五輪エンブレム騒動に私たちが学ぶべき炎上対応4つの基本 をYahoo!ニュースに寄稿しました。

 このたび、Yahoo!ニュース個人に場所を頂きまして、ブログ記事の一部を寄稿させて頂くことになりました。
 ただでも、ブログの更新が滞っているのに、Yahoo!ニュースの寄稿なんて続くのか?と思って長らく挑戦しようとしていなかったのですが、比較的自由な執筆サイクルで良いとの寛大なお言葉を頂いたので、思い切って挑戦させて頂いた次第です。

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 コラムのタイトルとなっている「ネットコミュニケーションの視点」は、もともとこのtokuriki.comのブログにつけていた名称です。
 今はカテゴリの名称にしてしまってますが、この機会に昔のようなニュース考察系のブログを再開してYahoo!に寄稿してみようと復活させてみました。

 で、実は、Yahoo!ニュース個人に場所をいただきたいと思った背景が、今回の1本目の記事である「五輪エンブレム騒動に私たちが学ぶべき炎上対応4つの基本」になります。
 五輪エンブレム騒動は、横目で見ながら本当に日々悲しく感じていたのですが、ブログで書いたところでたいしてインパクトないだろうし、とか、表で書くとバッシングされそうだし、と悶々としていたところ。
 深津さんのエンブレムデザインについての記事を拝見して、やっぱり自分が思っていることを、ちゃんとできるだけ多くの人に読んでもらえる可能性が高い場所に書いた方が良いのかもしれないと背中を押されて、Yahoo!ニュース個人の門をくぐった次第です。

 お陰様で寄稿開始のご祝儀だと思いますが、光栄なことになんとYahoo!トピックスにも取り上げて頂いたようで、たくさんの反応を頂きました。

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 正直、五輪エンブレム騒動についての自分の意見を述べたことで、Yahoo!ニュース個人に場所を頂いた目的をすっかり達成してしまった上に、期待値が随分と上がってしまったので、今後はもう二度とこのピークを越えられないんじゃないかという確信を持ってしまったりしていますが。
 ブログの延長として気長に寄稿を続けさせていただきたいと思いますので、よろしくお願いします。

 なお、一応ブログの方にロゴに残すという趣旨で、Yahoo!ニュース側に寄稿した内容をコピペして投稿しておきますが、画像等はYahoo!の方に入っていてその方が読みやすいのでそちらで是非どうぞ。
 


五輪エンブレム騒動に私たちが学ぶべき炎上対応4つの基本

 五輪エンブレム騒動のもやもやが全く消えない今日この頃、皆さんはいかがお過ごしでしょうか?

 個人的には一人の日本人として、素直に2020年のオリンピックを楽しみに待っていたかったのに、新国立競技場に、五輪エンブレムに、とまさかの白紙撤回が続くこの状況に、なんとも複雑な感情を抱かざるを得ません。

 特に今回の五輪エンブレム騒動においては、炎上対応における典型的な悪手が続けざまに繰り出されてしまった結果、騒動の当初、デザインの専門家からすれば特に問題の無かったはずの五輪エンブレムが、結果的に白紙撤回されてしまうという異常事態になりました。

 これにより、一般人にとっては「ロゴが似ていたら撤回するのが当然」という印象を与えてしまう結果となっています。
 先日東京都が発表したロゴに対しても早速同様の横やりが入ってしまったようですし、類似の炎上騒動は五輪以外のところにも飛び火してしまっています。今後、新ロゴを発表する全ての企業が同様の洗礼を受ける可能性が高くなってしまったわけで、今回の騒動はこれからの東京オリンピックどころか、今後の日本産業全体にとって大きな禍根を残してしまった出来事として歴史に残る可能性すらあります。

 新しいエンブレムについてもこれから公募が始まるレベルでまだまだ騒動が無事に落ち着くかどうかは予断を許さない状況ですが、せめて今回の騒動から、学ぶべき所を学び、今後同様の騒動が起こった際に今回のような最悪の結果にならないために、実際に自分達が同じような状況に追い込まれてしまったらどうするべきか、という観点で今回の騒動を振り返ってみたいと思います。
(なお、以下文章においては東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会を組織委員会と省略して記載しています。)

 今回の炎上騒動が最終的に最悪の結果になってしまった背景には、炎上対応の失敗例の典型である4つの要因が存在すると考えています。

■初動の遅れは取り返せない
■炎上原因の誤解がさらなる炎上の火種に
■メディア対応における逆ギレは致命傷
■責任者の不在こそが最大の問題

 一つずつ解説しましょう。

■初動の遅れは取り返せない

 まず、大抵の大炎上事例で必ず言われるのがこの「初動の遅れ」です。
 今回のエンブレム騒動の初期の出来事を時系列に振り返るとこうなります。

7月24日エンブレムが発表
7月27日オリビエ・ドビ氏がFacebookやツイッターで類似性を指摘、ネットで話題に
7月29日ドビ氏の法的対応検討が各種メディアで話題に
7月31日ドビ氏側が使用停止を求める書簡を送付
7月31日佐野氏側は組織委員会を通じてコメントを発表
8月3日書簡の到着がニュースに
8月5日第1回釈明会見
 

 29日に法的対応の検討についての報道があってから、佐野氏側がコメントを発表するまでは中1日。
 27日に類似性の指摘が話題になってから実際には3日以上沈黙を貫いていたという印象を持たれてしまったのが、まず大きいです。

 佐野氏がソーシャルメディアアカウントを削除していた関係で、余計な憶測をされてしまったのも疑惑を大きくしているようですが、さらには、類似性の問題について報道されてから会見まで1週間も間が空いてしまっているというのはかなり問題です。

 背景には佐野氏の海外出張が重なっていたことが影響しているようで実に不運だったと言えますが、31日に発表されたコメントでは詳細が説明されておらず帰国後に会見して見解を表明すると簡単なコメントを発表しただけだったため、疑惑が疑惑のまま憶測を呼び、5日の記者発表会まで話題が広がる結果となっています。
 今回の騒動にとってはこのタイムラグは致命的でした。

 その間にネット上は様々な憶測が広がりましたが、メディアの記者の方々も明らかにそれらの発言に目を通してから記者会見に望んでおり、それらの憶測を前提とした質問が次々に飛び出す形となっています。
 
 例えば炎上鎮火の成功事例として知られるUCCのケースでは、炎上騒動が発生したその日の夕方にUCC側が謝罪のプレスリリースを出したことで、逆にツイッターユーザーが感心する、という結果になりました。

参考:見事な“鎮火”はなぜ可能だったのか UCCの事例から考えるTwitterマーケティング

 ネットの炎上においては沈黙は事実の肯定と受け止められがちです。
 当然、企業側が炎上に対して反応することによって、より炎上の事実を多くの人に知らしめてしまうというデメリットはありますが、炎上や疑惑が大きくなれば大きくなるほど、ちょっとやそっとの反論では信じてもらえなくなってしまいます。

 逆に言えば、もしドビ氏による類似性の指摘に対して、組織委員会や佐野氏側が早期に否定するなり、直接ドビ氏とのコミュニケーションを取って和解をすることができていたら、ここまでの炎上にはならなかったかもしれないということも言えるわけです。

■炎上原因の誤解がさらなる炎上の火種に

 ただ今回の五輪エンブレム騒動において、騒動の方向性が炎上拡大に向かってしまった最大の原因は、おそらくこの問題の火種の背景に対する誤解でしょう。

 組織委員会は、問題の根本は当然「エンブレムが似ていること」だと認識されていたと思いますが、実はこの段階で炎上の原因となっている根本的な問題は、新国立競技場問題から続く、「オリンピック組織委員会全体への不信感」にありました。
 この炎上原因に対する認識のズレが、さらなる炎上を招く結果となります。
 
 8月5日の釈明会見においては、終始デザインにおける法的・技術的な視点を軸に、ドビ氏側の使用停止要求に対する防衛的な説明が行われます。当然、問題の発端はドビ氏側の使用停止要求にあり、それに対して法的見解から回答するのは法的には当然のことです。

 ただ、重要なポイントは既にこの時点では、この問題は単なる法的な問題では無く、新国立競技場問題から続く組織委員会の不祥事として、国民的関心事である報道対象になってしまっていたという点です。
 つまり、国民が求めているのは度重なる不祥事に対するお詫びの言葉であって、この際技術的な細かい説明は役に立たない状況に陥っているわけです。

 当時、このデザインの類似性に対するドビ氏側の要求は、ドビ氏側が商標登録等を行っていなかったため、業界の常識としては日本側に分があるというのが一般的な見方でした。
 そのため、会見の雰囲気としてもどちらかというと佐野氏をはじめ組織委員会関係者はドビ氏側に対する困惑や不信感を表明していた印象を受けています。

 ただ、実はこれは国民的関心事になっている記者会見の場においては、登壇者から発せられるドビ氏に対する困惑や不信感が、メディアや視聴者に向けられていると誤解されるリスクがある行為です。

 実際、もし新国立競技場問題がなければ、今回の五輪エンブレム騒動が冒頭からこれだけ注目されることはおそらくなかったでしょう。
 そういう意味では佐野氏側には非常に不幸な環境になってしまっていたという現実はあります。

 ただ、逆に言うとその現実を踏まえずに、法的・技術的釈明会見を行ってしまったのは明らかに失敗です。
 事前に組織委員会に対する疑惑や憶測の印象を強く受けていた人々は、会見での謝罪の言葉を期待していたはずですが、佐野氏が強い言葉で完全否定を行ったことで、ある意味自分に対して反論されたという印象すら持ってしまった可能性があります。
 疑惑に対する完全否定が、逆に疑惑を持っている人への挑戦状となってしまったわけです。

参考:「まったくの事実無根」 東京五輪エンブレムのデザイナーが会見、盗用疑惑を強く否定 書体など詳細も説明

 このエネルギーが、この記者発表会のあと展開される佐野氏の過去の仕事に対する粗探しを行うエネルギーになってしまった可能性が高い、と考えられます。

 同様の構造問題で参考になる事例が、トヨタのプリウスでブレーキ問題が議論を呼んだ2010年2月の記者説明会です。
 この際も、記者説明会においてトヨタの経営陣は、専門家に対して問題の技術的背景を説明することに終始しました。それにより専門家は納得したものの、その会見を見た視聴者はトヨタはユーザーに謝罪をしようとしていないと受け止めてしまい、さらに騒動が拡大する結果となってしまっています。

参考:トヨタ幹部「クレーム隠しではない」 プリウス問題

 今回の五輪エンブレム会見も、構造は同じです。
 本来、この問題は、新国立競技場に続く、組織委員会の不祥事として国民には受け止められていました。
 まず、この記者会見でされるべきは、国民に不安を与えていることへの謝罪であるべきで、ドビ氏への対応については真摯に説明して理解を得たいという程度の説明でも良かったかもしれません。

 いずれにしても、この会見がきっかけとなり、ネット上では佐野氏の過去の仕事に対する粗探しが本格化する結果となりますから、せっかくの会見の場を逆に敵を増やす場にしてしまったのは実に残念な結果といわざるを得ません。

■メディア対応における逆ギレは致命的

 さらに佐野氏側の対応で事態の悪化に輪をかけたのがメディアに対する広報対応です。
 様々な情報を伝え聞く限り、会見後の佐野氏側の広報対応はお世辞にも良いとは言えない状況になってしまっていたようです。

 佐野氏側からすると、ドビ氏の行動により自分達があのような状況に追い込まれて、自分達が被害者であるという意識が強かったであろうことは容易に想像出来ます。別の仕事におけるトレース問題によって、エンブレムに対しても疑惑が広がってしまった状態で、四面楚歌の状態に陥り、メディアに対しても不信感を持ってしまっていたこともあるでしょう。

 ただ、ここまで世間の注目が集まっている中での、メディアに対する逆ギレ対応は完全に致命傷となります。

参考:佐野氏広報担当が「サントリー」問題を謝罪 それ以外の疑惑は「何一つない」

 例えば、上記のスポーツ報知の記事では、「徒歩で会場入りした佐野氏は、報道陣のカメラを目にするなり「撮らないでもらえますか」と不機嫌な表情。呼びかけには応じることなく、中へと入った。」や「語気を強めて「1個ミスしたらすべてダメになるんですか? エンブレムの制作過程に何か問題があるのですか?」とまくし立てる場面もあった。」、「佐野氏は終了後も報道陣に対応することはなく、タクシーで会場を後にした。」など、明らかに佐野氏側のメディア対応が強気なものであったことが伺えます。

 疑惑の火が消えずに敵に回っている人が増えている状況で、ネットだけでなくマスメディアの記者の方々も敵に回してしまうのは、致命的です。

 同様の失敗事例は、雪印集団食中毒事件での当時の雪印社長による「わたしは寝ていないんだよ!!」発言や、集団食中毒を引き起こした「焼肉酒家えびす」の社長による逆ギレ会見が有名です。

参考:逆ギレしたかと思うと涙の土下座 「集団食中毒」社長態度一変の理由

 仮にその場でのメディアの取材が行きすぎたものであったとしても、それに対して逆ギレして発言をすると、他のメディアや視聴者も、その逆ギレの矛先が自分であると受け止めてしまい敵に回ることになります。
 本来メディアが同情的な状況で、メディアに対して冷静な対応ができていれば、上記の佐野氏広報担当の謝罪記事も全く記事のトーンが変わります。
 
 それが逆ギレにより、メディアの記事があそこまで批判的に書かれてしまうと、これを見た読者も敵に回るという負の連鎖が発生するわけです。

 特に佐野氏の事務所におけるトレース問題をスタッフの責任にした上でのこの逆ギレは、政治家が不祥事を秘書の責任にして自分は責任回避をする典型的なパターンという印象を免れません。残念ながら自爆に近い、非常に問題のある対応だったと言えるでしょう。

 ネット上での疑惑が消えないからこそ、せめてメディアに対する対応は冷静に行わなければならなかったのですが、この構造によりもはやこの騒動は止められないところまで来てしまっていたと言えます。

■責任者の不在こそが最大の問題

 最終的に、今回の五輪エンブレム騒動は、何とか事態を収束したいと考えた組織委員会が再度8月28日に会見を行い、再度技術的な説明を行うことで疑惑の払拭に努めようとしますが、最初の案にも類似のロゴが存在することや、説明時に利用した資料自体に画像の盗用が存在することが指摘されることになり逆に深刻な延焼を引き起こしました。

 その結果、最終的に佐野氏側が模倣については完全否定を続けながらも、エンブレムについては白紙撤回をする、という非常に分かりづらい結果となってしまいます。

参考:ついに白紙撤回。五輪エンブレムはなぜ炎上したか?

 最初から最後まで、もやもやが続く残念な展開だったと言えるでしょう。

 このもやもやが続いている状況という点に、今回の炎上の最大の原因であり最大の問題であるポイントが隠れています。
 それが「責任者の不在」です。

 先ほど、プリウスのブレーキ問題において、トヨタ側が炎上の火種の背景を見誤った質疑対応を会見でしてしまい炎上が広がった事例をご紹介しましたが、トヨタ側はその後スタンスを変えます。
 最終的には豊田章男社長が自ら米国の公聴会で謝罪をし、その後販売店や工場の従業員を集めた会合にも出席、アメリカのテレビ局・CNNに向かい、トーク番組にも生出演するなど、あえて厳しい場にも社長自ら出ることによって積極的に謝罪を行い、世間のムードを大きく変えることに成功しました。
 この騒動の豊田章男氏の最終的な対応については多くの方々が賛辞を送っています。

参考:豊田章男の涙:日本人の心を掴む「男泣きの作法」 名経営者のコミュニケーション術
 

 この際にポイントになっているのがリーダーシップのある責任者による誠意ある謝罪です。
 
 そもそも、今回の五輪エンブレム騒動において、騒動に対してリーダーシップを持って対応しなければいけないのは組織委員会であって、エンブレムを応募した佐野氏ではなかったはずです。
 新国立競技場の白紙撤回に至る経緯においても、組織委員会や関係者が全ての責任をザハ氏のデザインに押しつけるような議論が目につきましたが、本来は公募を通じて選ばれた新国立競技場やエンブレムのデザインは、組織委員会側が選んだ時点で全ての責任の主語が組織委員会に移っていると考えるのが普通でしょう。

 さらに、今回の五輪エンブレム騒動においては、最終的に選ばれていたエンブレムは、佐野氏が応募したデザインが元となり組織委員会との繰り返しのやり取りにおいて完成したものであることが明白になっています。
 そういう意味では、実は明らかに今回のエンブレムは佐野氏と組織委員会の共同作業による成果物であり、最初の会見でいかにも佐野氏個人によるデザインであるように説明させた時点から対応を間違ってしまったというのが率直な印象です。

 実際には、騒動が発覚したタイミングで、リーダーシップを持った責任者が出てきて、率直に五輪エンブレムについて国民に不信感を持たせるような結果になっていることをお詫びすることが、あの段階で一番必要なことだったと考えられます。
 
 少なくともドビ氏の法的措置が明確になった会見のタイミングで、責任者が登場し、騒動に対するお詫びを誠意を持って国民に対して伝え、ドビ氏の法的措置に対しては委員会側で誠意を持って理解して頂けるように努めたい、と説明していれば、相当印象は違ったはずです。

 もしくは、今回の五輪エンブレムを選んだ思いや、エンブレムも含めたオリンピック全体に対する熱意を説明することで、ベルギーのロゴに結果的に似てしまったことをお詫びしつつ、是非このエンブレムで本大会を迎えたいから支援して欲しいと誠意を持ってお願いすることで、世論にドビ氏ではなく日本側、組織委員会側の味方になってもらうという選択肢もあったはずです。

 そうした責任者の誠意ある説明や、騒動自体に対する謝罪によって事態が沈静化すれば、実は佐野氏個人の仕事に対しての粗探しが始まることもなかったかもしれませんし、佐野氏がメディアに対して逆ギレすることもなかったかもしれませんし、佐野氏の内部資料を基にした弁明会見を行うことでさらなる画像転用の問題が注目されることも、そもそもなかったかもしれません。

 そうすれば、ここまで私たちが楽しみにすべき2020年のオリンピックに対して複雑な気持ちになることもなかったかもしれないわけです。

■五輪エンブレム騒動を良いきっかけにするために
 
 もちろん、五輪組織委員会のようなプロジェクトチーム的な組織は、様々な場所から集まった人々で組織されている委員会でしょうし、通常の企業のように明確にリーダーシップを持った方が統率している組織ではないのかもしれません。
 ドビ氏が法的措置をちらつかせた段階で、IOCも巻き込まれてしまい、組織委員会だけでは対応出来ない問題になってしまったという事実も悪い方向に影響してしまっているとも聞きますから、組織委員会の方々だけの権限では対応が難しかった問題なのかもしれません。

 そもそも、佐野氏の仕事における管理体制自体に対するプロの方々からの問題提起も聞こえますから、佐野氏が選ばれた時点で、組織委員会としてはどうしようもなかったという見方もあるかもしれません。
 また、こうした議論は全て後から振り返った「たられば」の話であって、今更しても仕方がない話なのは明白です。

 ただ、今回の五輪エンブレム騒動の真に恐ろしいのは、まだ最初の案の白紙撤回がされただけであって、新国立競技場同様ゴールが全く見えていないという点です。
 組織委員会の対応が、今後も同様に責任者不在のように見える対応を続けた場合、広くエンブレムを公募で集めようがプロセスをオープン化しようが、第二の五輪エンブレム騒動がおこった際に、同様の対応をしてしまうと、また同じネガティブスパイラルに入ってしまう可能性が否定出来ません。

 今、組織委員会の方々に是非行っておいていただきたいのは、何故ここまで技術的には問題が無かったはずの五輪エンブレム騒動が、オリンピックの歴史に残る汚点になりかねない騒動になってしまったのか、という振り返りと総括だと思います。
 
 逆に言えば、今回の騒動をきっかけに、オリンピックに批判的な方々とのコミュニケーションのあり方を認識し、オリンピック招致の際に実現出来たはずの日本全体を巻き込んで盛り上げていくようなコミュニケーションのスタイルを再度確立することができれば、オリンピック開催の折には今回の騒動が良いきっかけになったと振り返ることも可能だと感じます。
 また、まさにそのために「東京2020エンブレム委員会」に様々な方々が参加され議論を尽くされていることを期待しています。

参考:エンブレム選考特設ページ #東京2020エンブレム

 2020年に見せてもらえるだろう感動を、私たちが素直な気持ちで心から感動として受け止めることができるように、是非組織委員会やオリンピック関係者の方々には、今回の騒動をなんとか参考にしてこれ以上の同様の騒動の再発を防いで頂きたいと思いますし。
 開催前の騒動すら忘れさられてしまうぐらい、素晴らしい感動だけが記憶に残る東京オリンピックが開催されるために、がんばって頂きたいと、心から祈る今日この頃です。

新しい企画を上司が理解してくれないなら、自分でリスクを取って成功してから報告するべし を宣伝会議 AdverTimesに寄稿しました。

火曜日に宣伝会議「AdverTimes(アドタイ)」の「アンバサダーの視点」に寄稿しているコラムが掲載されましたので、ご紹介します。

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今回のコラムでは、先日開催されたadtech関西のセッションの感想を元に、新しい企画に挑戦する際に社内の理解をどう得るかについて考えてみました。

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実は、自分で小さく実験してから社内の理解を得て、徐々に規模を大きくしていくというのは、ほとんどのデジタルマーケ担当やソーシャルメディア担当の方々が通ってきた道なんだよな、とあらためてつくづく感じた次第です。
未知の領域に踏み込むには最初絶対リスクありますもんね。

改めて、自分ももっとチャレンジしないとなと再認識した一日でした。

参考:マス広告による大量リーチと、エンゲージメントを重視した手法の比較に意味があるのか adtech関西で議論したいと思います。


やっぱり「広告脳」と「PR脳」は構造が違うので、別部署にする方が現実的?

前回のコラムでは、「広告脳」と「PR脳」は根本的に価値観や構造が異なるという話を紹介しました。

この縦割りの組織論とは別に、デジタルマーケティング時代やソーシャルメディア時代に課題となっているのは、従来のやり方や価値観と全く異なる新しいアプローチに挑戦しなければいけないという現実です。

「うちの会社は上司の頭が固いから、新しい企画を全く試せないんです」という担当者の方々の愚痴を耳にすることは珍しくありません。何しろ、ソーシャルメディア施策においては、未体験の施策というだけでなく、広告脳からPR脳へのジャンプも必要なため、二重に難しい話になります。

特に大きいのが、実施前の広告効果の予測の考え方の根本的な違い。

続きは、宣伝会議 AdverTimesのサイトでご覧下さい。
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やっぱり「広告脳」と「PR脳」は構造が違うので、別部署にする方が現実的? を宣伝会議 AdverTimesに寄稿しました。

火曜日に宣伝会議「AdverTimes(アドタイ)」の「アンバサダーの視点」に寄稿しているコラムが掲載されましたので、ご紹介します。

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今回のコラムでは、前回のコラムに続いて、5年前のコカ・コーラさんの上海ツアーでの体験談を取り上げてみました。

前回のレイチェルさんに続いてナタリーさんの写真を使いたかっただけだろ、というご指摘も甘んじて受けますが。

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レイチェルさんとは別の意味で彼女もすごかったんですよね。
当時は実はまだGMからコカ・コーラに移られたばかりのタイミングだったのですが、コカ・コーラのソーシャルメディア戦略について非常に整理された分かりやすいプレゼンをされていました。

参考:コカ・コーラの取り組みに学ぶ、企業のソーシャルメディア活用の4つの真実

米国におけるソーシャルメディア活用の進み具合に衝撃を受けてちょっと羨ましかったりもしましたし、各国のブロガーと情報交換をできて非常に刺激を受けた4日感でした。
そういう意味で、広告とPRやコミュニケーションのあまりの価値観の違いに、つい今回のコラムのような結論になってしまう次第です。


やっぱり「広告脳」と「PR脳」は構造が違うので、別部署にする方が現実的?

前回のコラムでは、デジタルマーケティング時代においては、広告会社やPR会社、制作会社などの縦割りの役割分担の境界線の意味がなくなりつつあるのではないかという話を書きました。
ただ、ここで問題になるのは、業界としての境界線は意味が無くなってきていても、広告とPRは予算構造や精神構造が根本的に大きく異なっていることが多いという点です。

このコラムでは議論を単純化するために、あえて言葉の定義をシンプルにさせてもらいます。

広告を担当する部署を「宣伝部」。
PRを担当する部署を「広報部」としましょう。

宣伝部の方は一般的には、テレビCMや新聞・雑誌広告、バナー広告などのいわゆるペイドメディアの広告露出を手法の軸として仕事をされていることが多いでしょう。一方で、広報部の方は一般的には、メディアの記者の方々やユーザーとのコミュニケーションを通じて、話題作りやメディア露出、いわゆるアーンドメディアの獲得を手法の軸として模索されていることが多いでしょう。

続きは、宣伝会議 AdverTimesのサイトでご覧下さい。
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ネット証券会社向けソーシャルメディア活用勉強会での講演の様子をダイヤモンドオンラインに掲載して頂きました。

 9月2日に、トムソンロイターさんの企画で、ネット証券会社の方々向けにソーシャルメディア活用の勉強会が開催され、講師としてプレゼンをさせて頂いたのですが、その様子がダイヤモンドオンラインのPR企画として掲載されましたので、ご紹介しておきます。

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 正直な話として、メーカーや飲食店などの分かりやすい商品がある業態に比べて、金融業界がソーシャルメディア活用やアンバサダープログラム的なアプローチで成果を出すのは難しいのは事実だと思います。
 そういう意味では個人的にもドキドキしながらプレゼンをしていたのが率直なところだったのですが、五十嵐さんから海外の金融会社のソーシャルメディア活用事例を複数教えてもらい、あらためてコミュニケーションという意味では、どういう業態でも何かしらのソーシャルメディア活用の可能性があるものだなと再確認させて頂きました。
 特にツイッターのアクティブサポートのようなソーシャルメディアならではのサポートとかコミュニケーションというのは、実はあまり業態を問わずに実施できる普遍的な手法なのかなと思ったりします。

 基本的にいつもの私のプレゼンがベースになりますが、早口の分かりにくいプレゼンを丁寧に記事に起こして頂いていますので、金融業界以外でも興味がある方は是非どうぞ。

SNSで変わる? 証券のオンラインビジネス戦略

ロスジェネ世代と世代論でくくられると悲しくなることもあるけれど、結局最後は自分次第 をロスジェネの逆襲から学ぶ。

 先日文藝春秋さんの「ロスジェネの逆襲」発売の企画で、本を読んだ感想を動画インタビューをしたいという謎のオファーを頂きました。
 
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 気がついたら「IT業界で活躍するロスジェネ世代の星が『ロスジェネの逆襲』を読んでみた」という派手なタイトルになっていて、お前のどこがロスジェネ世代の星なんだ?と各方面から突っ込みどころ満載なのは、依頼時には知らなかった話としてお許し頂くとして。
 今回の企画に参加した背景と感想を、こちらにまとめておきたいと思います。

 
 私のブログを読んでいるような方はよくご存じだと思いますが、私は世代論が大好きな人間です。

 古くは、梅田望夫さんがCNETのブログで展開していた「PC世代」「ネット世代」を定義していたインターネット世代論に積極的に絡んでましたし。
 76・77世代をいち早くインターネット時代のエリート世代と定義したのは勝手に自分だと自負していますし。
 72世代と76世代の違いを勝手に定義してインタビューでしゃべったりしている人間です。
 

 実際問題、個人的には1972年生まれの自分の世代は、ずっと損をしている世代だと思いこんで生きてきました。

 いっつもネタとして話すことが多いんですが。
 私たちの世代は、
 大学受験は典型的な受験地獄
 で、大学入った時にはバブルが続いてて、大学さえ入れば就職は安泰だと言われていたのに、
 いざ就職活動を始めた時にはバブルが崩壊して就職氷河期に突入。
 会社に入れば安定して終身雇用になるはずが、大企業も倒産する時代になってしまい、
 老後に年金がちゃんともらえるかどうかも赤信号。

 バブルを楽しそうに謳歌していたいわゆるバブル世代に比べると、何も良いことが無い世代だと思っていたのは事実です。

 そもそも細かい話で言うと、
 私たちの世代が高校生の頃に「女子大生ブーム」があったんですが。
 私たちが大学生になった時には「コギャルブーム」になってしまったり。
 
 第二次ベビーブーム世代で人数だけは多いはずなんですが、世の中の脚光は浴びない世代だったりする印象があるんですよね。

 そんなわけで世代論大好き人間としては、今回のロスジェネの逆襲をトリガーに、ロスジェネ世代に感想を語らせるというのは面白い企画だな、と思った次第です。

 実際、半沢直樹シリーズについては、テレビドラマを見て興味をもっていたんですが、テレビドラマがあまりに倍返しを決め台詞にした歌舞伎的というかヒーローものというかという感じの印象だったので、書籍は読んでなかったんですよね。

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 実は小説はあまり読まない人間なのでこんな機会でも無いと読まないだろうと思って、1巻から書籍を献本頂いて一気に読ませて頂きました。

 
 特にロスジェネの逆襲は、ドラマで舞台となっていた1巻の「オレたちバブル入行組」と2巻の「オレたち花のバブル組」からガラッと変わって、IT業界がテーマ。

 書かれたのが2010年頃なので、表紙に六本木ヒルズらしきビルが描かれているように、雰囲気的にはライブドアショック前後のIT業界の買収合戦の延長の文脈なので、ちょっと前のネット業界の感じはありますが、さすが池井戸潤。
 めちゃめちゃ読ませる展開で、深夜に読み始めたら止まらなくなって午前3時ぐらいまでかけて一気に読んでしまいました。

 で、個人的に印象に残ったのが、書籍の中盤で半沢直樹が部下を諭す際に言う

 「結局、世代論なんてのは根拠がないってことさ。」

 という発言。

 半沢直樹シリーズ自体が、バブル入行組とかロスジェネの逆襲とか、ある意味世代論をベースにした小説であるわけですが、その小説の主人公にこの発言を明確にさせるあたりが憎いなぁとつくづく思ったりします。

 実際社会のトレンドの分析とか空気感の分析をする上で世代論は面白いテーマなんですが、だからと言って「俺は○○世代だから」と個人個人が斜めに構えてしまうのは明らかにもったいない話。
 最近のゆとり世代の人達とかも二言目には「これだからゆとり世代は」とか言われて悔しい思いをされていることと思いますが、別に同じ世代だからと言ってゆとり世代の全員がのんびりしてるっていう話ではないんですよね。

 自分の世代がロストジェネレーションと呼ばれてしまうのは、正直まだ40代なのにロストワールド的にもう自分達の存在が無かったことにされてしまうみたいで、正直嬉しくないんですけど。
 だからこそ、ロスジェネ世代って、苦労してる分凄いよね、と言われるように、一人一人が頑張らなきゃいけないんだなぁと改めて思ったりした次第です。

 そのあたりの話は、緊張して顔がこわばっていてかなり恥ずかしい動画インタビューでも話してますので、ご興味がある方はこちらをどうぞ。

 
 

 すでに新しく発売されたロスジェネの逆襲の文庫版は当然のようにランキング1位を獲得し売れまくっているようですが、私のように普段小説を読まないビジネス書好きな人にも面白く読んでもらえる本だと思います。
 私同様、ドラマの印象が強すぎて本を敬遠していた人ほど、実は本を読んだ方が楽しめるかもしれませんので、読書の秋にオススメです。

4167904381 ロスジェネの逆襲 (文春文庫)
池井戸 潤
文藝春秋 2015-09-02

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「メーカー直販はまだ早い」そんな会社は損をする を日経MJに寄稿しました。

 先週金曜日に、日経MJ「奔流eビジネス」に寄稿しているコラムが掲載されましたのでお知らせします。
 今回は先日参加したダイレクトサミットで印象に残った話をコラムで取り上げてみました。
  
 ダイレクトマーケティングというと、自分には関係ないと思っている方は小売りでもメーカーでも結構多いのでは無いかと思いますし。
 実際問題私自身もそういう傾向が強かったんですが。
 今回ダイレクトサミットに参加してみて、このスマホ時代にダイレクトマーケティングとかオムニチャネル的視点を完全に無視してしまうのは、結構致命的な問題につながりかねないなと感じた次第です。

 少しコラムタイトルはネット用で煽り気味になっていますが、何か参考になる点があれば幸いです。
 


「メーカー直販はまだ早い」そんな会社は損をする

 先月、鹿児島県で「ダイレクトサミット」というイベントが開催された。直販や通販事業に携わる企業を対象に、ダイレクトマーケティングのテーマに特化した日本初のイベントだ。

 一般的に通販事業というと、化粧品など特定の商品に注力している単品通販や、顧客がカタログから商品を選ぶ総合通販と呼ばれるような事業形態を連想する人が多いだろう。ただ、こうした定義や境界線もインターネットやスマートフォン(スマホ)の普及により、大きく変わりつつある。

 今や「オムニチャネル」というキーワードに代表されるように、小売りも通販サイトを持つのが当たり前になりつつある。従来直販していなかったメーカーも、直販サイトを開設し始めている。実際にダイレクトサミットに参加した企業の顔ぶれも、通販専業やウェブ通販の企業から、大手メーカーまで多様だった。

続きは日経新聞のサイトでご覧ください。
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