「フェイスブック 若き天才の野望」は、フォーチュン誌の元記者であるデビッド・カークパトリックが、フェイスブック全面協力のもと執筆したフェイスブックの歴史本です。
献本を頂いたので、書評抜き読書メモを公開させて頂きます。
いや、この本はスゴイ本です。
内容ももちろんスゴイんですが、なんといってもデビッド・カークパトリックの綿密な取材ぶりがすごい。
まさにジャーナリストの鏡と言っていい充実度。
普通私は行き帰りの電車で1~2冊本を読んでしまうんですが、この本はあまりに内容が濃くて、読むのに一週間以上かかってしまいました。
なにしろ、マーク・ザッカーバーグが、ライバルのグーグルのラリーかセルゲイと食事をした際に無邪気に「フェイスブック使ってる?」と聞いて、使ってないといわれて露骨にがっかりした、という場面に普通に同席してたりするんです。
正直、映画の原作になったベン・メズリックの書籍「facebook」がただのノンフィクション本に思えるほど。
(まぁ、映画にするならあの脚本の方が面白くなるのは間違いないですが)
ヤフーによるフェイスブック買収の内幕から、マイクロソフトとの逸話やCOOであるシェリル・サンドバーグの獲得話まで、自分自身当時はTechCrunchの記事や噂話をいろいろと見ていましたが、その辺の裏話は見事にカバー。良くもまぁ現在進行形の会社の話をここまで丁寧にまとめたと本当に感心します。
2008年5月に、一度マーク・ザッカーバーグが日本に来日して、いよいよフェイスブックが日本市場に力を入れるんじゃないかと、日本でもプチフェイスブックブームが盛り上がった時がありましたが。
この本を読むと、実はあの来日はザッカーバーグにとっては長期休暇の世界旅行みたいなものだったというのが読み取れてしまい、何だか笑うに笑えなくなってしまったり。
詳細の内容はとにかく本を読んで欲しいと思いますが。
この本を読むと、映画「ソーシャルネットワーク」に描かれているような、メディアが報じているフェイスブック像やマーク・ザッカーバーグ像がかなり間違ったものであることを確信させられる羽目になります。
映画に描かれているような創業当初はどうだったのかは別として、現在のザッカーバーグは間違いなく、フェイスブックによってひらかれる透明性の高いインターネットの可能性を本気で信じているんですよね。
ザッカーバーグ自身は大学生からそのまま今の会社のCEOになったわけで、いわゆる一般的なサラリーマンがもとめているような二元的なアイデンティティ感には興味が無く、本書でも「2種類のアイデンティティーを持つことは、不誠実さの見本だ」とまで言い切っています。
現在は日本でもフェイスブックの匿名アカウント削除騒動が花盛りで、日本で実名インターネットが受け入れられるかどうかという議論がそこら中でされていますが。
この本を読むと、実はアメリカも元から実名インターネットだったわけではなく、日本と同じようにインターネット=匿名の世界、という価値観が中心だった世界から、フェイスブックが一波乱も二波乱も乗り越えながら、現在の実名中心の世界観を構築してきたことが良くわかります。
この辺りの話は、また別途ブログでまとめてみたいと思いますが。
先日書いた「FacebookはmixiやGREEを食わず嫌いだった世代に、シンプルにSNS初体験の感動を与えてくれてるのかも。」という記事も、この本に影響を受けたところが多々あります。
もう既に最近お会いした人には、フェイスブックの話題になった時に必ず勧めてますので耳にタコができた人も多いかもしれませんが(苦笑)
この本はフェイスブックブームとは関係なく、間違いなくインターネットに携わっている全ての人が今年読むべき本のNo1筆頭と言える本では無いかと思います。お勧めです。
【読書メモ】
■「われわれの目的はサイトの滞留時間を最大にすることではない。われわれのサイトを訪問している時間を最大限に有意義なものにしようと努力しているんです」(マーク・ザッカーバーグ)
■実名主義はフェイスブックの最も重要な方針だ。
匿名性は長らくウェブの常識だった。たとえばAOLのハンドル名に実名を使うユーザーはほとんどいない。しかしフェイスブックでは事情が違う。
フェイスブックでは架空の人物をつくり上げたり、自分を誇張したりしてもほとんど得るところはない。
■「ぼくらは世界にもっと透明性を加えることが必要だと。さまざまな情報へのアクセスを拡大して情報の共有を広げることが、結局、世界に必然的に大きな変化をもたらすと、ぼくらは考えた」(ザッカーバーグ)
■ザッカーバーグはデータベースやサーバーのアップグレードのつど、その時点のユーザー数の10倍のユーザーに対応できる能力に拡充した。このオプティミズムは霊感ともいうべき先見性だったことが後に判明する。
■フレンドスターは自らの成功によって押しつぶされていった。
1ページを読み込むのに20秒もかかるようになった。
また「フェイクスター」とあだ名を付けられた一部ユーザーとの戦いがブランド・イメージを傷つけていた。
■マイスペースは、意図的にいわゆるフェイクスターをターゲットにしたのだという。
アンダーソンは「匿名であろうとアニメキャラであろうと自由なアイデンティティをつくってよい」ということをセールスポイントにした。
■ザ・フェイスブックにはセックスの強い底流があった。メンバーは現在の恋愛関係として女性に関心があるのか男性に関心があるのかを記入することになっていた。
■ポークはおおいに洗練され分別もあるはずのハーバードの学生の間でさえ、むやみに流行した。その秘密は、ポークが公式にはなんら性的意味を含んでいなかったことにあった。
■フェイスブックの「トランス状態」
ユーザーはひとたびザ・フェイスブックでほかのユーザーのプロフィールを読み始めると、次から次へと止めどなく読み続けるのだった。
■「ぼくはこのサービスをどうつくっていくかを考えている。出ていくことなんか考えていない。(中略)悪いが、出口戦略なんか考えたことがない」(ザッカーバーグ)
■「フェイスブックでの写真の共有というのは、「おい、ここにきみの写真を投稿したよ。きみはぼくの生活の一部だ。きみと近い関係にあることをみんなに知ってもらいたいんだ」というメッセージなんだと知った」(シッティング)
■サイトの年齢層が拡大した結果、もし若者がやめていくならそれで良い。ザッカーバーグは、フェイスブックのユーザーが自分たちの友達の輪の外にいる人のことなど、大して気にしていないことを知っていた。
■(ニュースフィードを開始した際)フェイスブック始まって以来、最大の危機が始まった。フェイスブックに対するメッセージでポジティブなものは100件に1件だけだった。
(反対グループがベン・パーにつくられ)約3時間のうちにメンバー数は1万3000人に達した。その日の深夜2時には、10万人になっていた。水曜日の昼までには28万人が参加し、金曜には70万人を超えた。
■しかし、こうした騒ぎをよそに、ザッカーバーグとフェイスブック全社員は、この事件に関わる極めて皮肉な事実をはっきりと目のあたりにする。抗議グループの広がりがあまりに早いのである。このこと自体がニュースフィードが有効であることの証であると彼らは確信した。
■ザッカーバーグは、ニュースフィードを微調整することをまったくいとわなかったが、停止することは一瞬たりとも考えなかった。
■今まで自分に関する情報を誰かに伝えたい時には、相手に何かを「送る」必要があった。ところがニュースフィードはこのプロセスを逆転させた。
■「アイデンティティーはひとつだけ」
フェイスブックを始めた頃、大人のユーザーには仕事用のプロフィールと「楽しめるソーシャル用プロフィール」の両方を用意すべきだという声があった。ザッカーバーグは常に反対した。
「仕事上の友達や同僚と、それ以外の知り合いとで異なるイメージを見せる時代は、もうすぐ終わる」
■「2種類のアイデンティティーを持つことは、不誠実さの見本だ」
「現代社会の透明性は、ひとりがふたつのアイデンティティーを持つことを許さない」
■Life3.0
「オンラインでの生活が増えるにつれ、本来の形で人とつながるようになる。閉じこもって弱さを見せたがらない人たちには、いつになってもわからないだろう」(ジェフ・パルヴァー)
■「本当の自分にならない限りフェイスブックにはいられない」(シェリル・サンドバーグ)
フェイスブックのおかげで、最近の若者たちは、彼氏や彼女をだますのが難しくなったという人もいる。
■ピアツーピアプライバシー侵害(グリメルマン)
写真がアップロードされタグ付けされるのは、自分の「友だち」が実行しているからなのだ
■フロントページ(新聞の一面)ルール
プロフィールには詳細で正確な情報を載せ、積極的に会話に参加している。しかし、もし地元の新聞の一面に載ったらショックを受けるようなことは、絶対に書かないようにしている。
■「ぼくがほしいのは、われわれ自身のアプリケーションを有利にしないエコシステムなんだ」(ザッカーバーグ)
■今やゲームは、フェイスブックで最も成功しているタイプのアプリケーションで、驚異的な数のプレーヤーを集めている。これは道理にかなっている。なぜなら、ゲームは基本的にソーシャルな行動だからだ。
■広告用語で言えば、グーグルのアドワーズ検索広告は「要求を満たす」
対照的に、フェイスブックは要求を生み出す。
■「基本的な考え方は、広告がコンテンツであるべきだということ、広告とは本来、人間がサイト上で生成する有機的情報であるべきだ。人間がつくり出す多くの情報は本質的に商業的だ。何かを好きになることは、人間としてのわれわれのアイデンティティーの一部だが、そこにはまた商業的価値もある」(ザッカーバーグ)
■あらゆる個人によるフェイスブック上での公開表現は、他人に対する一種の「贈り物」である。
■ザッカーバーグは、フェイスブックが誰かのつくったニュースを追いかけるためのツールではないことに気がついた。フェイスブックはそれ自身の上で、ニュースをつくるためのツールだった。
■ニュースフィードのニュースは、かつていかなる専門メディア組織が配信しようとしたニュースよりも、はるかに個人的だった。それは友だちが何をしているか、何に関心があるかに関する当たり前な日常の情報だった。
■「歴史が教えるところによると、システムが最も公正に統治されるのは、決断を下す人々とその影響を受ける人々との間に開かれた透明な対話がある時です。私たちは、いつの日かこの原理が企業にも当てはまることを歴史が示してくれると信じています。」(ザッカーバーグ)
■「敵は正面からではなくいつの間にか背後に忍び寄ってくる。だからツイッターはフェイスブックが十分注意すべきタイプの相手なのだ」(マーク・アンドリーセン)
■「5年もすれば、フェイスブックの中にいるのか外にいるのか区別がなくなる。人とコミュニケーションをとる場面には必ずついてくるようなものになるだろう」(マット・コーラ-)
■「ぼくは毎日のようにこう自問している「今ぼくは自分にできる一番大切なことをやっているのだろうか」と」(ザッカーバーグ)
フェイスブック 若き天才の野望 (5億人をつなぐソーシャルネットワークはこう生まれた) デビッド・カークパトリック 小林弘人 解説 日経BP社 2011-01-13 by G-Tools |