「ネット検索革命」は、検索のこれからや未来について考察されている書籍です。
年末の忘年会の際に橋本大也さんに推薦されたので早速買って読んでいたのですが、読書メモを書いていなかったので、書評抜き読書メモを公開させて頂きます。
Googleの影響もあり、検索といえばコンピュータによるキーワード検索という印象が強くなっていますが、一歩引いて検索の可能性について考えてみたい方には参考になる点がある本だと思います。
【読書メモ】
■検索エンジンを使ったことのある人にとって、その必要性は自明であろうが、ウェブの初期段階においては、一般的な検索エンジンの必要性は自明ではなく、また、すぐに開発もされなかった。
ネットの情報があまりにも増え、全情報を表示することが不可能になって初めて、検索のインターフェイスが不可欠なことが気付かれたのである。
■既存の放送メディアと比較すれば、インターネットは、より平等なアクセスの可能性を提供していることは疑いない。しかし、「注目の稀少性」からすると、全ての人が全ての人にアクセスすると言うのは、不可能なのだ。
■検索エンジンの問題の二層構造
・人々の注目と言う点で、「勝ち組」と「負け組」とを峻別する検索テクノロジーの問題
・この「勝ち組」が、いったいどの程度伝統的な権威と釣り合っているのか、という問題
■検索知識人
新種のコミュニケーション専門家が登場している。ブロガーである。多くの読者を獲得しているいくつかのブログは、実質的に、ウェブにおける既存の権威構造を転倒させている。ともすれば見過ごされがちなウェブの一角で、彼らは検索エンジンの覇権と対抗している。
■いわゆる「検索知識人」は、自らの優位を捨てたり、現存する不平等を強化する検索エンジンを使う能力を放棄したりする必要はないが、検索エンジンに拮抗するものを提供したり、開かれた議論を行ったり、「もう一つの声」が聞こえるようにする義務を負うのではないか
■サイバースペースないでは、人々はよりメトロポリタニズム(大都市主義)やコスモポリタニズム(世界主義)へと向かうと見られていた。複数のアイデンティティを同時に持ち、オンライン上で容易に別のアイデンティティを提示できると考えられたからである。だが実際には、検索エンジンは、われわれを多くの点で「村の生活」へと逆戻りさせている。
■多くのSNSの検索能力は、「知っている人について情報を得る」「ある特徴を持った人を探し出す」という、コインの両面を持っている。
■ウェット・ウェブ
人々の頭の中にあって明示的に記録されていない暗黙知の部分
完全な検索は、文書や映像といった形の情報だけではなく、専門知識を備えた人間をも、検索結果として出力すべきではないのか。
■現実においては、評判を表す通貨は一つではないし、「評判」と「注目」とを区別するのが難しい場合もある。
■明示的な信頼ネットワークからは、いわゆる「ソーシャル・キャピタル」が弾き出されると前提する方が、より公正であろう
■最大の問題は、巨大化したグーグルを打ち倒すテクノロジーは何か、ということであろう。この問題は、あまりにもしばしば問われたため、最も明白な答えは無視されてきた。その答えとは、「誰もグーグルを倒せない」である。
ネット検索革命 田畑暁生 青土社 2009-11-20 by G-Tools |