みんな集まれ!ネットワークが世界を動かす (クレイ・シャーキー)

4480863990 「みんな集まれ!」は、米国でインターネット関連のコンサルタントとして有名なクレイ・シャーキーがネットの集合知や集団行動の可能性について書いた書籍です。
 何かの本で言及されていて気になって買って読んでいたのですが、遅ればせながら書評抜き読書メモを公開させて頂きます。
 この本で描かれているのは、ネットによりつながった集団が引き起こす新しい可能性についての考察です。
 「ウィキノミクス」から「ドラゴンフライエフェクト」まで、この分野の可能性について考察されている書籍は数多くありますが、この本ではクレイ・シャーキーならではの視点からの考察が展開されているので、また違った視点からネットの集合知やコラボレーションの可能性について考えてみたい方には参考になる点がある本だと思います。
【読書メモ】
■我々がコミュニケーションの方法を変えるとき、社会も変わる。
 社会が自らを創造し、継続させるためのツールは、ちょうどミツバチにとっての巣のような中核的な存在である。
■ソーシャルメディアなどのツールは、集団が自己組織化するのを容易にし、個人が正式な管理体制なしに集団に貢献することを可能にした。結果としてそれまで管理のない集団努力が抱えていた、規模や洗練度、影響の及ぶ範囲なっどの限界は、大きく押し広げられることになった。
■集団で行う仕事の難易度順
・共有
・協力
・集団行動
■「馬鹿馬鹿しいほどの集団化の容易さ」(社会科学者セブ・パケット)


■個人によるブログは単なるプロによる情報発信の代替物というよりも、情報発信そのものの代替物なのだ。
 クルマを運転するのにプロのドライバーである必要がないのと同じ意味で、情報発信するためにはプロである必要はない。
■通常、プロフェッショナルが持つ自己像と自己防衛本能はプラスに働くが、変革期には大きな欠点となる。プロフェッショナルは自分の職業の脅威となる存在を恐れるからだ。
■調査報道に安全弁を与えると同時に、法律が犯罪を暴き、追求する能力を保持しておくためにも、ジャーナリストの特権はごく限られた人々にのみ適用されなければならない。
■「水は人間にとってダイヤモンドよりもはるかに大切であるにもかかわらず、ダイヤモンドの方がずっと高価である。なぜならそれは希少だからだ。」(アダム・スミス「国富論」)
■コミュニケーションと放送メディアの区別は、人間の性質と言うよりもテクノロジーによるものだとされていた。
 コミュニケーションテクノロジーの変化により、これらのパターンの区別は消滅しつつある。
■ブログに代表されるソーシャルツールの持つ驚くべき特性である双方向性も、規模が大きくなれば名声が作り出す不均衡の問題を抱えてしまうのだ。テクノロジーは人々の注目によって起こる人間の限界を解決することはできない。
■ミートアップが効果を発揮するのが昔ながらの市民グループではなく、全く新しいグループである
・米国文化全体からはあまり支持されていない宗教、あるいは哲学的な見解を持つ人々
・ウェブサイトなどのユーザーで、ほかのユーザーと実社会でも交わりたいと考える人々
・作品があまりに風変わりであるために、ファンたちがお互いに交流したがる文化的なアイコン
■集合の自由が発達したことが生み出す三つの社会的ロス
・情報の複製と配布に関する基本的な問題は、デジタルネットワークのおかげで大部分が解決してしまい、非効率性によって成り立っていた多くの商業的ロジックが弱まっている。
・今までのメディアと政府の関係は、たとえ市民の支持があっても、従来のジャーナリズムの定義と同様、いずれ機能しなくなる。
・テロリストや犯罪組織のネットワークにとっても、ウィキペディアの利用者や学生運動の関係者と同様の恩恵を与えてしまう。
■ミートアップは失敗したグループがいるにもかかわらず成功しているのではなく、失敗したグループがいるからこそ成功しているのだ。
 こうした新しい市場に必要なのは、情熱的なユーザーと、失敗を繰り返すことを恐れない姿勢なのだ。
■組織は業務コストの問題により、たった1つの重要な貢献をする従業員を雇う事はできない。日々、コンスタントに良いアイデアを生み出す人間しか雇えないのだ。
■共同作業にふさわしいツールと利用者の間に適切な取り決めがあれば、自由な参加による大規模な集団プロジェクトが可能になる
■コミュニティのメンバーは互いに問題を聞き、答えあう。これは純粋な利他的行為という訳ではない。教えるものは二度学ぶ機会が与えられる。質問に答えると、コミュニティー内での名声が高まる。
■「最初の1万人は個人的に歓迎する必要がある」(フリッカーの創立者の一人、カテリーナ・フェイク)
 サイトがまだ小さい頃、彼女やほかのスタッフたちは自分の写真をポストするだけでなく、客をもてなすパーティーの主催者よろしくほかのユーザーの写真にコメントをつけて廻っていた。
■ソーシャルツールは既存の動機を増幅はするが、新しく作り出す力はそれほど強くない。
■「ソーシャルツールが世に広まるのを許すべきか?」という質問は、それに対して我々がNOと言う事ができるという仮定に基づいている。この仮定は、変化の種類を考えるとはなはだ疑問である。
■「規制から反応へのシフト」はどんどん進行している
 中国政府はメディアが次々と生まれる現状をコントロールできない。

4480863990 みんな集まれ! ネットワークが世界を動かす
クレイ シャーキー 岩下 慶一
筑摩書房 2010-05

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