「世界が土曜の夜の夢なら ヤンキーと精神分析」は、サブタイトルにあるように日本における「ヤンキー」について考察されている書籍です。
さとなおオープンラボで話題になったので買って読んでいたのですが、遅ればせながら書評抜き読書メモを公開させて頂きます。
個人的にも日本におけるネットサービスの傾向を考える上で、ヤンキー論というのは非常に興味深い視点だと考えています。
ヤンキーというと、いわゆるマンガに出てくるような不良少年をイメージする方も多いかもしれませんが、この本で議論されているのは「ヤンキー的なもの」
日本においてブームと呼ばれる現象になるためには、ヤンキー的なものであることが必要であるという観点で、日本の開国の歴史からYOSHIKIや木村拓哉のような芸能人まで様々な視点で分析されています。
誤解を避けずにシンプルに分類すると、ネットサービスにおいてもシリコンバレー的なサービスと、ヤンキー的なサービスと無理矢理わけると、FacebookやGoogle、はてなはシリコンバレー的、アメーバや楽天はヤンキー的という感じになるのかなぁと、それを元に日本におけるネットサービス成功のポイントを議論したりすると朝まで語れてしまったりするのかなと思ったりしています。
その辺はまたブログに書いてみたいと思いますが、とりあえず最近話題になってきたヤンキー論を俯瞰的に考えてみたい方には参考になる点が多い本だと思います。
これを読んでから今改めて「ウェブ進化論」と「ウェブはバカと暇人のもの」を合わせて読むのもオススメです。
【読書メモ】
■できるだけ多くの国民を動員しようと考えるなら、ヤンキー的なものを避けては通れない。それはまぎれもない事実なのだ。
■ヤンキー的なものとは何か。たとえばATSUSHIやYOSHIKIといった独特の表記に注目してみよう。そこには、間違いなく一つの「美学」が刻まれている。そのような美学の総体を、さしあたり「ヤンキー」と呼ぼう。
■おそらく木村拓哉のヤンキー性は、彼が「語る存在」ならぬ「語っちゃうキャラ」を演じ「させら」れている、という点にきわまっている。
■キムタク語録をみてまず僕が連想したのは、これもまたひとつの「相田みつを」ではないかということだった。
・徹底してベタであること
・徹底して現状肯定的であること
■「日本人がキャラ性をきわめていくと必然的にヤンキー化する」
■ヤンキーの本質をあらわすキーワードとして和洋折衷は重要だ。
■三つの開国(古層論:丸山眞男)
・第一の開国:15世紀末から16世紀のキリシタンや南蛮文化の渡来
・第二の開国:幕末と明治維新
・第三の開国:第二次大戦後の開国
■ヤンキーたちはとにかく「関係性」を大切にする。(赤坂真理)
上下関係のみならず、異性との関係や、とりわけ家族を大切にする傾向がある。こうした関係性への配慮が彼らを女性的に見せるというのだ。
■ヤンキー文化の成り立ちとして、ライフスタイルですらない過渡的な身体性のみをアメリカから輸入したと考えるなら、やはり「アメリカ」と「ヤンキー」の関係性は、母と娘の関係性に近似的なものと言うことになる。
■金八先生の方法論もまた、ヤンキー先生同様、基本的には体当たり主義である。
■四つの特徴
・家庭や社会でともに行動する現場主義
・過去の話はほぼしない
・問題から立ち直った子供の協力を得る
・一人一人に合った解決法を考える
■最も重要と思われるのは、ヤンキー文化というものが、その本質的な空虚ささえ暴こうとしなければ、どんな形式にも馴染むことができる、という事実だ。
■ヤンキーは「本質」を「起源」を語らない。それは「規範」や「理想」を語り得ないことと同じことだ。彼らは夢から逃げるな、というが、どんな夢かは語らない。
世界が土曜の夜の夢なら ヤンキーと精神分析 斎藤 環 角川書店(角川グループパブリッシング) 2012-06-30 by G-Tools |