[メッセンジャー]脳を繋ぐテキストチャット、空間を繋ぐビデオチャット を読んで

脳を繋ぐテキストチャット、空間を繋ぐビデオチャット – CNET Japanを読んで

 SFCというのは、既に学校全体が巨大な未来の実験室になっているようだ。


 松村さんが表現している学生のチャット事情は、自分のようなテキストチャットが苦手な人間からすると正直想像もつかない。

 実は私はメッセンジャーが苦手だ。
 秘密主義の私としては、いる状態が相手に知られると言うのがそもそも何かイヤだ。
 (だからGREEのオンライン機能も正直嫌いだったりする)

 おまけにメッセンジャーのチャットはいつが終わりになるのか良く分からないし、複数メンバーでのチャットになったら更に辛い。
 まさに反射神経的にキーボードを叩くしかないのだ。
 (でも実は一時期オンラインゲームにはまっていたので、必至にチャットをしていたが)
 
 「脳を繋ぐテキストチャット」とは実に面白い表現だ。
 多分、私はこの脳に繋がれるような感覚が嫌なのだろう。
 そんな私にとって、時間に拘束されないメールは実に気軽だ。
 
 でも、こういう脳を繋いで共同作業する人たちが出てくると、仕事のスタイルも大幅に変わってしまうのだろうとも感じる。

 
 そういう意味では、もう一つの「空間を繋ぐビデオチャット」というのも興味深い。
 Skypeを使って作業をしている人も言っていたが、インターネット電話の可能性を感じてしまうのはやはり「定額制」(要は無料)というところのようだ。

 これまでの「電話」という行為は従量課金でお金がかかっている中でのコミュニケーションだった。
 よっぽど腹が据わっている遠距離恋愛の恋人同士でもない限り、電話をしている際にお金がかかっているという感覚はなかなか消えない。
 当然、「電話」というのはある程度の目的を持ってする行為だったはずだ。

 それがSkypeのようにどれだけつないでも定額と言うことになると、松村さんが書いているように普通に離れた空間を埋めるだけの手段として使われる可能性が出てくる。
(Skypeはビデオチャットではないが、個人的にビデオの動画部分の必要性はあまり感じていない。私たちはあまりに映像の無い電話という「音声チャット」の世界に慣れてしまったのだと思う)

 実際問題、オンラインゲームにはまっていた時に、オーストラリアの連中からボイスチャットに入れと言われて相当困惑した。
 入ってみたら、本当に彼らはボイスチャットで会話をしながらゲームをしていた。なんだか回りに彼らがいるようで奇妙な感覚だったのを覚えている。
 (私は自分のPCのマイクが壊れているとウソを言って、ボイスチャットには参加しなかったが)

 現在の電話機は全て従量課金を前提に作られているから、かけるという行為は外せない。でも、空間を埋める端末と言う視点で考えるとどうなるのだろう?

 例えば、単身赴任の夫と家族の空間を埋める目的の端末であれば、それこそ常時お互いの映像を表示しっぱなしの定点カメラと集音マイクでも良いのかもしれない。

 ・・・どうだろう・・・・それはないかなぁ。

[P2P]P2Pとネットワーク技術の未来にあるもの を読んで

CNET Japan Blog – 江島健太郎 / Kenn’s Clairvoyance:P2Pとネットワーク技術の未来にあるものを読んで

 江島さんが現状のP2P業界を取り巻く雰囲気を、分かりやすい言葉でまとめている。


 Winnyの開発者逮捕をきっかけに、インターネット上では様々な議論が巻き起こっていた。もちろんその中心は著作権や開発者の権利に関するものだったが、同時に「P2P技術とWinnyの問題をごっちゃにするのはおかしい」という議論も一部で始まっていた。

 開発者の逮捕という事件をきっかけに、議論が反対側に触れるというのも何だかおかしな話だ。
 正直不謹慎な話だが、事件をきっかけに有識者の間で、これからP2Pはどうなるのか?という興味が逆に戻ってきて、意外に追い風になっていたりする。
 
 例えばCNETの渡辺さんITmediaがアリエルの小松社長にインタビューしたり、「P2Pは悪くない」というタイトルでの日経コミュニケーションの記事が出たり。
 P2P電話のSkypeもここに来て、週刊ダイヤモンドや東洋経済で取り上げられるなど注目を浴びている。

 不思議なものだ。

 
 ただ、もちろんこの話はあくまで一部の有識者や記者に限った話。
 社会全体のP2Pに対するイメージはあくまで不正ファイル交換やアンダーグラウンドであり、これを今更ポジティブに変換することは、江島さん下記の指摘のとおり不可能に近いだろう。(P2Pの啓蒙コラムを書いている私が、こんなことを書くのも変だが)

実際問題として、世間的にはP2PといえばWinny事件などをめぐって「違法ファイル共有」「著作権侵害」といったネガティブ・キーワードと生々しくリンクされて記憶に刻まれてしまった。反体制的なイメージが濃すぎて、もはやP2Pという技術に対する冷静な議論の機運を逸してしまい、とにかく印象として「クロ」なのだ。

 ただ、この問題に対するソリューションは単純だ。
 P2Pという言葉を使わない、もしくは別の言葉で表現すればいい。
 実際問題、米国ではすでにP2P関連技術の企業は、P2Pという単語を使用していない。グリッドやリレーネットワークというような言葉で置き換えている。

 日本では、オーバーレイネットワークが定着するのだろうか。
 (個人的には言葉が長いのがあんまり好きではないが(笑))

 
 個人的な興味は、江島さんが終盤にかかれている部分だ。

 先日の森さんのサーバー型放送についての話で出てくるコンテンツ周りの利権とは別に、P2P型のコンテンツ配信では味方になるはずのブロードバンド事業者が乗り気にならないという課題がある。

 江島さんが書いている「xDSL技術が暗黙に仮定してきた、Web型トラフィック主体の上り下りの非対称性が、P2Pだと崩れてくる」という点だ。
 結局45MbpsのADSLでも上りはせいぜい1~3Mbpsしか出ない。対象のP2P通信は現状ではできないわけだ。
 
 単純な話、それならFTTH推進派のNTTグループが、この特徴を上手く使うべきだろう。FTTHなら上りも下りも高速で実現できる。
(逆にいうと、現在FTTHがADSLに対して持つ優位性はそれぐらいしかなくなりつつある) 
 実際、NTTグループはFLET’S.NETやSIO-Netなど研究所を中心に、既に多くのP2P技術の蓄積がある。

 江島さんの記事を読む限り、まだまだNTTの中でも課題は多いようだが、是非亀井さんたちに頑張って欲しいものだ・・・
 (それにしても江島さんが亀井さんの後輩とは知らなかった・・・スモールワールドというかなんというか・・・)

[通信業界]AT&T、電灯線を利用したブロードバンドサービスの試験運用へ を読んで

AT&T、電灯線を利用したブロードバンドサービスの試験運用へを読んで

 かなり古い記事だが、個人的に興味があるネタなので取り上げてみたい。


 NTTで働いていた頃、電力系の会社がこのような電灯線を利用したブロードバンドサービスの試験をしていて正直恐ろしかったものだ。

 利用者の立場からシンプルに考えれば、ノートパソコンに電源と電話線の2本のケーブルをささなければならないのは明らかに効率が悪い。
 電力会社がこのサービスを開始したら、一気にシェアを奪われてしまうのではないかとそれは不安になったのを覚えている。

 その試験の話はそれこそ5年も前の話のように記憶しているが、その後サービスを開始したという話は伝わってこない。
 実は実験に携わっていた人に話を聞いたこともあるのだが、やはりコストや技術の面でまだ課題が多いという実情もあるようだ。 

 で、振り返って今回のAT&Tのニュースを見ると、どうも事情は大きく違うようで、まずはアクセス回線部分に電灯線を使って、その先は無線LANというモデルのようだ。
 そもそも電話会社であるAT&Tが電力会社のインフラにアクセス回線を頼ろうとしているところが、広い国土の足回りを地域電話網会社に頼らなければならない米国の電話市場の特殊な環境だろう。

 日本でももちろんNTT東西地域会社に頼っているのだが、どうもコスト面が大きく異なるようだし、個人的には最近電力線を使った通信サービスにはあまり興味は無い。

 よくよく考えてみると、通信自体を「線」に頼る時代自体が終わろうとしているような気がしてしまうからだ。
 何もコンセントで通信に差し込まなくても、最後のところは無線LANやブルートゥースに頼ってしまえばいいはずだ。

 でも、これって固定通信なのだろうか、移動通信なのだろうか・・・

[通信業界]サーバ型放送と合意形成 を読んで

サーバ型放送と合意形成 – CNET Japanを読んで

 先に正直なところを言うと、私はいまだに放送と通信の境界線についてよく理解できていない。


 森さんが丁寧にまとめているので、何となく理解したつもりでいるが、本質的な所は未だに腹に落ちていない。

 「サーバ型放送」とは、「放送番組に関する仔細な追加情報(メタデータ)とHDDなどの大容量記録装置を組み合わせることで実現される高度な番組蓄積機能サービス」のことを言うらしい。

 単純に言うと「サーバ型放送は通信、特にブロードバンドの取り込みを前提としたサービスの全体像を有しており、すでに放送という枠組みを超えている」ということだ。 
 結局のところ、放送と通信の区分と言うのはインターネット時代に至って完全に意味の無いものになろうとしているのに、法律や制度、ステークホルダーの意識がそれに追いついていないと言うことなのだろう。

 利用者からすると、例えばインターネット経由でPCで動画コンテンツを入手することは「放送」ではないはずだ。だが、どうもこのサーバ型放送の定義だと、テレビで放映されたメタデータを後から通信で見るというのもサーバ型「放送」の定義に入るらしい。(間違っていたらごめんなさい)

 動画の世界だからなのだろうか?

 音楽の世界と比較してみよう。
 例えばラジオ「放送」で流れていた音楽を、後からiTunesで手に入れたとする。
 これは「放送」か?
 利用者からすると明らかに違う。

 だがこのサーバー型放送の定義だとそういうことのようだ。

ブロードバンドのインフラ環境が整備されているものの、音楽や映画のノンパッケージ配信サービスで欧米に2歩も3歩も遅れている日本では、ハリウッド以上に「コンテンツ・イズ・キング」状態が続いている。ケータイまでも含めればインターネットの普及が全人口の80%を超えるこのご時勢ですら、放送局のサイトにある番組情報ページに写真さえ掲載を許さないタレント事務所も複数あるほどだ。

 なぜ日本でiTunesが始まらないのか、ちょっと分かってきたような気がする。
 どうも日本では、このあたりのインターネット時代のコンテンツに関する議論が完全に思考停止に陥っているようだ。

 放送事業者もコンテンツホルダーも、今がいいからそれで良いという状態なのだろうか。
 どおりで通信事業者や家電メーカーがいくら騒いでも、何も有力なコンテンツがインターネットに出てこないわけだ。

 前回の「ハリウッドを救う三つの指針 を読んで」でも書いたが、どうしてもこの分野だけはアメリカに負けて欲しくない。

 森さんが書いているように、今こそ「正論」に戻って未来を見つめた議論をして欲しいところだが・・・ 
 やっぱり難しいのかなぁ・・・

[SNS]7万人の町「GREE」を一人で作ってる会社員 を読んで

7万人の町「GREE」を一人で作ってる会社員を読んで

 CNETの山岸さんのブログ経由でITmediaの記事を知るというのも変な感じだが、なんとなくmixiとGREEの違いが見えてきた気がする。


 実は友人とSNSの話になると、mixi派、GREE派に分かれることが多い。
 私はGREE派だが、先日の飲み会で会った人は多くの人がmixi派だった。

 この違いはどこから来るのだろうとずっと考えていたのだが、今回の田中さんのインタビュー記事も含めて下記の3つの記事を見ながら何となく全体像が見えてきた気がする。

・「それでいい、楽しいから」――7万人の町「GREE」を一人で作ってる会社員
・ソーシャルネット「mixi」、儲からなくても続ける理由
・Greeとmixiの違いを考えてみた(ネタフル)

 ネタフルのコグレさんが、「GREEはリアルライフの写し鏡であるという表現が適していると思います。逆にmixiは、クローズドな空間で完結するバーチャルライフであると言えるでしょう。」と表現している。
 この違いはどこから来るのだろうか。

 ITmediaの二つの記事は、一見非常に似ている。
 GREEの田中さんは「儲からないけど、楽しいからそれでいい」と言っていて
 mixiの笠原さんも「儲からない、でもユーザーは増やしたい」と言っている。

 でも、この二つの発言は本質的には違う。

 GREEの田中さんは某IT企業の社員であり、GREEは趣味や力試しの場所として発言しているように感じる。
 mixiの場合、笠原さんは社長であり、mixiはあくまで一つの事業の柱になるべき存在だ。

 だから、田中さんは自分が楽しければ良いと言い切れてしまうし、GREEの志向も忙しい合間を縫って友達とのつながりを維持する方向になるのだろう。田中角栄の名刺の例を出しているが要するにそういうことだ。リアルな世界の友達維持管理サービスと表現すればいいのだろうか。
 新しく始まった「GREEマガジン」に見られるように、出会いの場自体はリアルでいいじゃないかという方向性は、mixiにない明らかなリアルライフ志向だ。

 逆に笠原さんは、新しいオンラインコミュニティビジネスを模索する必要があるし、それを実践中だ。オンラインで収益をあげるという視点で考えると、いかに利用者をそのコミュニティの中に長時間滞在させるかと言うことがまず重要になるのだろう。
 GREEのようにオフラインに利用者が出会いの場を求めてしまうと、一番重要なトラフィックがオフラインに流れてしまう。そう考えればmixiが日記を中心にオンライン上だけでコミュニケーションが完結するような手段を多数提供しているのも納得だ。

 
 もちろん、これ自体どちらが正しいと言う話ではない。
 現在の利用者数は7万人、5万人と多いとはいえ、まだまだインターネット利用者の1%以下に過ぎない。
 現段階ではどちらかが生き残ると言うレベルではなく、どちらも共存しながらSNS自体の存在意義を増していくのだろう。(もちろんキヌガサやOrkutなど他のサービスが今後どうなるかも注目だ)
 今後が非常に楽しみだ。

 ちなみに、GREEの中核メンバーでもある山岸さんのCNETではなく、ITmediaが先にこのようなインタビューを実施したのは、なんとも変な感じだ。
(山岸さんがITmediaにリンクしているのに、田中さんのブログではリンク先がYahoo!ニュースの提携記事になっていたりする。) 

 山岸さん、是非CNETでSNSの濃いインタビュー特集を組んでくださいね・・・

[IM]IM分野で「雪解け」–マイクロソフト、AOL、ヤフーが相互乗り入れへ を読んで

IM分野で「雪解け」–マイクロソフト、AOL、ヤフーが相互乗り入れへを読んで。

 てっきりもう相互乗り入れは諦めたのかと思っていたが、そうではなかったようだ。


 ようやっと、マイクロソフトの企業向けIMがAOL Instant Messenger、Yahoo Messenger及びMSN Messengerとの連携を実現するらしい。
 CNETの記事にも何と11件ものトラックバックがうたれているから、その注目度の高さが伺える。(私のトラックバックの遅さも・・・)

 ここのところ立て続けにヤフーとAOLが企業向けのIMシステムから撤退していたが、こういうシナリオだったのだろうかと穿ってみてしまう。
 (ちなみに、IMシステムのこれまでの経緯は、FPNで川島さんがわかりやすくまとめている

 正直コンシューマー向けのIMでどうやってAOLとYahoo!は利益をあげるつもりなのか良く分からなかった。あきらかに現段階のIMサービスの分野で収入を上げようと思ったら企業向けのシステムに力を入れるほか無いはずだ。
 インターネット上のサービスの常識として、コンシューマー向けの有料サービスはなかなかビジネスにならない。マイクロソフトのような大企業が率先して無料でなんでもかんでも提供してしまうから、他の会社が有料でやったところで無料サービスとの差別化が非常に難しいからだ。

 にもかかわらず、AOLとYahooは企業向けIMシステムを放棄していた。
 それに関連しそうなコメントがCNETの記事に出ている。

Microsoftは、AOLとYahooにロイヤリティを支払って、両社のクライアントからLCSへ接続できるようにする。この支払い金額の算定方法について、3社は詳しい説明を避けており、AOLやYahooに接続するLCSユーザーの数をベースに算定されるかどうかはわかっていない。

 要は、AOLとYahooは、自前の企業向けIMシステムでMicrosoftやIBMに挑むという無茶をせず、無料で配布したクライアントを元にMicrosoftからお金をもらうという現実的なビジネスモデルに転換したということなのだろう。

 このモデルなら、AOLとYahooは労せずしてそれなりの収益をMicrosoftから得ることができる。
 わざわざ金を払わないコンシューマー向けに相互接続するシステムを構築する必要も無い。
 戦わずしてコバンザメになるとは見栄えが悪いが、まぁ孫子の兵法と思えば悪くないかもしれない。