欲望のメディア (猪瀬 直樹)

4093942374 「欲望のメディア」は、猪瀬 直樹氏がテレビ事業の成り立ちや日本社会に与えた影響について考察した書籍です。
 日経の坪田さんに、「巨怪伝」を読んだ感想を話していた際に、こちらも読んだ方が良いと勧めて頂いたので、購入してみました。
 書評抜き読書メモを公開させて頂きます。
 私たちは、もう物心ついたときにテレビが普通に存在していた世代なので、テレビという物は合理的な背景から今のようなチャンネル構成で、事業構造になっていると思い込みがちなのですが。
 実は、正力松太郎吉田秀雄、田中角栄、そしてほとんどの人に記憶されていない多くの個人の思いや信念の大きな影響を受けているということを、改めて考えさせられた本です。
 特に印象に残ったのは、実はテレビも黎明期から成長記に書けて様々な批判に直面していたという事実。
 しかも、その批判にさらされていた同時期にテレビの広告費は雑誌やラジオを追い抜き、新聞の王座に迫るという背景があったり。
 テレビをネットに置き換えると、同じようなことが今起きている、ということが言えるような気がしてきます。
 個人的には、マスメディアのネットに対するネガティブキャンペーンにいつも悲しい思いを感じている人間ですが。
 30年ぐらいの長いスパンで考えれば、今のテレビのようにインターネットも多くの人の生活に普通に溶け込んでしまっていて、そんなネガティブキャンペーンがあったことも昔話になるのかな、と。
 そんなことを考えさせられる本でした。
 「テレビ」やテレビ業界のことを知っているつもりになっている方は、是非一度読むことをお薦めしたい本です。
【読者メモ】
■「大衆の受容能力は非常に限られており、理解力は小さいがそのかわりに忘却力は大きい。この事実からすべて効果的な宣伝は、重点をうんと制限し、そしてこれをスローガンのように利用し、その言葉によって、目的としたものが最後の一人にまで思いうかべる事ができるように継続的に行われなければならない。」(アドルフ・ヒトラー「わが逃走」)
■ヒトラーのつくりあげた組織は、ちょうど正方形の布の真ん中を摘んでピラミッド型に持ち上げたように立体的だった。
 日本型ファシズムでは、布は広げられたままで頂点がない。平面的だが、代わりに荒い網目のひとつひとつが相互にひっぱりつつ振動を増幅して伝え合っている。
 ヒトラーが羨望してやまなかった天皇制は、この無数の生きもののごとく反応する網目だった。
■テレビの散漫さ
 人びとの顔を無遠慮につるりと撫でるが、内面まで達しない。ヒトラーの昂ぶった声は、テレビよりラジオ向きなのだ。あるいは映画向き。勇壮なスペクタクルシーンも、テレビではコミカルに映る。
■彼(マッカーサー)はつねに英雄としてふるまうことを忘れなかった。生身の肉体を晒すよりもメディアを通じたほうが、より人びとの信頼を得やすい。そういう一面の真実を熟知していたのである。
■テレビはたとえ右にしろ左にしろ、人びとから思惟を抜き取り、観念を無化するという意味において、イデオロギー的な集中力を拡散させる方向に機能するのではないのか
■レスラーの役目は勝つことではなく彼に期待されている身振りを正確に果たすことだ。柔道は象徴的なものの秘密の分け前を持っているといわれる。
■テレビはプロレスにより、プロレスはテレビによって、認知された。力道山はテレビのおかげでヒーローとなり、テレビはヒーローを生むことで視聴者を吸引できた。


■ラジオ、テレビというもっとも進歩したマスコミ機関によって、”一億総白痴化”運動が展開されているといってよい(評論家大宅壮一)昭和32年
 (昭和三十四年、テレビ(の広告費)は雑誌やラジオを追い抜き、新聞の王座に迫った)
■小さなコラムは、予想外の影響力を持った。世の道学者は、待ってましたとばかり攻勢に転じた。政治家もPTAも、テレビの悪影響を批判する側に回った。
■実体のない家長に最後通牒をつきつけたのはテレビだった。
■テレビの番組は齢を重ねるごとに、確実に幼児化してきている。日本人は見違えるほど豊かになり、多様化したライフスタイルを模索しているはずなのに、テレビはますます貧しく、画一化しつつある。
■視聴者は番組の送り手に対し、消極的だった。しかし、多チャンネル時代を迎えるとき、視聴者は主体性を発揮する。無料であれば幼児的番組の垂れ流しも我慢するが、おカネを払ってでも観たい番組があれば、そちらを選ぶ。
■彼ら(ヨーロッパ)は文化的伝統に誇りをもち、視聴率一辺倒にはならないのである。これは諸刃の剣で、視聴者への迎合が薄い分だけ、番組つまりソフトウェアの開発に遅れをとった。
■テレビと映画は別個の道を歩んだ。しかし、ハイビジョンの横と縦の比率が映画と同じになったことで視聴者はアップの押しつけを拒否して主体性を回復する可能性が出てきたのである。
■ハイビジョンでは、たとえばクイズ番組やバラエティ番組は要らない。視聴者が要求するのは映画館で観る本格的なソフトであり、美術館で鑑賞する名画である。
■「昭和天皇崩御」で示された各局横並びの体制は、みごとなほどの”あうんの呼吸”だった。政府は四十八時間をすべて「天皇崩御特集」にせよ、とは命令していない。
■テレビが長い時間をかけてつくりあげたのは、それほどおかしくないのに非常におかしがってみせるノウハウなのだ。
■旧ソ連では地下文書があった。表が不自由なら裏メディアが発達する。日本のメディアにもさまざまな自主規制がある。はみ出た分は必ず裏に回る。その引き受け手が、良くも悪くもインターネットなのだ。

4093942374 欲望のメディア (日本の近代 猪瀬直樹著作集)
猪瀬 直樹
小学館 2002-06

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