端末の統合化は進んでいる?進んでない?

誰のためのユーザー中心デザイン?を読んで。

 CNETの森さんの記事を読んで、そうだよなぁ・・・とうなってしまいました。


 記事では、ガジェットやリモコンを例にとって「それぞれに重複する機能はあるものの統合的な製品が登場しないこともあり、ファッションとして持つこと自体の意味合いとは別に、ユーザーの生活を圧迫するようになってきてはいないだろうか。」と疑問を呈しています。

 そういえば、かなり前から個人的には統合端末を待ちつづけています。
 デジタルカメラにしても、MP3プレーヤーにしても、電子辞書にしても、ボイスレコーダーにしても、PDAにしても、ゲーム端末にしても、あれだけ端末が小型化してきているのですから、全てが一つに入った端末が出てきてもよさそうなものです。

 何でなかなか統合されないのでしょうか?
 

 メーカーの方に聞くと、やはり利益の確保が難しいからという答えが返ってくる場合が多いです。
 要はそんな統合端末を欲しがるマニアックな人間は少なく、さらにそのマニアックな人間は統合端末にも先端レベルの機能を欲するので、結局単機能の先端機器を購入してしまうんだとか。

 そういう意味では、携帯電話はやはり出荷台数の桁が違うので、森さんが言う五徳的展開に出やすいそうです。

 逆に携帯電話を中心に考えると、案外端末の統合化は着実に進んでいると言えるのかもしれません。

 例えば低位のデジタルカメラは完全に携帯電話に食われつつあると聞いています。携帯のカメラの画素数が着実に上がっているのを考えると、現在の高機能デジタルカメラの市場も徐々に携帯電話に侵食されるでしょう。

 古い話で言えば、電卓もそうかもしれません。
 昔は飲み会の後に割り勘をしようとすると、電卓を持っている人がヒーローになることが良くありましたが、最近は携帯電話でできてしまいます。飲み会の終わりに電卓を取り出す人は見なくなりました。

 カレンダーや電話帳などのPDA的なものも、携帯電話で済ませる人が増えていると言われています。今度のSH901iには電子辞書機能もついてくるようです。
 

 じゃあ、携帯電話が全てのガジェット市場を飲み込んでしまうか?
 というと、当然そんなことは無く。

 「ビジネス情報備忘録」でも「用事を片付けるためには機能が最適化されたガジェットを使ったほうが、万能ナイフ型のガジェットよりも機能が特化している分、便利・手軽・痒いところに手が届くなどの理由により使い続けると思う。」と書かれていますが、多分そういうことになるのでしょう。

 デジタルカメラで言えば、高機能なカメラを求める人は確実に残るでしょうし、電卓にしても業務用電卓は携帯電話のインターフェースでは無理です。
 多分、いまだに紙のメモ帳を使いつづける人が多いのと同じような話で。

 明確な目的のための特化端末は確実に残り、「あれば良い」とか「あったら良いな」程度のローレベルな端末は、徐々に携帯電話のような必須端末のオプションになっていくのかなぁ・・・と。
 そんな風に感じました。

 そう考えると、多分難しいのは「では各企業はどのように対応していけば良いのか?」という点ですね。
 We all follow United !では、組織の視点から局所最適や組織間のすり合わせについて分析されており興味深いです。

 特化した機能のみにフォーカスしなければ、その業界では生き残れないかもしれないし、かといって統合端末の展開を見据えないと業界自体が縮小するかもしれない・・・実に難しい問題のように思えます。

 まぁ、どちらにしろ、全ての特化端末が欲しくなってしまう「ガジェット好き」の自分の問題が解決されることは当分なさそうですね・・・

テキストコミュニケーションの重要性増加中

死んでしまったら私のことなんか誰も話さない: ブログの魅力と可能性を読んで。

 JTPAの「ブログの魅力と可能性」セミナーの内容について丁寧にまとめられていたので紹介します。


 先日サトウさんが取り上げていた「ところで、Blogは何がそんなにすごいのか?」の内容にもつながるところが多いですね。

 なんと「Six Apart社は創業以来黒字だそうです。」という点にも驚いたのですが、個人的に興味深かったのは下記の部分。

パネリスト3人のお話を聞き、また、私自身も含めて、ブロガーとして続いている人の特徴は、「表現したいことは色々あるが、話し言葉より書き言葉での自己表現の方が得意」「シャイ」なのではないか、ということです。

「口べた」「話した言葉が上滑りしている気がして、本当に人に届いているのだろうか、自分をもっと分かってもらいたいといつも思っていた」という言葉に現れているように、話す/聞くコミュニケーションにおけるフラストレーションや苦手意識が強いので、その分、書き言葉で他人に伝えようとしているのかもしれません。

 実は、私は逆に口先のコミュニケーションでこれまで生き抜いてきたタイプなのですが、最近テキストコミュニケーションの重要性を痛感する日々が続いています。

 
 HotWiredの佐々木さんの「活字を読む文化が復権しつつある」という記事でも、「インターネットは文字文化」ということが取り上げられています。

 佐々木さんもメディアの歴史を書かれていますが、もともと人間のコミュニケーションも近距離は音声会話なものの、紙の登場以後、遠方とは手紙でやり取りするという文化が何世紀も続いています。

 その後、電話の登場で遠距離も音声会話が可能になりましたが、実はまだ1世紀程度の歴史でしかなく。
 インターネットの登場で、再び人間のコミュニケーションはテキスト(活字)によるものが主流を占めるようになってきている気がするのです。

 
 最近個人的にコラムやAll Aboutのガイドを始めたり、毎日のようにブログで記事を書いているのは、実はそういう恐怖感から練習を強化しているのが実情だったりします。

 マルチメディアという言葉でネット社会の未来を語っていたときは、音声や動画の未来を中心に語られていましたが、ふたを開けてみるとテキストが中心になっているのですから不思議なものです。

 最近、NTTグループはテレビ電話普及に向けて、再度スマップまで借り出してテレビコマーシャル攻勢に出ているようです。(5年前にはフェニックスというテレビ電話のコマーシャルをたくさん打っていましたが売れなかった)

 はたしてこのままテキスト文化が主流になるのか、音声や動画が復権する時が来るのか注目したいと思います。

アフィリエイトと広告の微妙な関係

第四回アフィリエイト・カンファレンス参加表明、求む!を読んで。

 土曜日のアフィリエイト・カンファレンスに行ってこようと思ってます。


 実は個人的にはアフィリエイトを今はやってないのですが(それで参加して良いのかどうかは微妙)今後のアフィリエイトの流れには注目しています。

 実際、アフィリエイト参加者は確実に増加していて、カンファレンスの参加者も初回の数十人から今回はなんと200人だとか。
 和田さんが出された「アフィリエイト徹底活用術」もなんと第四刷に突入。大ヒット中です。
 
 
 先日織田さんにお会いしたときにも、アフィリエイトの流れについての話になりました。
 広告業界の視点からすると、アフィリエイト自体はブランド自体をつくりあげるものではなく、下手をしたらネガティブな影響もあるという認識だそうです。(仕組み自体は、ある程度必須になる流れにあるようですが)

 まぁ実際、人によっては、見ているサイトがアフィリエイトの仕組みで商品を紹介していると知ると「金目当てか」という拒否反応を示す人もいます。(うちの嫁さんなんかはそういう感じでした)

 
 ただ、個人的には、アフィリエイトはもっと主流になって良いと思っています。
 そもそも何かの商品を紹介してそれが売れたのであれば、その人が紹介手数料をもらうのってごく自然な仕組みのように思えるからです。

 大手媒体は、商品を紹介することに対して「広告料」をもらっています。
 これって結局なんだかんだ紹介手数料扱いのはずです。
 まぁもちろん広告にはブランドイメージ向上とか認知度アップとか、効果はいろいろあるんでしょうが、最終的には商品が売れてなんぼ、なはずで。

 そういう意味では、個人で商品を口コミで紹介してくれる人にもある程度の収入があって当然だと思ってしまうわけです。

 ちなみに南さんのB-log Cabin TPでは、なんとiPodやMacのような高価な商品もアフィリエイト経由で売れてるという話も聞いたことがありますし、和田さんもDELLのPCのアフィリエイトが中心だと言ってました。

 個人でも媒体効果を発揮できるサイトの運営者は、大手媒体と同じように扱われても良いように思ってしまいます。

 果たしてこの流れがどれだけ大きくなる可能性があるのか、物販以外のところにも出てくるんでしょうか?

誰もが個人の看板で生きる時代は来るか

 先日、メディア産業座談会なるものに混ぜてもらいました。

 まぁ、メディアに関して素人の私が語れることは何も無いのですが、私が興味深かったのは個人の時代という視点です。


 座談会に参加していた面々は、「ネタフル」のコグレさんを始め、「CNET」の渡辺さん、「Ad Innovator」の織田さん、「29man」の渡辺さんと、勤めている会社や仕事内容よりもブログや個人の名前の印象の方が強い、と思うのは私だけでしょうか。

 もちろん社会一般から見て、ブログ界隈の人がどれだけ有名かという議論もあるでしょうが、個人的にはネットやブログの普及によって、個人がより際立つ時代になったように感じています。

 私は典型的な大企業出身者なので、ベンチャーに転職したにもかかわらず、この2年間「仕事は会社の看板でするものだ」と根本的な思い込みをしていました。

 実際には、生まれたばかりのベンチャー企業に会社の看板などというものが存在するわけも無く、相手には自分を信用してもらうしかないのですが、そこは大企業出身者。なんとか会社の看板をあげようと自分を殺した努力をするべきだと思っていたわけです。

 ところが、最近ようやく、なんだか違うぞ?と気がつくようになりました。

 結局、ビジネスの世界においても、大抵のことは個人レベルの信頼や人間関係から始まっていて、自分を信用してもらわないと何も始まらないんだなぁと。
 (実は、それはベンチャーだけでなく大企業でもおんなじなんでしょうが)

 そういう意味では、ブログによる情報発信というのは個人にとって非常に有効なツールになるはずです。

 織田さんはブログ自体が仕事の専門性の象徴ですし、29manの渡辺さんもブログの知識を本業に生かされています。ネタフルも間違いなくコグレさんの本業に好影響を与えているはずですし、私のような一般人でも感じるのですから、多くの人も多かれ少なかれいろんな効果を感じていると思います。

 更に、最近はGREEの田中さんやCNET編集長の山岸さん、FPNにも参加してくれてる佐藤さんにも代表されるように、名前のドメインを取って個人の情報発信の場として明確にブログを活用するケースも増えてきていますね。

 流行の社長ブログだけでなく、個人レベルでも自分個人を会社と見れば自分は「自分会社」の社長。個人で情報発信をして「自分会社」の情報発信をするのは、長期的に非常に重要になってくるんじゃないかなぁ・・・と思ったりもします。
 (トム・ピーターズの「ブランド人になれ!」の世界ですね)

 そこで課題になるのは「大企業の中にいる社員は、どこまで個人の情報発信が許されるのか?」という点でしょう。

 これはブログを書いている多くの方が抱えている課題でしょう。個人名での情報発信が増えたとはいえ、まだまだベンチャー企業が中心なのは事実。
 おそらく私もNTTに残っていれば個人名での情報発信などしていないでしょうし、ブログ自体手を出さなかったかもしれません。

 そういう意味では、今回お会いできませんでしたが、電通のタカヒロさんのようなケースがこれからどれだけ増えていくのか。増えていかないのか。
 はたして日本の企業は個人のブログに対してどのような支援や対処をしてくるのか。

 非常に注目したいところです。

グリー株式会社化とSNSのビジネスモデル

GREE Blog: グリー株式会社 会社設立についてを読んで。

 いよいよSNSのGREEも株式会社化するようです。


 GREE開発者の田中さんが、楽天社員でありながら個人でサービスを運営しているのは有名な話でしたが、やはり会員数10万人を超えたサービスを個人運営で続けるのは難しいですよね。

 とくに最近は組織だった開発を続けるmixiに比較してGREEの機能追加のペースが鈍っている点が指摘されることが多かったですから、個人的にGREE派な私としては今後が楽しみです。
 まずはおめでとうございます。
 
 さて、客観的に注目したいのは、やはり株式会社化によるGREEの変化でしょう。

 田中さんはこれで社長になるわけですし、楽天から10%の出資は受けるものの楽天の社員という立場からは退職し、基本的に楽天グループではない独立企業として自力で収益を模索する形になるようです。

 以前、「7万人の町「GREE」を一人で作ってる会社員 を読んで」で取り上げた、GREEの田中さんの「儲からないけど、楽しいからそれでいい」というスタイルは、さすがに儲けるためのモデルを模索するスタイルに変わるでしょう。
(もちろん、独立を決めたからには勝算があるのでしょうね)

 
 個人的には、mixiが公開範囲を設定できるプライベート日記機能など、オンラインコミュニティ機能に注力しているのに比較し、GREEは比較的名刺管理ツール的に使われることが多いように感じています。

 シンプルなPV獲得による広告ビジネスとしてはmixiのモデルの方が実施しやすいはずですが、果たしてそちらを目指すのか。
 それとも以前CNETに取り上げられていたLinkedInのようなビジネスモデルを模索するのか・・・

 ひできさんの「SNSと「弱い紐帯」」に書かれているような視点も重要になってきそうです。

 実に注目したいニュースです。

ネット上の議論が半永久的に残ることの価値

 「ネットは新聞を殺すのか」の湯川さんと切込隊長BLOG(ブログ)で、非常に興味深いやり取りがされています。


 まず湯川さんの「日本でネットとリアルの社会が分断されている理由」というエントリから始まり、切込隊長が「メディアとネットに「格差」があるという議論はおかしい」と書き、さらに湯川さんが「切り込み隊長に物申す」と返して、切込隊長の「新聞業界がこの先生きのこるには」という書き込みになり、湯川さんが「超どうでもいい議論の続き」と一度締めている。

 まぁ、素人の私が議論自体に口をはさめることは何も無いのですが、ちょっと違った視点からこのやり取りに非常に感慨深いものを感じてしまいました。

 妙な縁で、私はお二人ともにお会いしたことがあるんですが。
(まぁ湯川さんに会ったのはつい先日ですし、切込隊長に会ったのは5年以上も前なので向こうは覚えてないだろうというレベルですが)

 そのときの印象から言うと、二人は日本全体の中で言うと実は立ち位置は近かったりするんじゃないかと思ったりします。

 
 多分、切込隊長が書いているように背景の違いが視点の違いを生むのでしょう。

 湯川さんは既存メディアの中にいて、ブログを中心とした新しい流れに可能性を感じ、それに対応できない既存メディアに嘆いている立場という視点。
 切込隊長はネットの先端にいて、ネットの最前線で旗を振る人たちの良いところも悪いところも全部見てきて、少しブームに対して引いた立場という視点。
 というのが違いになるのでしょうか。
 
 視点の違いと議論の入り方がちょっとずれると、この二人でさえこういう熱い議論になるんだなぁというのが率直な感想ですが、その議論の過程を自分のペースで読むことができるブログの仕組みというのにも、また改めて今後の可能性を感じてしまいました。

 やはり、これもテキストという状態で議論が残るからだなぁと思っていたら、この記事とちょうど同じタイミングで、Hotwiredの佐々木さんが「インターネットが取材を変える日」で、取材の過程を掲示板に公開したという興味深い逸話を紹介しています。

 佐々木さんが書いているように「かつては週刊誌にしろ新聞にしろ、あるいはテレビ報道にしろ、「書き飛ばし」「報道しっぱなし」が当たり前だった。」ですし、読み手である私たちも一つ一つの記事については怒りを感じたとしても無力感のまますぐに忘れるのが当たり前でした。

 ところがネットにおいては今回の湯川さんと切込隊長のやり取りのような議論が、気が向いたときにいつでも(二人が消さない限り半永久的に)、しかも基本的に無料で振り返れるようになってしまっているわけで。

 湯川さんの「議論は、そこから自分が学ぶため、また相手の学びを手助けするためにするものである。」という信念には私も賛成ですし、ニッチな分野の「論評」の集合体という点においては、やっぱりネットの価値は高いなぁと改めて思わされた一日でした。

 ちなみに、佐々木さんが最後に「だが現状では、インターネットメディアの一般社会への影響力はあまりに低い。」とも締めくくっているのも象徴的です。
 やっぱり切込隊長が書くように数十年スパンなんですかね・・・