マスコミと情報収集家が悪化させる「Winny問題」:ITproを読んで。
ITProに、Winny問題がいかにマスコミの報道とそれによる野次馬の増加で悪いスパイラルになっているかという解説記事が掲載されていました。
実際、impressの記事によるとWinnyのノード数は12月に約30万ノードだったのが、3月10日には54万ノードにほぼ倍増しているそうで、一連の情報漏えい事件が利用者を増やす結果になっていることが見て取れます。
先日、「Winnyに関する議論が噛み合わない5つの理由」なんて記事を書きましたが、自分なりの問題解決策を書かずに投げっぱなしにしてしまったので、改めてWinnyウィルス問題を解決するための方法を自分なりに考えてみたいと思います。
ちなみに以下の案は、あくまで安部官房長官に「Winnyを使わないで」とテレビで発言させるぐらいなら、ここまでやればという趣旨の国家レベルでの強攻策案です、念のため。
先日の記事に書いた5つの論点は下記の通りです。
1.著作権問題 (コンテンツ事業者 vs Winny利用者)
2.インターネットただ乗り問題 (ISP vs Winny利用者)
3.ウィルス問題 (ウィルス開発者 vs Winny利用者)
4.情報漏えい問題 (システム担当者 vs Winny利用者)
5.ソフトウェア開発の責任問題 (警察 vs 開発者)
これだけ、問題がこじれると根本的に問題を解決するのは不可能に思えてきますが、シンプルに考えると解決策は簡単です。
国として「Winnyの利用を禁止する」
これだけです。
そもそも、Winny利用者が減れば、コンテンツ事業者もISPもシステム担当者も警察もハッピーなわけで、悲しがるのはウィルス開発者ぐらい。
議論軸は、5つあるものの、目下の国民にとっての深刻な問題というのはなんといっても情報漏えい問題です。
で、その対策も、利用者側ではなく根本的なレベルで実施します。
つまり、インターネット上でのWinnyトラフィックの遮断です。
ぷららが実施しようとしているようなISPレベルでのWinnyトラフィックの遮断を、全ISPが一斉に実施。
この手の対策は、利用者がアンチウィルスを入れるとか、セキュリティソフト会社がWinny特需と喜ぶような中途半端なものではだめです。
ITProの記事にも書かれているように「自分はそこそこスキルがあるからウイルスに感染することはない」と考えている人ほど危ない」わけで、利用者のリテラシーに頼っている限り、必ず誰かがウィルスにひっかかってしまいます。
ISPレベルで遮断してしまえば、誰もインターネット経由でWinnyが利用できなくなるわけですから、ウィルスも活躍の場を失い、情報漏えいしたファイルもこれ以上広がることはなくなります。
ただ、ここで当然問題になるのが「Winny利用者の権利」です。
そこで、「Winnyを改良し、情報漏えいを防ぐことも技術的には可能と主張」している金子氏に国策として改良版Winnyを開発し、配ってもらいます。
もちろん、改良版Winnyが現在のWinnyの変わりになるのが前提なので、ウィルス対策以外の変更はあえてしません。
とにかく暴露ウィルスによる情報漏えいを防ぐのが目的。
つまり、現状の適法なWinny利用者の皆さんに、改良版Winnyに移ってもらうわけです。
で、現在のWinnyの利用はとにかく完全禁止。
ISPによる完全遮断が難しいなら、YahooやGoogleに依頼して、旧Winnyに関する検索は全て強制的に改良版Winnyの国営サイトに誘導するようにしてしまえば似たような効果が得られます。
とにかくそこまで徹底的にやって、Winnyウィルスによる情報漏えい問題はとりあえず解決しましょう。
違法コピーは減らないかもしれませんが、なにしろ情報漏えい問題さえなければ、とりあえず防衛庁や企業の機密情報や私たちの個人情報が収集家の手に渡ることは減るでしょうから、一安心。
もちろんメールベースの暴露ウィルスの問題は残りますが、まぁそれはメールソフトにがんばってもらうとして。
あとは、のんびり著作権問題や開発者責任問題を、気の済むまで関係者の方々に議論してもらいましょう。
そんな無茶苦茶な、と思う人も多いと思いますが、書いてる本人は結構マジメです。
仮に、今回の問題がソフトウェアではなく、ロボットだったらと思って下さい。
利用者の見たい映画やテレビ番組を、利用者の好きなときに映し出してくれるテレビロボ。
著作権問題の観点から、コンテンツ事業者は大反対しているんですが、利用者には大人気で、大量に無料で配布されているテレビロボです。
で、このテレビロボの開発者のお茶ノ水博士が、著作権法違反幇助の罪で警察に逮捕されてしまったとしましょう。
テレビロボの改良自体は止まってしまったわけですが、これに目をつけたウィルス作者がテレビロボに感染するウィルスロボットを開発します。
このウィルスが厄介で、利用者のプライベートなことを他のテレビロボットにしゃべりまくる恐ろしい暴露ウィルスロボ。
防衛庁や電力会社の情報までテレビロボ経由で漏れてしまい、社会問題化しています。
この場合、果たしてこのロボットは放置されていて良いのでしょうか?
当然、政府はこのテレビロボを回収するための手を打つでしょうし、お茶ノ水博士に対策を指示するのではないでしょうか?
どうもソフトウェアの世界だからという理由で、問題が自己責任で放置されているような気がしてなりません。
もし、本当に暴露ウィルスによる情報漏えいが、安部官房長官にテレビで発言してもらわなければいけないぐらい深刻な問題だと思っているのであれば。
いたずらに報道を過熱させて野次馬を増やすだけの対策をするよりも、Winnyの利用禁止まで踏み込んだ根本的な対策をするべきなのではと思ってしまう今日この頃です。
まぁ、この記事は、エイプリルフール用に準備していたのが、思ったより面白くなかったので、マジメな感じにかき直してみたというのが正直なところではあるんですが。
The Wisdom of Crowds (みんなの意見は案外正しい)
邦題の「みんなの意見は案外正しい」というタイトルだとぴんと来ない人も多いかもしれませんが。
原題はThe Wisdom of Crowds(ウィズダム オブ クラウド)。ウェブ進化論でも話題になった群衆の英知というキーワードのもととなった書籍です。
(実は2004年に出版されていて、直後にHYamaguchiさんがレビューして話題になっていたりするんですが、翻訳されるのに2年近くかかっているんですね。)
本書でも書かれているように、これまでの一般的な常識というのは「群衆」「大衆」というのは比較的あまり良いイメージでは使われません。極端に言うと、烏合の衆とか愚民とかいったキーワードにみられるように、大衆は能力のある個人には劣ると考えられがちです。
ところがこの本では、多様な集団や群集が到達する結論は、「一人の個人よりつねに知的に優る」という一見これまでの常識に逆行する説を提示しています。
ウェブ進化論においても、最後に梅田さんがあちら側とこちら側という考え方と組み合わせるもう一つの軸として提示していたのが不特定多数無限大を信じるかどうかというポイント。
この部分をどちらとして物事を考えるかというのは、結構大きな違いを生んでくるような感じがします。
本書では、群衆が個人よりも賢くなるケース、賢くならないケースについて具体的な事例を並べて解説してくれており、Wisdom of Crowdsがいまいち分からないという人にお勧めです。
ちなみに、個人的に気になったのは中盤に出てくる「マタイ効果」の話。
「有名な科学者の研究はさほど有名でない科学者の研究に比べて、膨大な数の引用がなされる。」という科学者の論文における「名声のパワー」の事例を紹介しているのですが、最近のブログ界も同じことが起こっている気がして、この認知と質のアンバランスの問題を技術によって解消することができるのかどうかが気になるところです。
Winnyに関する議論が噛み合わない5つの理由
情報非公開があだ?–トレンドマイクロもWinnyの餌食に – CNET Japanを読んで。
安部官房長官の「Winny使わないで」宣言以降、Winny問題は収束するどころかますます盛り上がりを見せていますね。
セキュリティソフト会社にWinny特需がみたいな話があるかと思ったら、アンチウィルスソフトのトレンドマイクロ自体がWinnyウィルスで情報漏えいしていたという話がでてきたり、JASDAQもだったという話がでてきたり、ぷららのWinny全規制に続いてNiftyもWinnyの規制を発表したりと、ここ数ヶ月Winny関連の記事は増える一方です。
もちろん、今発表されている情報漏えいは過去のものなので問題は収束しているという説もあるんですが、なぜ、これだけ大勢の人が問題だと思っているのに、開発者逮捕から2年も経過して一向にWinnyをめぐる議論は収束の気配を見せないのでしょうか。
個人的には、Winny問題が実に複数の議論軸を抱えてしまっている点が、大きな原因になっていると思っています。
Winnyが日本に投げかけている問題は、整理してみると下記のように5つもあります。
1.著作権問題
インターネットの普及と、コンテンツのデジタル化によって、無料での大量コピーが容易になってしまったというのが本質的な問題。
Winnyは、ファイルの自動キャッシュや匿名性の担保により、利用者が非常に手軽にコピーを入手する手段を提供しており、著作権をコアにしたビジネスを行っている人にとっては大問題。
2.インターネットただ乗り問題
インターネットの利用において、現在は利用者があまり利用しないということが前提の定額料金制が基本になっており、実質どれだけ利用しても最低料金のままで、使ったもの勝ちの状態というのが本質的な問題。
Winnyによって、利用者はブロードバンド回線さえあれば、無料で好きなだけ動画ファイルを入手することができてしまう。そのためにISPはバックボーンを圧迫されてビジネス的にも大問題。
3.ウィルス問題
人気のあるプラットフォームにおいては、そのプラットフォームを利用する悪質なウィルスが登場するというのが、本質的な問題。
Winnyが人気を集めたことで、Winnyはウィルス開発者のターゲットとなりやすくなり、しかも、ファイルが自動的にコピーされていくという性質とあいまって、ウィルスの効果が増幅されやすい。しかも話題になれば模倣犯も増えて、Winny利用者にとっては問題。
4.情報漏えい問題
情報のデジタル化によって、情報が紙時代よりも手軽にコピー、流出しやすくなっているというのが、本質的な問題。
ファイルをコピーするというソフトウェアであるWinnyにウィルスが流行してしまったことで、従業員が意識していなくても情報が漏洩しやすくなってしまったということで、システム管理者にとっては大問題。
5.ソフトウェア開発の責任問題
インターネットにより、個人でも大勢の人に利用される影響力の高いソフトウェアを手軽に提供することが可能になっているというのが、本質的な問題。
Winnyも、P2P技術を活用することで、ほとんど開発者がコストをかけずに利用者がファイル交換をできる仕組みを構築できてしまった。もちろんソフトウェアを開発したこと自体が問題なわけではないと思いますが、それで罪を問われてしまう可能性があるのであれば、開発者としては大問題。
まぁ、これだけ議論の軸があるんですから、Winny関連のメディアの報道や議論のポイントが拡散するのも良く分かりますね。
ある人が情報漏えいは自己責任だといえば、ある人は会社のパソコンを使うのが馬鹿だといい、ある人はコピー目的に使う人が悪いという話になれば、ある人はウィルス作者が悪いといい、ある人はメディアの報道が悪いといえば、ある人はソフトウェアとしては価値があるという感じで、議論が噛み合うわけがありません。
そもそも世界中のファイル交換ソフトが巻き起こした議論は、1の著作権問題ですが、ただこれだけの問題だったら、NapsterやGroksterのように事業者に対して訴訟をして事業を停止させれば良い話。
実際、日本でもファイルローグは訴訟によりサービス停止に追い込まれています。
また2のトラフィックの問題は、そもそもはISP側のビジネスモデルの問題です。
結局、Gyaoが人気が出て「ただ乗り問題」が話題になってしまったように、現在のバックボーン側のISPのビジネスモデルは、結局動画のような大容量コンテンツが頻繁に利用されると破綻するというのが現状。
まぁ、今回のぷららやNiftyのように制限をするというのが無難な対応に思われます。
3のウィルスの問題は、4の情報漏えい問題とセットになっている点が、問題を複雑にしていますが、普通に考えれば利用者の自己責任の問題です。
本来は、ウィルスの対象になっているソフトウェア自体を改善するとか、利用者が勉強してウィルスらしいファイルは開かないとか、利用者が仕事と私用のPCは分けるとか、そういう防衛策をしくのが当然の流れでしょう。
そうやって、一つ一つの問題を個別に見ると、それぞれに対する対応策は明確になるはずなのですが、Winnyの場合には全てが同時に発生しているのが最大の問題です。
そもそも、最初は1の著作権問題が最大の問題だったはずです。
Winny開発者が企業であれば、コンテンツ企業からの訴訟という形でGroksterと同じような民事の法廷闘争になったはずです。
ところが、Winnyが匿名の開発者によるソフトウェアだったため、民事の法廷闘争の道が閉ざされます。
そこで、警察が登場することになり、著作権法違反幇助という罪で開発者の金子氏が逮捕される形になり、5の開発者の責任問題が急浮上するわけですが、結果的にはここで問題は終わりませんでした。
当然、開発者の金子氏が逮捕される形になって、問題が一段落することを期待する人は多かったはずです。
なにしろコンテンツ事業者も、ISPも、システム管理者も、警察も、Winny利用者以外の誰もがWinnyの利用者が減ることを望んでいたはずで。
ただ、結局、開発者の逮捕にもかかわらず、Winnyの利用者が思ったよりも減らないという結果になります。
本来であれば、開発者が逮捕されたソフトウェアを、利用者が使い続けるのは実に不思議な話です。
海外の事例では、大抵訴訟に負けた事業者のファイル交換サービスは、サービスを停止されるなり、人気を失うなりして失速しています。
ところが、Winnyはピュア型のP2Pのサービスのため、サービスが止められないという要素も影響し、開発者の逮捕後も利用者は思ったより減りませんでした。
(一部のデータでは、その後増えたというデータもあったようです)
利用者が減らなかった理由がなぜなのか、本当のところは良く分かりませんが、Winnyによる情報漏えい事件があいつぎメディアで報道されたために、野次馬的にWinnyを利用する人が増えたという説もあります。
日本の法律では、ファイルを不特定多数へのコピー目的でアップロードするのは違法だけどダウンロードは合法というグレーな線引きが、利用者の違法コピーに対する問題意識をあいまいにしてしまったのではないかという説もあります。
(ちなみにフランスでは、アップロードもダウンロードも違法で罰金がかかるようです)
ソフトウェアの開発が停止しているのに、利用者が減らないなんて、改善を止めたらお客さんがすぐに離れてしまう世界で生きている人間からするとウラヤマシイ話ですが、結局、その利用者が減らなかった事実がWinny問題にややこしさを増すことになります。
利用者が減らないために、あいもかわらずISPはWinnyによるトラフィックに苦しみ、ウィルス開発者はWinnyをターゲットにしたウィルスを開発し、それによって情報漏えい事件が引き起こされ、それがメディアで報道され、野次馬がまたWinnyの利用者になる。
そんな余計な問題を誘発したスパイラルが続くことになってしまったわけですから、実に皮肉なことです。
ちなみに個人的には、Winnyの利用者が減らなかったのは、他に類似のサービスがあまり生まれなかったのも、結構要因として大きいのではないかと思っています。
もちろん、海外のサービスを含めWinny以外のファイル交換サービスというのは多々あるんですが、やはり日本では日本語のサービスでないと流行りません。
ところが、Winnyの際に「開発者自身が逮捕される」という開発者のリスクに注目が集まったために、日本ではその後ファイル交換サービス系の開発は一気に影を潜めるようになった印象が強くあります。
海外には山のように類似サービスがあり、人気の流行り廃りがあるのに、未だに日本では2年前に開発が止まったWinnyが注目されてるわけです。
あえて誤解を恐れずに、穿った見方をすると。
Winnyによる著作権問題を何とか沈静化させようと、開発者の逮捕に踏み切ったことが、結果的に類似日本語サービスの登場を阻み、それによってWinny自体を生き延びさせることになり、改善の止まったWinnyをインフラとしたWinnyウィルスによる情報漏えい事件が社会問題化するようになってしまった可能性があるわけです。
どうも最初の開発者逮捕という打ち手が、結果的にみると大きく裏目に出てしまったように感じてしまうのは、私だけでしょうか・・・
(もちろん、今になってそんなことを言っていても意味は無いんですが)
まぁ、安部官房長官の記者会見以降、一説によるとWinnyのトラフィックが3割とかいうレベルで減ったという噂もあるようですし、セキュリティソフト各社はいろんな対策は打ち出してきてますし、金子さん自身もオズテックという新しいファイル交換ソフトの開発に携わっていることを発表したりといろいろあるようですから、これで少しは問題解消に進展があるのかもしれませんが。
ダラダラ書いていたら、ちょっとあまりに長くなってしまったので、続きはまたの機会にしたいと思います。
ブログは居酒屋コミュニケーションみたいなもの
良くブログを書いたことが無い人と話をすると、「私は文章力が無いからブログなんて書けない」とかって話になることがある。
多分、ブログに書くのを、ニュースサイトの記事とか本を書くとかいうのと同じと思うとそういう話になりやすいのかもしれない。
でも、個人的には、実は普通のブログ書くのに、いわゆるおおげさな「文章力」なんて必要ないんじゃないかと思う。
ちなみに、最初に断わっておくと、私はブログは「コミュニケーションのツール」だと思っている。
もちろん、昔書いたみたいに、あくまでブログ自体は自分のメモぐらいの感覚で書いているわけだけど、その書き方のスタイルは実はメールとか、雑談に近い。
要は自分の興味のあるニュースや出来事に対する感想を、書いて自分の考えを整理したり、記録したりする目的で書いているわけで、そもそも、独り言みたいなもの。
でも、ひょっとしたら誰かが読んでくれるかもしれないわけだから、どちらかというと独り言だけど誰かに話しかけてる感じに近い。
例えば、会社の同僚と居酒屋に飲みに行って、今日の日経新聞やYahooトピックに出ていた話題について話をする。そんな感じのノリだ。
確かに、ニュースサイトや雑誌に記事を書いたり、本を書いたりって言う経験は、それほど多くの人がするわけじゃないから、「文章力」とかっていうと何だかおおげさな感じがするんだと思うけど。
別に誰でもメールは毎日書いてるだろうし、飲みに行ったら会話もするはず。
文字のコミュニケーションと思えば、誰でもが自分なりのスタイルでやっているはずで、全然特殊技能じゃない。
ブログに書くのなんて、そんな感じで肩の力を抜いて書けば良いんだと思う。
なにしろ、同僚と居酒屋に飲みに行ったところで、自分の話自体を聞いてもらえるのなんて長くても正味1~2時間ぐらいだし、話を聞いてくれる人も数人が良いところ。
それがブログなら時間は無制限だし、ひょっとしたら多くの人が話を聞いてくれるかもしれないし。
もちろん誰も読んでくれないかもしれないけれど、メールのようにスパム扱いされることも無いわけで。
結構お得なコミュニケーションツールだと思ったりするわけです。
まぁ、そう思うと自分がブログを一生懸命書いているのは、転職して同期との飲み会とかがめっきり少なくなって、会話ができないストレスが溜まっているからかもと思ってしまったり。
ウェブ進化論は教科書としてではなく、議論の素材として読むべきだと思う
RTCVol.10 『ウェブ進化論』 後録 | 近江商人 JINBLOGを読んで。
先日のウェブ進化論をテーマにしたRTCカンファレンスのまとめで、上原さんが「「不完全さ」が事後の議論を起こしやすくして、結果「群集の叡智」が集まりやすくなっているのだなぁ」とまとめていますが、個人的にもいろいろ共感するところがあります。
先日、「ウェブ進化論自身が、ネットとマスメディアの融合の成功事例?」というタイトルで、ウェブ進化論の成功自体がブログマーケティングの見本みたいな話をちょっと煽り気味に書きましたが。
じゃあ誰でも手法を真似すれば、同じように書籍を大ヒットさせることができるかというと、もちろんそういう話ではありません。
今回のウェブ進化論の大ヒットは、梅田さんが日本のブログ界のファシリテーター的な役割を担っていたからこそですし、個人的には「梅田望夫メソッド」とでも呼ぶべき、梅田さん独特の議題設定能力が大きいと思っていたりします。
そもそも、私がビジネスの時事的な話を綴るブログを始めたのは、CNETで連載されていた梅田さんに影響されたのが一つのきっかけです。(そんなわけで、CNET主催の梅田さんセミナーに参加したり、FPNで梅田さんとの座談会を企画してみたりと、まぁ追っかけに近いポジションだったりするわけですが。)
個人的に梅田さんが凄いと思うのは、自分のブログを通じた発信もさることながら、その発信したものが実に頻繁にブログ界で話題に、しかも「議論」になること。
読者が多いブログだから、当然と言えば当然なわけですが、梅田さんを中心に発生した議論は、キーワードが残るのが一つ特徴だと思います。
ここで、勝手に(本人にも無断で)、「梅田望夫メソッド」を定義してしまうとこんな感じ。
・ばーーーーっさりと、個人や企業を二つのグループに分ける。
・それぞれのグループにわかりやすいタイトルをつける。
・議論を皆に振る。
例えば
「PC世代」と「ネット世代」
「こちら側」と「あちら側」
「エスタブリッシュメントな層」と「若い人たち」とか。
こんな感じで、ばっさり切られると、大抵の人は自分がどっち側なのかを考え、自分がどっちなのかで一喜一憂します。自分のサイドがポジティブだと思えば喜び、自分のサイドがネガティブだと思えば不安を口にし、自分なりの考えがある人は梅田さんにトラックバックで議論を挑みます。
また、切られた線上や中間にいる人たちは「そんな二つで分類なんて単純に出来ない!」と怒る人も発生します。ある人は議題設定自体に問題提起をしたり、時には梅田さんがいかに分かっていないかというのを、とうとうと書いていたりするわけですが。
そういう光景を見ながら、梅田さんは、議論自体に勝とうとしているわけではなく、議論自体を楽しんでいるんだなーと思うときが良くあります。
私なんかは、普通どうしても、ブログに意見を書いてそれを他の人に否定されると、その否定自体が人格否定みたいな気がして、落ち込んだりしてしまうものですが。
梅田さんは、時に嬉々として反論に応えていたりするわけです。
まぁ、考えてみたら上の手法ってディベートの手法に似てますよね。
二つのサイドを決めて、自分がどちらかのサイドを取って議論をする。
良く考えたら、ブログで反論されること自体、今後の自分のための知恵の一つになっているわけで、まさにブログでの議論は、不特定多数の人を相手にディベートを行っているようなもの。
議題設定を行った梅田さんからすると、賛成も賞賛も反論も批判記事も、すべて議論を誘発することで生まれた「群集の叡智」なわけで、自分が提示した理論を議論を通じて更に強化されている感覚なのかもしれません。
ケースバイケースで話をしたら、そんな世代論とか二元論にすべてが当てはまらないのはある意味当たり前なんですが、梅田さんはそこをあえて、ばーーーっさりと二つに切ってしまうことで、議論をしやすくしているような感じすら受けます。
そういう意味で、あらためて「ウェブ進化論」を振り返ると、やっぱりこの本は上原さんが書いているように「「不完全さ」が事後の議論を起こしやすくして、結果「群集の叡智」が集まりやすくなっている」ようなブログ的な本なんですよね。
ついつい書籍という形になっていると、何かを教えてくれる「教科書」として読んで、何となく分かったような気分になって終わりにすることになってしまいそうですが、この本はそこで終わったら実にもったいない気がします。
組織単位でまとめ買いをする会社も増えているそうですが、せっかくそうやって組織全員で読むのであれば、その組織の中で議論をしたり、感想を交換したりして欲しいですし、是非自分のブログを始めてみるとか、ソーシャルブックマークサービスを使ってみて不特定多数無限大の世界とか群集の英知とかを体感してみるとか、そういう何かのきっかけにする本なのかなーと思います。
というわけで、とりあえず自分はウェブ進化論をきっかけに、もう少し他の人の批判にひるまずに議論を楽しめるようになるように、自分なりの結論をちゃんとブログで書いていくようにしたいと思う今日この頃です。
明日は誰のものか (クレイトン・クリステンセン)
イノベーションのジレンマで有名なクレイトン・クリステンセン氏の最新刊です。(とはいえ、もう発売されてからかなり経っているのですが)
会社の人に借りた時の読書メモを投稿するのを忘れてましたので、今更ながら投稿です。
今回の「明日は誰のものか」は、イノベーションのジレンマやイノベーションへの解に比べると、比較的引いた視点のように感じます。
最初にイノベーションのジレンマを読んだときのような衝撃は当然望むべくも無いのですが、何となく1冊目2冊目を読んでもしっくり来なかった方に逆にお勧めかもしれません。
いろんな産業の事例が並んでいて、どれかはきっとヒットするはずです。
個人的には通信産業の事例がたくさんあったので、あらためて分かりやすく理解することが出来ました。
最近、インターネットの普及を背景に、超低価格なイノベーションが次々に出てきている感覚がありますが、はたしてこれらは、破壊的なイノベーションとなって既存産業の市場をひっくり返していくのかどうか、そのときの産業のあり方とは、国はどうするべきなのか、と改めていろいろ考えさせられる一冊です。