「インターネットはいかに知の秩序を変えるか?」は、米国で有名なマーケティングコンサルタントとして知られるデビッド・ワインバーガー氏の書籍です。
「グーグル的思考」で言及されていた関係で、買って読んでみたので、書評抜き読書メモを公開させて頂きます。
この本では、タイトル通り、インターネットがいかに「知」のルールを変えたかと言う話が論理的に展開されます。
ネットにより情報の地位や扱いが大きく変わったという話は一般的によく言いますが、この本に書かれているように体系的に整理されている本は、これまでほとんど無かったように思います。
この本の原題は「Everything Is Miscellaneous」。
本文中の訳でいくなら「全ては種々雑多」であり、完璧な体系的な分類はありえないというところでしょうか。
インターネットによって何故既存の産業はその地位を根本から揺さぶられているのか、現在おきているパラダイムシフトの本質的な部分を理解したい方には、是非お勧めしたい本です。
【読書メモ】
■ブラウジングにはウィンドウショッピング以上の意味がある。
ブラウジングでは、店が念入りに検討して配列した商品構成を意図的に無視するのだ。
■何が欲しいかということを発見することは、欲しいと思っている本を見つけ出すのと同じぐらい、時としてそれ以上に重要なことである。
■整理の三段階
・第一段階:我々は物質それ自体を整理する
・第二段階:情報を対象物そのものから切り離し、カード等で分類する
・第三段階:内容はビットへとデジタル化され、内容に関する情報もまたビットで保持される
■整理の第三段階の実践は、我々が皆これに慣れるに従い、世界や世界に関する知識について我々に深く浸透している考え方のいくつかを弱体化させる
■アマゾンはメルヴィル・デューイの三つの考えを順番にひっくり返した
・デューイは世界共通の統一的な書籍カタログを追い求めたが、アマゾンは利用者ごとにあわせた多様な構成を提供する
・デューイは書籍をその内容に基づいて並べているが、アマゾンは既知の本から道の本にたどり着くための方法を可能なかぎり提供している
・デューイは十進体系の正確性、予知可能性、そして単一性を気に入っていたが、アマゾンは思うままに本を列挙してくる
■整理することにより、明らかになることよりも隠れてしまうことの方が多いという基本的な事実は、その事実自体が時として、世の中を整理する技術や科学の中で隠されてしまう。
■デリシャス ジョシュア・シャッチャーの二つの彗眼
・タグは個人がページを記憶し、後で探し出すための方法として有効ということ
・皆のリストを公開することがもたらす力を理解していた
■これまでの知識の体系化に影響した、知識の四つの性格
・現実は一つであり、それ故に知識も一つであると考える
・現実は曖昧ではないのと同様に知識も曖昧ではないと考える
・知識は現実と同じぐらい大きいので、誰も一人ですべてを把握できないと考える
・専門家は社会的な組織の中を出世しながら現在の地位を得ている
■知識に関する四つの戦略的な原則
・フィルターは入り口ではなく出口で
・葉っぱは出来るだけたくさんの枝にぶら下げよ
・すべてはメタデータであり、すべてはラベルをつけられる
・管理をあきらめよ
■情報の種々雑多化は、権威を確立した組織のいくつかを危険にさらす。
特にその権威が、情報を押さえていることに直接的に依存している場合。
■ウィキペディアはその弱点を躊躇なく明らかにして、オズのような権威をあきらめているが、それは同時に、何を信用して良いか我々が判断するための手助けにもなっている。
■ウィキが人々に共通のページを提供するものだとすれば、ブログは会話さらには知識を、時間と空間をまたがって配布するものだ。
■「平等や階層など、意味論におけるいろいろな関係を取り扱う能力をフォークソノミーは持たず、そのことが、広い範囲で悲惨な失敗を引き起こしている」(ピーター・モービル「アンビエント・ファインダ日リティ」)
■フォークソノミーの可能性を引き出す四つのポイント
・誰か別の多数の人間がタグをつけること
・人々のサイトへのタグのつけ方からコンピュータが学習すること
・コンピュータが、我々が誰なのか、どこに住んでいるのか、誰をしっているのかについて、より詳しく学習し始めること
・サイト自体にたくさんのヒントが隠されている可能性が十分にあるということ
■整理の第三段階で我々は「意味」を外部化している
デジタル化や情報の結合を「インフォメーション・ハイウェイ」とか巨大なライブラリーとして考えていると、この動きを見逃してしまうかもしれない。
リンクやタグの価値は暗黙の関係の中にあり、暗黙の関係は意味のインフラストラクチャーになっている
■「ネットワーク分析によりわかったことは、イノベーションは交差点で起こると言うことです」(ヴァルディス・クレブス「社会的な地図」)
■我々の知識は、統一され否定できないものになるほど面白みが薄れる
一方、会話はいつでも、時間を使う価値があるほど面白いものに関するものである。
■ブログの世界は、移民に関する大きく複雑な問題を簡潔、明瞭に仕様とした大統領のアドバイザー達の丁寧な仕事を、逆戻りさせたのだ。
簡潔な議論、簡潔なアイデア、簡潔な言い方。これが政治家の話し方だ。
しかしこれは我々、すなわち彼らに投票している我々選挙民の話し方ではない。
■マーケッターは今や、購入する商品についての客同士の口コミと競争状態にある。このような口コミでは決して単純なセリフを何度も何度も繰り返すようなことはない。
■ビジネスが当初ウェブを真面目に考えたとき、そこで語られていたのはもっぱら「中抜き」ということであった。(中略)しかし、これが起こったのは、ビジネスが「付加価値」と考えていたものが実は客の目からは非効率と見えていた、そのような場所でのみであった。
■我々は過去十五年間にわたって、CEOの頭に、ビジネスはどれもが情報ビジネスであると叩き込んでしまい、ミスリードしてきてしまった。
今情報は日用品となっており、種々雑多の状況に放り込んだ方が価値が高まるものとなっている
■メタビジネスの立ち上がりは、当初期待されていたようなウェブが商品への直接アクセスを客に提供し、ビジネスは中抜きされるということに逆行するものだ。
確かにウェブは何の価値も提供しない仲介業者を排除したが、一方で、情報をベースとする新しいビジネスが立ち上がる機会を提供している。
■メタへの移行が、多くの従来からある業界を怖がらせているのは理解できる。
情報の種々雑多化とは、情報をもともとの生まれてきた木からむしり取り、活用出来る人なら誰でもそれにアクセス出来るようにすることだからだ。
■情報は、それを作ったビジネスのサイトにないからこそ権威が高いものになる。
インターネットはいかに知の秩序を変えるか? – デジタルの無秩序がもつ力 柏野 零 エナジクス 2008-04-08 by G-Tools |