かるし、成功してるのは事実です。
 
 で、極端な話、メディアの苦悩で苦悩している側のメディア企業の人たちも、自分たちのメディア力を上手く使ってソーシャルゲームの一つや二つヒット作を生み出せれば、それだけで経営的には潤う可能性があるわけです。
 でも、当然そこにメディアの理想論的なものが、大なり小なり壁となって横たわるのが普通の従来のメディア企業でしょう。
 今いわゆる従来のメディア企業に問われているのは、これまでの構造を守ることではなく、産業構造が変化した後にどうやって生き残っていくか、なわけで。
 メディアの構造自体が激変しているのに、これまでの理想論とか倫理観だけを頑なに守るというのは、リスクが非常に大きいというのが現実だとは思います。
 とはいえ、メディア企業においては、メディアの理想論とか倫理観を失ってしまったらメディア企業ではないんじゃないかという議論が当然存在すると思うんですよね。
 ユーチューブみたいに著作権的にグレーなサービスをいわゆるメディア企業が作るのって構造的に不可能だと思いますし。
 新聞社がWikipediaみたいに明らかに間違いが存在する辞書とか作ってたら、クレームも半端なくくるでしょう。
 テレビ番組の告知力を使って、テレビ局が自社のゲームで一時期のソーシャルゲーム会社並の荒稼ぎを始めたら、当然社会的に批判も高まりやすいでしょう。
 ネットメディアがPV狙いに飛ばし記事やデマまがいの情報を流すのと、既存メディアが流すのとでは、批判のレベルも全く異なります。
 ステマややらせが発覚した際の責任問題の大きさも、ステマが当然とされてしまったような芸能人ブログと既存メディアでは全く違うでしょう。
 
 ただ、そういった理想論を議論している間に、その間にそんな理想論そっちのけのネット側のプレイヤーが、気がついたらメディア企業が持っていたはずのその場所を持って行ってしまうわけです。
 ただでも時代の変化とともにイノベーションのジレンマ的なこういう構造が存在するのに、前述の日本のPV至上主義的な広告構造とかがあるのを考えると、どうしても日本においてはメディアの理想論とか持ってる企業は、ビジネス的にはリスクでしかないなと思えてきてしまう今日この頃だったりするんですよね。
 でも、やっぱりメディアの理想論を語るのが大好きな一個人としては、日本でもそんな理想論を語りながら上手くやっている企業が存在していることを再認識したかったりもします。
 「ステルスマーケティングで短期的に儲かったところで、結局長い目で見ると自らの首を絞めているダイナマイト漁みたいなものだという話。」とかっていうような記事を書いてしまう人間としては、ちゃんとメディアの倫理を守ったほうが良いことあるよねというのを確認したかったりもします。
 これだけ丁寧に28人もの論客やメディア企業の経営者のインタビューをされてきた長澤さんなら、きっとそんな理想論側のプレイヤーが生きていくためのヒントとか、うまくやっているケースをいろいろ聞かれているのではないかと思いますので、イベント当日はそのあたりを是非聞かせて頂ければなぁと思っていたりします。
 とはいえ、当日は常見さんが鬼のような仕切りを見せている気もしますので、私は隅っこで小さくなっているかもしれませんが・・・
 
 なんだかまとまりのない記事になってしまいましたが、それぐらい自分の中でも悶々としているテーマなので、そんな議論(?)に興味がある方はこちらのイベントにも是非ご参加下さい。
長澤秀行×徳力基彦×常見陽平「メディアは苦悩しているのか? 」『メディアの苦悩』(光文社新書)刊行記念
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 なお、書籍「メディアの苦悩」については、付箋を貼りすぎて、まだ読書メモを転記できてないので、転記したらブログでも紹介したいと思います。