誰もが個人の看板で生きる時代は来るか

 先日、メディア産業座談会なるものに混ぜてもらいました。

 まぁ、メディアに関して素人の私が語れることは何も無いのですが、私が興味深かったのは個人の時代という視点です。


 座談会に参加していた面々は、「ネタフル」のコグレさんを始め、「CNET」の渡辺さん、「Ad Innovator」の織田さん、「29man」の渡辺さんと、勤めている会社や仕事内容よりもブログや個人の名前の印象の方が強い、と思うのは私だけでしょうか。

 もちろん社会一般から見て、ブログ界隈の人がどれだけ有名かという議論もあるでしょうが、個人的にはネットやブログの普及によって、個人がより際立つ時代になったように感じています。

 私は典型的な大企業出身者なので、ベンチャーに転職したにもかかわらず、この2年間「仕事は会社の看板でするものだ」と根本的な思い込みをしていました。

 実際には、生まれたばかりのベンチャー企業に会社の看板などというものが存在するわけも無く、相手には自分を信用してもらうしかないのですが、そこは大企業出身者。なんとか会社の看板をあげようと自分を殺した努力をするべきだと思っていたわけです。

 ところが、最近ようやく、なんだか違うぞ?と気がつくようになりました。

 結局、ビジネスの世界においても、大抵のことは個人レベルの信頼や人間関係から始まっていて、自分を信用してもらわないと何も始まらないんだなぁと。
 (実は、それはベンチャーだけでなく大企業でもおんなじなんでしょうが)

 そういう意味では、ブログによる情報発信というのは個人にとって非常に有効なツールになるはずです。

 織田さんはブログ自体が仕事の専門性の象徴ですし、29manの渡辺さんもブログの知識を本業に生かされています。ネタフルも間違いなくコグレさんの本業に好影響を与えているはずですし、私のような一般人でも感じるのですから、多くの人も多かれ少なかれいろんな効果を感じていると思います。

 更に、最近はGREEの田中さんやCNET編集長の山岸さん、FPNにも参加してくれてる佐藤さんにも代表されるように、名前のドメインを取って個人の情報発信の場として明確にブログを活用するケースも増えてきていますね。

 流行の社長ブログだけでなく、個人レベルでも自分個人を会社と見れば自分は「自分会社」の社長。個人で情報発信をして「自分会社」の情報発信をするのは、長期的に非常に重要になってくるんじゃないかなぁ・・・と思ったりもします。
 (トム・ピーターズの「ブランド人になれ!」の世界ですね)

 そこで課題になるのは「大企業の中にいる社員は、どこまで個人の情報発信が許されるのか?」という点でしょう。

 これはブログを書いている多くの方が抱えている課題でしょう。個人名での情報発信が増えたとはいえ、まだまだベンチャー企業が中心なのは事実。
 おそらく私もNTTに残っていれば個人名での情報発信などしていないでしょうし、ブログ自体手を出さなかったかもしれません。

 そういう意味では、今回お会いできませんでしたが、電通のタカヒロさんのようなケースがこれからどれだけ増えていくのか。増えていかないのか。
 はたして日本の企業は個人のブログに対してどのような支援や対処をしてくるのか。

 非常に注目したいところです。

グリー株式会社化とSNSのビジネスモデル

GREE Blog: グリー株式会社 会社設立についてを読んで。

 いよいよSNSのGREEも株式会社化するようです。


 GREE開発者の田中さんが、楽天社員でありながら個人でサービスを運営しているのは有名な話でしたが、やはり会員数10万人を超えたサービスを個人運営で続けるのは難しいですよね。

 とくに最近は組織だった開発を続けるmixiに比較してGREEの機能追加のペースが鈍っている点が指摘されることが多かったですから、個人的にGREE派な私としては今後が楽しみです。
 まずはおめでとうございます。
 
 さて、客観的に注目したいのは、やはり株式会社化によるGREEの変化でしょう。

 田中さんはこれで社長になるわけですし、楽天から10%の出資は受けるものの楽天の社員という立場からは退職し、基本的に楽天グループではない独立企業として自力で収益を模索する形になるようです。

 以前、「7万人の町「GREE」を一人で作ってる会社員 を読んで」で取り上げた、GREEの田中さんの「儲からないけど、楽しいからそれでいい」というスタイルは、さすがに儲けるためのモデルを模索するスタイルに変わるでしょう。
(もちろん、独立を決めたからには勝算があるのでしょうね)

 
 個人的には、mixiが公開範囲を設定できるプライベート日記機能など、オンラインコミュニティ機能に注力しているのに比較し、GREEは比較的名刺管理ツール的に使われることが多いように感じています。

 シンプルなPV獲得による広告ビジネスとしてはmixiのモデルの方が実施しやすいはずですが、果たしてそちらを目指すのか。
 それとも以前CNETに取り上げられていたLinkedInのようなビジネスモデルを模索するのか・・・

 ひできさんの「SNSと「弱い紐帯」」に書かれているような視点も重要になってきそうです。

 実に注目したいニュースです。

ネット上の議論が半永久的に残ることの価値

 「ネットは新聞を殺すのか」の湯川さんと切込隊長BLOG(ブログ)で、非常に興味深いやり取りがされています。


 まず湯川さんの「日本でネットとリアルの社会が分断されている理由」というエントリから始まり、切込隊長が「メディアとネットに「格差」があるという議論はおかしい」と書き、さらに湯川さんが「切り込み隊長に物申す」と返して、切込隊長の「新聞業界がこの先生きのこるには」という書き込みになり、湯川さんが「超どうでもいい議論の続き」と一度締めている。

 まぁ、素人の私が議論自体に口をはさめることは何も無いのですが、ちょっと違った視点からこのやり取りに非常に感慨深いものを感じてしまいました。

 妙な縁で、私はお二人ともにお会いしたことがあるんですが。
(まぁ湯川さんに会ったのはつい先日ですし、切込隊長に会ったのは5年以上も前なので向こうは覚えてないだろうというレベルですが)

 そのときの印象から言うと、二人は日本全体の中で言うと実は立ち位置は近かったりするんじゃないかと思ったりします。

 
 多分、切込隊長が書いているように背景の違いが視点の違いを生むのでしょう。

 湯川さんは既存メディアの中にいて、ブログを中心とした新しい流れに可能性を感じ、それに対応できない既存メディアに嘆いている立場という視点。
 切込隊長はネットの先端にいて、ネットの最前線で旗を振る人たちの良いところも悪いところも全部見てきて、少しブームに対して引いた立場という視点。
 というのが違いになるのでしょうか。
 
 視点の違いと議論の入り方がちょっとずれると、この二人でさえこういう熱い議論になるんだなぁというのが率直な感想ですが、その議論の過程を自分のペースで読むことができるブログの仕組みというのにも、また改めて今後の可能性を感じてしまいました。

 やはり、これもテキストという状態で議論が残るからだなぁと思っていたら、この記事とちょうど同じタイミングで、Hotwiredの佐々木さんが「インターネットが取材を変える日」で、取材の過程を掲示板に公開したという興味深い逸話を紹介しています。

 佐々木さんが書いているように「かつては週刊誌にしろ新聞にしろ、あるいはテレビ報道にしろ、「書き飛ばし」「報道しっぱなし」が当たり前だった。」ですし、読み手である私たちも一つ一つの記事については怒りを感じたとしても無力感のまますぐに忘れるのが当たり前でした。

 ところがネットにおいては今回の湯川さんと切込隊長のやり取りのような議論が、気が向いたときにいつでも(二人が消さない限り半永久的に)、しかも基本的に無料で振り返れるようになってしまっているわけで。

 湯川さんの「議論は、そこから自分が学ぶため、また相手の学びを手助けするためにするものである。」という信念には私も賛成ですし、ニッチな分野の「論評」の集合体という点においては、やっぱりネットの価値は高いなぁと改めて思わされた一日でした。

 ちなみに、佐々木さんが最後に「だが現状では、インターネットメディアの一般社会への影響力はあまりに低い。」とも締めくくっているのも象徴的です。
 やっぱり切込隊長が書くように数十年スパンなんですかね・・・

ソフトバンクというブランドの行く末

ソフトバンク、ブランド統一で社名変更を検討 – nikkeibp.jp – 企業・経営を読んで。

 いやぁ、そう来たかという感じです。


 社名変更って言うのはかなり衝撃のイベントですよね。

 でも、実は通信業界の歴史を振り返ってみると、社名変更とかブランド変更というのは案外頻繁に行われています。

 KDDIが提供する携帯電話ブランドのauは、昔IDOとDDIセルラーグループでしたし、そもそもKDDIもKDDとDDIの合併です。
 Vodafoneに至っては昔Jフォンでしたが、そのまた昔はデジタルホンでした。 
 NTTグループこそ、NTTブランドは変わっていませんが再編成で4社に分かれていますし、最近はNTTドコモは「ドコモ」ブランドとして知られていますよね。

 まぁ、NTTすらもともと電電公社だったわけで、日本の通信業界においてはブランドが10年も維持されれば、実はかなりベテランプレイヤーといえてしまうかもしれませんね。

 どの社名変更やブランド変更も、その度に「なぜ変更するんだ?」と批判の矢面に立たされてきたものですが、こうやって時間がたつと案外綺麗に忘れ去られてしまうから不思議なものです。
 ドコモという社名は決定当時酷評されたと聞いていますが、今や押しも押されぬトップブランドの一つですよね。

 そう考えるとソフトバンクグループにおいては、すでにソフトバンク、Yahoo!、Yahoo!BB、日本テレコム、C&W、さらにホークスという雑多なブランドが混ざり合った集合体になっており、ブランド統一にはちょうど良いタイミングなのかもしれません。
(もうあまり買収する相手も思いつきませんし)

 ただ、一般的な起業家は自分が作り上げたブランドの維持に強くこだわるものです。特に日本では「社名」というのは「家紋」に近いようなものですし。
 ソニーや松下、トヨタや日産などがブランドを維持してここまでやってきたのを考えると、もし「ソフトバンク」ブランドがなくなるとしたら非常に大きな出来事といえるでしょう。

 堀江さんは「エッジ」からライブドアを買収した後、自社の名前を買収先の社名に変えて話題を呼びましたが、今回孫さんがどういう決断を下すのか、そしてその決定は上手くいくのか。
 いまからちょっぴり楽しみです。

がんばれ田臥勇太

NBA.com 田臥勇太インタビュー「バースデイソング」を読んで。

 バスケットを知らない人にはあまり興味が無い話題かもしれませんが。


 一度でもバスケをやった人間からすると、日本人がNBAでプレーするというのはものすごいことです。

 よく田臥がメジャーリーグに挑戦した野茂やイチロー、セリエAに挑戦したカズや中田に比較されますが、個人的には今回の田臥の挑戦はチャレンジとしての格が違うと思っています。

 野茂や中田は、国内のプロリーグで実績を残していました。
 そもそも、野球は国技だし、サッカーもJリーグの誕生でレベルが大きく上がってます。
 もちろんレベルの差はあれど、その差はそれほど大きくは無いはずです。

 ところが、バスケはいまだに国内にプロリーグはありませんし、日本はオリンピックにすらまともに出ることができないレベルです。
 スラムダンクの世界では日本人もNBA並にスーパープレイを連発してますが、現実の日本のバスケのレベルはNBAには到底及ばないのが現実なのです。

 
 もちろん田臥は日本ではスーパースターでした。
 その田臥ですら、今でも控えの選手として残るのが精一杯という現実が、この日本と米国のレベルの差をあらわしています。

 ただ、だからこそ私は田臥の挑戦に興奮するんでしょう。

 平均身長2mを超えようかという超人たちの集まりの中で、はたして田臥は、日本人は、どこまでやれるのか?

 中田のようにセリエA初戦でいきなり2得点の大活躍とか、野茂のようなノーヒットノーランとか、イチローのような大記録更新とか、オールスター出場とか。
 それがNBAで田臥に無理なのはわかっているんだけど。

 それでも彼は多くの人に大きな感動と希望をくれています。
 今後もきっと、いろいろなものをもたらしてくれると信じています。

 そういう意味で、自分でも心がけたいと深く感じたのは下記の田臥の言葉

「僕のモットーじゃないですけど、こだわっているところは結果とかじゃなくて、過程。一日一日、自分の中で充実してやれるか――満足じゃなくて、充実させること。それなら、もし結果がダメでも、やってきたことが間違っていないと自分で思えるなら、後悔しないと思うし、後悔することだけが一番嫌いなんで、だから結果とかじゃなくて――。 」

 がんばれ、田臥。
 

日本でマス広告神話の崩壊はいつ始まる?

【波多野blog】 マス広告神話の崩壊を読んで。

 日経ビジネスで「もうCMは売れない-テレビ万能のウソ」という特集が組まれています。


 波多野さんのブログでは下記のようにコメントされています。

「顧客接点、いわゆるコンタクトポイントやタッチポイントについても述べられているが、これらの考え方と費用対効果などを突き詰めると、当然高額なマス広告への投入額は低くなる。とくに、効果測定の困難なイメージ広告などと比べると、ログやコンバージョンレートがわかるネット、ダイレクトマーケティングは広告主からすると理解しやすい。」

 広告主の側からすると、最近の流れは明らかにこの方向だと思います。
 GoogleのAdsenseのようなキーワード広告に代表されるように、ウェブ広告は広告を見た人の行動を最終的な細かいコンバージョンのレベルまで補足することができるので、費用対効果が実に明確です。

 それに対してテレビCMのようなマス広告は、費用が巨額の割に成果が非常に見えづらく、効果測定が困難です。

 AD Innovatorの織田さんがnikkeibp.jpで米国AD TECHのレポートをまとめていますが、このレポートの中でも「今までのマスメディア型の一方向のメッセージの伝達の時代は終わり、企業と消費者間、消費者同士での双方向のコミュニケーションが始まっている」というコメントや、「マスマーケティングは終わった。なぜならマスメディアは終わったからだ」という発言など、米国で脱マスメディアの流れが明らかになっているのが読み取れます。

 ただ個人的には、日本国内では、それほど肌でその変化を感じられていません。
 先週Eビジネス研究会で、@コスメで有名なアイスタイルの吉松社長の講演を聞いてきましたが、その中でも大手化粧品メーカーの広告戦略がいまだにマス中心で動いているという話が出てきました。
 
 先日「ハードディスクビデオと電通の未来 を読んで」にも書きましたが、電通の業績は好調ですし、広告代理店の方々も、結構強気な話をされる方が多いです。

 実際のところ、日本でマス広告崩壊のきっかけは本当に見え始めているんでしょうか?
 どうも素人には良く分かりません。
 
 まぁ結局、「シフト」が始まっているだけなら、全体として大きく変化して見えるまでには数年かかるという話かもしれませんね。
 

 ちなみに、将来の広告の流れを考える上で興味深い記事を二つ見つけたので、メモも兼ねて紹介しておきます。

 一つは、goodpicの「U2が無料で協力するiPodと、FireFoxの25万ドル寄付広告に見る「プロモーションの自由」」で書かれていた「情報の蓄積というだけでなく、実際の商品の購買行動においても「意見交換してみる価値がある」商品が、自然淘汰を生き残っていくのかも。」という視点。
 そもそも口コミ的なものが発生する商品かどうかという、商品自体の価値が重要という話。

 そして、H-Yamaguchi.netの「ゲームにおけるプロダクトプレースメント」で書かれていた「新たな媒体が生まれればそこに広告がつく。きわめて自然な流れだ。ゲームの場合、通常の映像コンテンツに比べてインタラクティブ性が強いため、これからさらに発展し、新たな手法が開発されるだろう。」という視点。
 利用者の視線や興味を拘束できるものであれば、何でも広告になりうるという話。

 こうやって考えれば考えるほど、テレビ広告を中心にマス広告を打てば何とかモノを売ることができたという時代は終わるんだなぁ・・・と思うのですが。

 はたしてテレビCMを中心に10億円投じて力技で知名度を上げようとしている9199.jpはどうなるのか、興味深々な今日この頃です。