「パブリック」は、「グーグル的思考」などの著作でもしられ、米国でブロガーとしても有名なジェフ・ジャービス氏がソーシャルメディア時代の新しいパブリックの定義について考察した書籍です。
献本を頂いたので、書評抜き読書メモを公開させて頂きます。
この本は、小林弘人さんが監修をされているという意味で「フリー」「シェア」に続く三部作の三作目という印象もある書籍です。
パブリックという言葉は日本ではあまりなじみがありませんが、プライバシーの対極にあるものというとイメージしやすいでしょうか。
日本においては、個人情報保護法などの影響もあり、プライバシーを保護することに非常に気を使う傾向にありますが、実際にはソーシャルメディアの普及はプライバシーの境界線を次々に犯し始めており、その先にあるのがこの書籍の「パブリック」にあるような世界観です。
現在の日本においては、おそらくパブリック信奉者よりもプライバシー重視派の方が明らかに多いでしょうし、この書籍に出てくるジェフ・ジャービスの言葉や、「インターネットやフェイスブック以前の世界では、誰もが無名だったからこそ膨大なプライバシーが存在した。人は生産者か消費者のどちらかでした。そのふたつがはっきりと分かれた社会、ある意味で自然に反する社会だったんです。」というザッカーバーグの言葉に賛成できない人も多いでしょう。
ただ、日本においても米国並みにソーシャルメディアが普及したとすると、実際にはソーシャルメディア時代以前のプライバシーの維持というのは現実的には不可能になっていく可能性があります。
もし、そうなのだと仮定したら、従来と同様のプライバシーを守ることに全エネルギーを投入するよりも、パブリックであることが容易になった世界の良い面の可能性を追求すべき。
そう思えるかどうかが、この本を読んで共感できるか、恐怖を感じてしまうかの境界線のような気がします。
ソーシャルメディア時代におけるプライバシーについて一歩引いた視点で考えてみたい人はもちろん、ソーシャルメディア普及後の未来について考えてみたい方には参考になる点が多々ある本だと思います。
【読書メモ】
■僕はこの本をとおして、もしプライバシーに固執しすぎればこのリンクの時代にお互いにつながり合う機会を失うかもしれない、と言いたい。
■「インターネットやフェイスブック以前の世界では、誰もが無名だったからこそ膨大なプライバシーが存在した。人は生産者か消費者のどちらかでした。そのふたつがはっきりと分かれた社会、ある意味で自然に反する社会だったんです。」(マーク・ザッカーバーグ)
■議論のなかで、聴衆の一人が、自分の画像が含まれているみんなの写真を勝手にネットに上げないでほしいと言った。許可していない、と言うのだ。彼がそう言い張れば、参加者は誰もイベントの写真を撮ったり共有したりできなくなると僕は言った。写真の次にはみんなが言ったことや聞いたこと、共有したいことを公開するなと言い出すかもしれない。
このイベントは公共の資産だし、もしこの男性が他の参加者にそこで起きたことをシェアさせないのなら、それはみんなから何かを奪うことになる。
続きを読む パブリック(ジェフ・ジャービス)を読むと、ソーシャルメディア時代にプライバシーというものを重視しすぎることによるデメリットについて考えさせられると思います