「逆パノプティコン社会の到来」は、副題に「ウィキリークスからフェイスブック革命まで」とあるように、ウィキリークスやフェイスブックのような新しいメディアや組織が、世界をどのように変えようとしているか考察している書籍です。
著者のキムさんから献本を頂いたので、書評抜き読書メモを公開させて頂きます。
この本ではメディア学者であるキムさんならではの俯瞰的な視点から、ウィキリークスやフェイスブック、そして最近プレイステーションネットワークをダウンさせて話題になったハッカー集団「アノニマス」などが、どのように成長を遂げてきたのかを学ぶことができます。
Collateral Murder Wikileaks 投稿者 wikileaks
特に驚くのが、昨年非常に話題になった上記の「Collateral Murder」というビデオから、チュニジアのジャスミン革命、エジプトの革命など、ここ1年間に世界で話題になった出来事のほとんどのに、ウィキリークスやアノニマス、フェイスブックが網の目のように関係していたという事実。
正直、自分がいかに表面的にしかニュースを見ていなかったか。
今回の革命や騒動が、実は様々な面でソーシャルメディア時代ならではの出来事であるかというのを、この本を読むと痛感させられます。
ウィキリークスを巡る騒動やアノニマスによる企業への攻撃自体は、テレビのニュースで見る限り、ウィキリークスやアノニマスというメディアや組織によって引き起こされた良くある内輪もめやトラブルにみえてしまうかもしれませんが、実際には国家と個人のパワーバランス、既存の秩序と新しい勢力とのハレーションとでも言うべき出来事と見るべきなのかも知れません。
フェイスブックなどのソーシャルメディアによって引き起こされる根源的な国家や企業の変化について考えたい方には、非常に参考になる点が多々ある本だと思います。
【読書メモ】
■パノプティコン(全展望監視システム)
監獄の真ん中に看守等が立つ。そしてその看守塔を囲む形で円形の独房があり、そこに囚人を収監する。
■ウィキリークスのミッション
情報の完全透明化を通じて社会における不正を暴くことで、社会をより正義あるものにする
■ウィキリークスの特徴
・完全匿名性の保証
・法的リスクの削減
・多数のミラーサイトの存在
・既存の報道機関との緊密な連携
■ウィキリークスが認知されるきっかけ
2010年4月 Collateral Murder
■ウィキリークスの3段階の進化
・ウィキペディア・モデル
・マスメディア・モデル
・マスメディアとウィキリークス間での分業モデル
■機密暴露に対する法的な判断は、本来、裁判所にしかできないはずだ。ところが、アマゾンは、法的な判断を待つまでもなく政治的な圧力に屈したかたちでウィキリークスをブロックした。
■ネットというのは、じつは公共的な空間ではなく、私的空間である。
ほとんどの情報の流れは民間企業のサイトによって仲介されているが、その企業が所有権を理由に特定の情報や情報の仲介者を選別し、実質的な表現の検閲にあたる利用停止ができることからもそれがわかる。
■反ウィキリークス企業へのサイバー攻撃を主導しているのがハッカー組織アノニマスだ。
すべてのメンバーは仮名で活動し、高度に暗号化されたオンラインチャットでの継続的な参加を通じて、時間をかけて相互の信頼を形成してきた。
■ニューヨークタイムズ紙のビル・ケラー編集長は、もともとの情報を提供してくれたウィキリークスに対しては、リスペクトは表明するものの、パートナーだとは思っていないことを明言している。
自称ジャーナリストのアサンジュとマスメディアを夢見るウィキリークス、そして誰もが簡単にジャーナリズムを追求するメディアになれるわけではないという高いプライドやある種のエリート意識を持つ既存の報道機関側との認識の差
■日本ではライブドア事件の影響もあってか、既存のメディアがネットメディアに対し一種のトラウマを持っているようにも見える。
会社によっては、記者や所属ジャーナリストのブログやツイッターを禁止すると言った社内規定を持っているところも少なくない。
■ここまで透明性が高まると、企業の中のいかなる情報もすべて公開されることを前提とした経営を行う必要があるだろう。
■フェイスブックは今年初めには北アフリカ諸国における市民運動において欠かせない中核的ツールになっていて、それに対する政府の対応はほぼ無防備と言ってもいいくらいだった。
■じつは、チュニジアのベン・アリ政権は、政権維持におけるネットの怖さを早い段階で十分に理解していた。そこで既存のメディアに対する検閲・統制に加え、ブロガーやウェブサイト運営者に対する検閲も強化していた。ところが、そうしたなかでも、フェイスブックは無視していた。それが政権にとって致命傷となり、政権崩壊につながった。
■(革命を成功に導いた)引火装置のひとつは、26歳のムハンマド・ブーアズィーズィーさんの、警察の圧政(野菜を売ることを禁止され、その屋台を没収された)に対する抗議としての焼身自殺だった。
それを受けて、同じく5人の若者が相次いで、焼身自殺を遂げた。それが映像としてフェイスブックを通じて伝わり、抗議デモが急速に拡散し、ジャスミン革命が本格的にスタートするきっかけになった
■もうひとつの引火装置となったのが、2010年年末のウィキリークスによる米国の外交公電の公開だった。そのなかに、チュニジアのベン・アリ政権の腐敗を裏付ける揺るぎない証拠があった
■2011年1月2日、アノニマスは複数のチュニジア国営のウェブサイトをハッキングし、閉鎖に追い込ませると、チュニジア政府に対して公開書簡を送り、「表現の自由に対する攻撃は容認できない」と警告した。
■フェイアン・ベルハジ
2010年の年末に、ウィキリークスが米国国務省の外交公電を公開しはじめた際、その公電に含まれているチュニジア関連文書をアラブ語やフランス語に翻訳することを決意。さっそく行動に移した。そしてフェイスブックに掲載していったのだ
■投稿後、1週間が経たないうちに、17万人の読者が集まったと言われる。チュニジア政府がそれに気づき、1週間もかかって削除したときには、すでに、チュニジア内外の数百のブロガーやネット利用者によってコピーされ、他のサイトに転載されていた。
■チュニジア革命におけるソーシャルメディアの役割
・情報を透明化した
・大規模なデモの組織化のための伝達ツールとなった
■エジプト革命で、大規模抗議デモの導火線となったのは、ハーリド・サイードさんの死だった。サイードさんは、警官の麻薬取引場面を録画したとして、警官によって路上で報復殺害されたた。
■市民運動集団「4月6日グループ」は、「わたしたちはみなハーリド・サイード」というページをフェイスブックに開設した。
1週間以内に13万人のユーザーがそのページを訪れ、2011年1月15日時点では66万人にものぼった。
■多くの若者が携帯カメラを持ってデモに参加しながら、写真や動画を撮影して、ブロガーたちのもとに送り、ブロガーは今まさにリアルに起こっていることとして、瞬時にブログに掲載する。
ブロガーが、デモが行われる街を直接つなぐ連結点として機能していったことは無視できない。
■驚くべきは、政府がツイッターを遮断したにもかかわらず、2011年1月28日正午から1時間の間に、24万5千件のツイッター投稿があったとされることだ。これは、その時間帯に寄せられた世界中のツイッターのつぶやきの約8%にあたっていた。
■エジプト革命においても、チュニジアと同様、ウィキリークスと謎のハッカー集団アノニマスがひと役買っていた。
■今やソーシャルメディアはSMSや伝統的なクチコミと並んで、リーダーをもたないゲリラ的な草の根抗議運動やデモの調整に、きわめて重要な手段となりつつある。
もし、デモの背後に、特定の政党や一匹狼的なカリスマリーダーが存在したら、彼らの逮捕により運動は急速に衰えてしまったかもしれない。
■この革命は、オンラインからスタートしたもので、具体的にはフェイスブックからスタートしたものである(今回の革命の英雄ともされるワエル・ゴニム氏)
2010年6月、フェイスブックに掲載したハーリド・サイードさんの映像が数時間のうちに6万人を超えるユーザーによって転載され、最終的には、数十万人のエジプト人がそれを見た。それがはじまりだった。
「もし社会をより自由にしたければ、その市民にインターネットを与えればよい」
■ウィキリークスが実現する「完全透明化社会」。フェイスブックが実現する「ゲリラ的な市民運動」。もはや誰もこの流れを止めることはできない。
ウィキリークスからフェイスブック革命まで 逆パノプティコン社会の到来 (ディスカヴァー携書) ジョン・キム ディスカヴァー・トゥエンティワン 2011-04-16 by G-Tools |